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お姫様は戦闘中

 ようやく泣きやんで目を真っ赤に腫らしたハンナは、鼻をすすりあげながらイザから離れた。「えへへ」と照れ笑いを浮かべて姫君の背中に隠れてしまう。メルキゼデクが水に濡らした手巾でハンナの目を冷やしてやる。姫君は背中越しにハンナに語りかけた。


「それじゃ、森へ行きましょう」


「だめ、私はもう森には行けないんだから。約束をやぶっちゃったんだもん。もう、おばあさんと会えないよ」


「約束をやぶったからこそよ。謝らなければいけないわ。そうでしょう?」


 ハンナはひょっこりと顔を出して姫君を見上げた。


「謝ったら許してくれると思う?」


「さあ、私はおばあさんを知らないから、わからないわ。ハンナはどう思う?」


 しばらく考えて、ハンナは答えた。


「わかんないけど、許してもらえなくても、謝らなきゃだめだと思う」


 姫君は黙って手を差しだした。ハンナはその手を握って、しっかりとした瞳で前を向いた。

 群青の森は散歩にちょうど良いくらいの距離にあった。姫君たちはもっと歩くだろうと覚悟していたために拍子抜けして、森の入り口についた時にはポカンとしてしまったほどだ。


「魔物が出る森が、こんなに街に近いなんて。街の人たちは怖くないのかしら」


「大丈夫、ヨキ様が守ってくれるもん。それに、森から魔物が出てこられないように結界も張ってあるのよ」


「なら、魔物が森から出てきそうだってのはどうしてなんだ?」


 ノワールが尋ねると、ハンナは首をかしげながら話す。


「お父さんたちが、結界が書き換えられたとか言ってたと思う。子どもは寝なさいって部屋に閉じ込められちゃったから、はっきりとは聞こえなかったんだけど。でもきっと大丈夫よ。だって、森はこんなにきれいなんだもん」


 ハンナは姫君の手を引いてどんどん森に入っていく。森は人の手で整えられていた。下草は刈り込まれ、道が均してある。少し草の丈が伸びているのは、魔物が出るようになってから手入れができていないからだろう。だが、木の枝はそこまで伸びきっておらず、木漏れ日が落ちてくる。

 群青の森と言われるだけあって、木漏れ日は青く輝いていた。近くで見ると常緑樹の葉は深い緑色なのだが、遠く離れて葉群れになるとなぜか濃い青に見えた。


「見事だねえ」


 メルキゼデクが頭上を見上げながら言った。


「これほど水の精霊の加護を受けることができるとは、この森は力強いね」


「もしかして、森が青く見えるのは、水の精霊がなにか働きかけているからなのでしょうか」


 姫君の質問にメルキゼデクは嬉しそうな笑みを見せる。


「そのとおり。木の葉を水の気が覆って乾燥から守っているのだよ。ハギルは乾燥した国だからね。これだけ豊かな森を守ろうと思ったら、水の精霊に頼ることになるんだろう」


 青い光を受けて、姫君は自分も青く透き通っていくように感じた。水のように、空のようにゆったりとした心地になる。どこまでも広く遠くへ、見えないなにかと繋がって世界とひとつになれそうな開放感がある。皆も同じように感じているのか、穏やかな時間が流れた。


 突然、ガサガサと激しい葉擦れの音がした。そちらへ視線を移すよりも早く、木の間から一頭の獣が飛び出してきた。その白い獣がちらりと視線を姫君に移した。真っ赤な目はいっぱいに見開かれ、恐怖に満たされている。


「逃げて!」


 白い獣は叫んで駆け去った。そのすぐ後に木をたわめ、掻き分けながら魔物が現れた。

 真っ黒な剛毛に覆われた体躯は人の丈の二倍はある。牛のような体だが足は三本。前足が二本で後ろ足は一本だけ。顔があるべき位置にはねじれた一本角だけが立ち上がっていて、尾の位置には蛇のような頭が付いていた。

 長い首をもたげて、燃えるような真っ赤な目で白い獣を見ている。


「待って、話を聞いて!」


 姫君が叫ぶと魔物が姫君たちに気づき、動きを止めた。


「話をしましょう。私たちはあなたに危害を加えるつもりはありません」


 魔物は長い首を姫君に向けて伸ばす。


「そっちになくても、こっちにはある」


 魔物の声は岩がぶつかり合うような危険を孕んだ音だった。皆は思わず耳を塞いだが、姫君は毅然と言葉を継いだ。


「なにが欲しくて、あの子を追っているの?」


 魔物がひづめで地面を掻く。


「殺戮だ」


 角を地面に突き刺さりそうなほど低く下げ、ドドッ、ドドッと腹に響く音で前足を踏み鳴らす。こちらに向かって突進してくると判断したメルキゼデクが両手を差し上げて叫ぶ。


「目をつぶれ!」


 次の瞬間、メルキゼデクがなにごとかを叫び、閃光がはじけた。世界がすべて白一色になったかのような光の衝撃に魔物は怯み、たたらを踏んだ。蛇の赤い目が閉じられた。


 イザが短剣を抜き、魔物の足元に駆け寄る。側面からひづめと指の関節の間に短剣を差しこむ。


「グオオオオオオ!」


 魔物の咆哮が木々を揺るがす。剛毛に遮られ、短剣は腱までは届かなかった。魔物は猛り狂い、角を振り回して襲いかかってくる。


 ノワールが黒い靄を吐き出し魔物を止めようとする。魔物の体に触れた瞬間、靄は弾かれてそれてしまった。

 イザは姫君とハンナを抱き上げて木の陰に向かって走る。メルキゼデクが再び両手を上げる。耳馴染みのない言葉を口にしたその一瞬の隙をついて、魔物が角でメルキゼデクを薙ぎ払った。


「メルキゼデク!」


 ノワールが駆け寄り、木に叩きつけられて地面に倒れ伏したメルキゼデクを助け起こす。咳き込むメルキゼデクは動けそうもない。

 ノワールは牙を剥いて魔物を睨みつけた。魔物は鎌首をもたげて姫君を探している。


「どこだ、話す女。話をしよう。さっきは嘘をついたんだ。本当は話したい。話をしよう。なあ、話をしよう」


 姫君が開きかけた口を、イザが手で覆い黙らせる。


「罠だ。あいつには話をする気などない」


 姫君は目顔で話してみたいのだと訴えてみたが、イザは厳しい顔つきで首を横に振った。


「話をしよう。話をしよう。なあ、話をしよう。話をしよう。話をしよう。ああ、そうだ、話をしよう。話をしよう。話をしよう。なあ、話をしよう。なあ」


 突如、キーンと高い音が森を抜けていった。耳が痛み、両手でふさぐ。音のしたほうを見ると、駆け去ったはずの白い獣が立っていた。音はどうやら獣の鳴き声だったらしい。


 白い体は鹿に似て、たてがみが長く、目は赤い。だが、魔物の凶悪に燃えたぎるような赤とは違い、澄んだ鉱石のような赤だ。


「私を追ってきたんでしょう、私はここよ」


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