お姫様は成長中
不浄の森は地元では群青の森と呼ばれているのだとハンナが言った。
「この辺りには木が少ないけど、群青の森は、それはもう、すごくたくさん高い木があるの。それでね、森全体が濃い青色に光っているのよ。とってもきれいなの」
「君は森が怖くはないのか? 魔物が出るのだろう」
イザの手を元気に振りながらハンナが答える。
「出るわ。私は見たことないけど。でも怖くなんかないのよ。だって……」
ハンナは急に言葉を切って手で口を覆った。イザが心配げに尋ねる。
「どうかしたのか?」
「な、なんでもない! そうね! 群青の森は怖いところだわ! しっかりと準備していった方がいいわね。イザ、弓矢は使える?」
イザは軽くうなずいた。
「使えることは使えるのだが、今は持っていない」
「大丈夫よ! 森に入ったらおばあさんに……、あっ!」
「おばあさん?」
ハンナはイザの手をパッと放して再び両手で口を覆う。イザが膝を付いてハンナの顔を覗き込んだ。
「どうしたんだ、口の中が痛むのか?」
ハンナは勢いよく首を横に振る。イザはますます心配げにハンナの肩に手を置く。
「なにか口の中に入ってしまったか?」
「逆だよ」
のんびりとノワールが言うと、イザは振り返り、首をかしげる。
「逆とは?」
「口に入ったんじゃなくて、口から出ちゃったんだよな、ハンナ」
ハンナは真っ青になって俯いてしまった。イザが慌ててハンナの肩を抱きながら腕をさすってやる。姫君は、ぱちりと瞬きした。
「口にしてはいけなかったのね、森におばあさんがいるんだっていうこと」
「あれ、お姫様にしちゃ勘がいいね。成長した?」
軽口をたたくノワールを無視して、イザはハンナに尋ねる。
「おばあさんとやらに口止めされているのか? もしかして脅されているのか?」
「違うわ! おばあさんは私を脅したりしないもん。すっごく優しいんだから」
「ならば、話したとしても問題ないのではないか」
「約束なんだもん! ぜったいに秘密にするって言ったんだもん!」
涙目になったハンナのそばに近づいて、姫君も腰を落として語りかける。
「では、私たちも絶対に秘密にすると約束するわ。だから安心して」
ハンナはうつむいたまま首を横に振る。
「だめ。約束やぶっちゃったから、もう森には行けない」
姫君は不思議そうに尋ねる。
「約束はそんなに大切だったの? おばあさんのことはだれも知らないのかしら」
「だれも知らない」
「でも、街の人は森に薬草を取りに行くのでしょう? だったらおばあさんと出会ってもおかしくないのではないかしら」
ハンナの目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。イザがあわててハンナの肩を撫でる。その努力もむなしく、ハンナは大声をあげて泣き出した。
イザはなんとかしてハンナを泣きやませようと頭を撫でたり、慣れないながら優しい言葉をかけたりしてみたが、効果はない。途方に暮れてメルキゼデクを見上げると、メルキゼデクは、にこにこと笑っていた。
「無理に泣くのをやめさせる必要はないよ。涙は出るべき時に出るものだ」
「しかし……。ただ見ているだけというのは心苦しいものがある」
「黙って側にいてあげなさい。ハンナはイザくんを気に入ったようだから」
言われた通りハンナの側に膝を付いてハンナの肩を抱いた。ハンナはイザに抱きついて泣き続けた。姫君はじっとその様子を見つめた。
イザがこんなに一生懸命に子どもの世話をするとは思ってもみなかった。どちらかというと人と関わらず、なかなか心を開くことのない少年であったのに。知らないところで優しく成長したイザを微笑ましく思った。