お姫様は授業中
エルキトワイルは眉を吊り上げて怒る。
「騎士だっていうのに自国の危機に関係することも知りもしない。そんなことだから、アスレイト王国が黒き魔女に襲われたりするんだよ」
「三十年前の退魔戦争のことか」
イザが問うと、エルキトワイルは頷いた。
「アスレイト王国の人たちは魔術師もなしに、のんきに暮らしてた。魔女なんて二百年も前に絶滅したって思われてたんだからね。だけど、最強の恐怖とうたわれた黒き魔女は生きていた。そして、あんたの国に襲いかかったんだよ」
エルキトワイルに指を突き付けられて、姫君は小首をかしげた。
「どうして私たちがアスレイトから来たことをご存じなんですか?」
エルキトワイルよりも先にメルキゼデクが質問に答える。
「妹は遠見ができるんだよ。いろいろなことを覗き見してるんだ」
「いやな言い方をしてるんじゃないよ! あたしだって知りたくて知ってるわけじゃないんだ。あっちから勝手にやってくるんだから、わずらわしくてしょうがないよ。おかげでこんな人の来ない沼地のど真ん中で暮らさなきゃいけない」
「遠見というのは、見たいものを見られるのではないのですか」
エルキトワイルはメルキゼデクとそっくりな動作で白髭を撫で下ろす。
「そうさ。なんでもかんでも知りたくもない情報が勝手に頭の中にやってくる。あんたたちのことだって、だれかが悪しざまに言ってた声が聞こえたんだよ。この沼の中までやってくるなんて、そうとう強い思念だろうよ」
魔術が一般的ではないアスレイトで育ったイザは、エルキトワイルが話していることをなかなか理解できない。魔術にかかわる会話についていけずに、静かにお茶をすすっていた。のんびりしているようにも見えるその姿をエルキトワイルが強い口調で叱りつける。
「聞いてるのかい、騎士様。え、国を守るのがあんたの仕事じゃないのかい」
「もちろんだ。そのために私たちは黒き魔女を追わなければならない。だが今は私たちが追われる身だ。どこかで体勢を立て直さなければならない」
エルキトワイルは、ふんと鼻を鳴らして馬鹿にした様子でイザを睨め上げる。
「騎士なんてのは口ばっかりだよ。あたしは嫌いだね」
「エルキトワイル、君は失恋の痛手をまだ引きずっているのかね」
「だれがだい! あんな大昔のことなんかとっくに忘れたよ!」
ノワールが熱いお茶をチビチビと飲みながら「しっかり引きずってるみたいだな」と小声で呟く。
「聞こえてるよ! あんたたち、用がないなら出ていきな。あたしは忙しいんだよ」
低い声で恨みをこめたように言うエルキトワイルの迫力にノワールは一歩引きさがった。姫君はそんなことを気にも留めずに次の質問を繰りだす。
「私たちのことを悪しざまに言っていたのはだれだったのでしょうか」
エルキトワイルは右手の指を揃えて額にあてる神への祈りの姿勢をとり、小さく「神の加護を」と呟いた。それから嫌そうに顔を歪めて答える。
「黒き魔女だろうさ。あたしはもう二度とこの名前を口にしないからね。関わり合いになりたくない」
ノワールがミーアに茶碗を突き出してお代わりをせがんでいる様子を眺めながら、メルキゼデクは壁にかけられた護符に手を伸ばした。
「ノワールくん、ちょっとこっちへおいで」
近づいたノワールに壁から剥がした護符を押しつけて、メルキゼデクが聞いたことがない言語でなにかを語りだした。
その言葉がエルキトワイルとミーアにはわかるようで、二人は真剣に耳を傾けている。
「と、いうわけだ」
語り終えたメルキゼデクは、ふーっと深いため息をついた。
「なんだよ、俺になにをしたんだよ」
なにが起きたかまったくわからず、ノワールは護符を押しつけられていた場所を擦りながら気持ち悪そうに顔を歪めている。メルキゼデクが「いや、すまなかったね」と微笑む。
「呪いの中から黒き魔女の記憶を読み取っていたのだよ。過去がわかれば行動が読める。だが、さすがと言おうか。彼女は一切、ヒントを残してくれていない。ノワールくんの中にある呪いは、完璧に目隠しされて正体が読めないようにしてある」
エルキトワイルが自分の髭を三つ編みにしながら呟く。
「そんじょそこらの魔術師が魔女に太刀打ちできるもんかい」
「では、魔女であるエルキトワイル殿ならば、なにかわかることがあるのではないだろうか」
真面目な表情を崩さないイザにエルキトワイルが怒鳴る。
「あたしは魔女じゃないって、何度言えばわかるんだい! これだから、騎士なんてのは、しょうがないんだ。人の気持ちもわかりゃしないし、学問だって中途半端だ」
エルキトワイルの剣幕にイザは叱られた子どものように小さく縮こまった。
「申し訳ない」
そっと謝るイザがおかしくて姫君はくすくすと笑う。その声に気持ちをほぐされたのか、エルキトワイルはイスに深く座りなおしてため息をついた。幼子に説いて聞かせるようにイザに語り掛ける。
「魔女ってのは魔物の一種だよ。いや、魔物の親分ってところかね。あたしはこう見えてもれっきとした人間さ。一緒にしないでおくれ。まあ、魔女も魔術師も、どちらにしろ喜ばれるような力を持ってるわけじゃないんだけどさ」
「魔術は死の力だとメルキゼデクが言っていたが、喜ばれないというのは、死にかかわることだからだろうか」
「そうさね。人は死にかかわる諸々を嫌がる。だがね、もっと率直に魔術師は死を呼ぶからね。あたしたちは言わば武器、戦争の道具だよ」
姫君は武器と聞いて、イザが腰につけている短剣を眺めた。人を殺めるものだ。
「けれど、パンを切りわけることもできるわ」
突然、ぽつりと呟いた姫君の視線が短剣に向いているのを見たエルキトワイルは「そうさね」と嬉しそうに微笑んだ。
機嫌よく髭を三つ編みにしあげたエルキトワイルにノワールが尋ねる。
「ところでさ、あんたは男なの、女なの」
「その目玉は飾りものかい。どう見たって女だろう」
ミーアがそっとエルキトワイルの腕に触れながら囁く。
「おば様、幻惑の術がかかったままです」
エルキトワイルは目を見開いた。
「なんてこった。もう何年もかけっぱなしだったのを忘れてたよ」
そう言った途端、メルキゼデクと同じ姿だったエルキトワイルは小さな体のおばあさんに姿を変えた。
「いやだ、じじいのへんちくりんな姿のままのあたしを晒しちまうなんて。この美貌が本当のあたしさ。とくと見ておくれ」
たしかに、顔立ちが整っていて、皺はあるが肌は柔らかそうだ。髪も白くはあるがツヤがある。若い頃はどれほどの美しさだったかと過去に戻ってみたく思われる。
「それで話が噛み合わないはずだよ」
と、エルキトワイルは一人で頷く。
「こんなに美しい女が魔女なわけないだろう」
エルキトワイルの言葉に姫君は首をかしげる。
「黒き魔女は、とても美しい姿をしていました。美しさとはあまり関係がないのではないでしょうか」
「心の美しさを見るんだ、うすっぺらな皮一枚に騙されたらいけないよ。女の魔術師は魔女だなんて思いこんで人を沼地へ追いやるようなやつになってもらっちゃ困る」
「もしかして、エルキトワイルさんがメルキゼデクさんと同じ姿でいたのは、魔女と間違われないようにするためですか?」
「そうさ。知識がなくて恐れるだけならいいものを、よくわからないからって排除しようとする。人間だって魔物とたいして変わりないよ。あんたたち、これからハギルに行くなら、しっかり肝に銘じておきな。あの国はこことは違うところだからね」
エルキトワイルは気持ちを落ち着けようというのか、茶碗に向き合い、一気にお茶をすすった。