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お姫様は小屋の中

 姫君は口ごもった。先の魔物は言葉は通じているのに、思いはまったく通じなかった。魔物は、ただただ、生物を害することだけを欲していた。言葉でさえ、そのための道具であり、人間を欺くためだけに使うものだと思っているようだった。


「でも、あなたは魔物に言うことを聞かせたわ。魔物だって話せばわかるのでは……」


「私はね、命令したんだよ。力で押し通して去るように命じた。ただの暴力だよ」


 炉の火がパチリと爆ぜる。姫君は次の言葉が見つからず黙り込んでしまった。静かになった部屋には火が燃えるかすかな音と、メルキゼデクの穏やかな寝息だけが聞こえる。


 姫君は、初めて来た場所なのに、なぜかとても心安らぐのを感じた。それは雑然と置かれている糸巻き車や、馬の鞍、毛皮の帽子がかかった帽子掛け、古びたゆりかご、一抱えある大きな壺、壁にかけられた春の野原が織り込まれたタペストリー、絵本と便箋。年代物のそれらが記憶している優しさがこの家に満ち満ちていて、暖かく包みこんでくれるからだと感じた。


 ハンナが思いつめたような表情で老婆を見つめていた。どうやら約束を破ったことを謝りたいようなのだが、口を開くことが出来ずにいる。老婆はそんな気持ちを知ってか知らずか、低い声で歌を口ずさんだ。


「探し物は意外なところにあるものだ。たとえば竈門の灰の中、たとえば井戸の水の中、たとえば裏木戸開けたとこ」


 ハンナが首をかしげる。


「おばあちゃん、その歌はなに?」


「なに、ただの子守歌さ。私の子にも歌ってやったがね、もうとっくの昔に出て行ってしまった。そこのゆりかごに寝ている時に歌ってやったもんさ。そうするとよく眠ってたよ」


 ゆりかごは年代を感じさせはするが、埃をかぶることもなく、そこにある。今もきちんと手入れされているように見えた。姫君は微笑んで言う。


「お子さんを愛していらっしゃるのですね」


 老婆は深いため息を吐いた。


「愛ねえ。どうだろうね。これはもしかしたらただの本能かもしれないよ。あるいは執着心かもね」


 寝藁に腰を落ち着けた白い獣がいたずらを仕掛ける子どものように目を細める。


「ナーナは照れてるだけだよね。本当は娘さんのこと、今も待ってるのにさ」


「余計なことを言わなくていいんだよ、コルバン」


 老婆は白い獣に向かって眉を顰めてみせた。コルバンと呼ばれた獣は、ぷすぷすと鼻から息を吐きだして笑った。姫君は老婆に聞いてみる。


「娘さんはどこかへ行ってしまったのですか?」


「そう。遠い昔にね。あの子は野心家でねえ。欲しいものがあったら手に入れなきゃ気が済まない。こんなちっぽけな家にいることが我慢できなかったんだよ」


「じゃあ、寂しいですね」


「なに、ここにはコルバンもいるし、ハンナの成長を見るのも楽しみさ。さ、そろそろ痛み止めが出来たよ」


 老婆は立ち上がり、薬缶から丸い木の椀に薬湯を注ぐとメルキゼデクの枕元に立った。メルキゼデクの顎を上げさせて口を大きく開き、椀から薬湯を少しだけ舌に垂らした。しばらくおいて、また垂らす。そうやって長い時間をかけて薬湯を飲ませ続ける。


 メルキゼデクは大丈夫そうだと確認した姫君はコルバンに話しかけた。


「あなたは、魔物ではないと言ったわね」


「そう。私はただの鹿よ」


「鹿? 私が知っている鹿の姿とは全然ちがうわ」


 コルバンは鼻をピクピクと動かしてそっぽを向いた。


「そうでしょうとも。私は鹿のなりそこない。馬みたいなたてがみはあるし、色は白いし、目は赤い。魔物の血が混ざってるんじゃないかって、鹿はみんな寄り付きもしない」


 腹ばいのコルバンは前足に頭を乗せて目をつぶる。


「魔物だなんて失礼にもほどがあるわ。でもいいの。私のことはナーナがわかってくれるから」


「あなたはナーナの家族なのね」


 コルバンはパチッと目を開けて「そう」と嬉しそうに言った。


「私たちは種族は違うけど、仲間なの。どんな時も助け合うのよ」


「さっきは私たちも助けてくれたわね。どうもありがとう、ナーナを呼んできてくれて」


 コルバンはまたそっぽを向いた。


「別に、あなたのためじゃないわ。ハンナが危ない目にあっていたからよ」


「ハンナのついででもいいの。本当にありがとう」


 コルバンは返事をせず、目をつぶってしまった。


「その子は恥ずかしがりやなのさ。意地悪なことを言うけど、気は優しいよ」


 メルキゼデクに薬湯を飲ませ終えたナーナが言うと、コルバンはますます首を曲げて体の陰に隠した。

 姫君は姿勢を正してナーナに向きあう。


「ナーナ、私に魔物との話し方を教えてください」


「さっきも言っただろう。私がしていることは話じゃないんだよ」


「でも、魔物が言うことを聞くなら、それは意思が通じたということなのじゃないでしょうか」


 ナーナはほとんど瞑った目で姫君をじっと見つめる。どこからくるのか、とても強い力に体を押さえつけられたかのように感じて、姫君は動けなくなった。


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