お姫様は逃亡中3
鳥が飛んでいった方角が真東とすると、メルキゼデクが向かっているのは南だろうと姫君はあたりをつけた。城側から数えて二つ目の城門があり、そこを抜ければ貧民街がある。
自分たちが入ってきたときには門は大きく開かれていたが、今も通れるかどうかはわからないと姫君は思う。メルキゼデクや自分たちを探すのなら、出口は一番にふさぐはずだ。
幼いころに鬼ごっこをした時の知識でしかなかったが、予想は当たり、城門近くには赤々とかがり火がたかれている。
「さて、ミーア。どうしようか」
物陰に隠れて城門にたむろする衛兵の姿を眺めつつ、メルキゼデクが尋ねた。
「化けましょうか、師匠」
「そうさな。じゃあ、頼むよ」
二人だけで会話は終了し、ミーアが姫君の正面に立って、姫君の眉間に人差し指を押しつけた。途端に姫君は、襤褸を着て裸足のままの少年に姿を変えた。その姿を見てノワールが唸る。
「呪いか!」
借りものの短剣を、イザが構えてミーアに向ける。ミーアは慌てて姫君の陰に隠れた。少年の姿になった姫君は両手を大きく広げてミーアをかばいながら、不思議そうに瞬きする。
「どうしたの、イザ、ノワール。顔が怖いわ」
聞き慣れたのんきな姫君の声に、イザが動きを止めた。ミーアは隠れたまま「大丈夫です、呪いじゃないです」と囁く。
メルキゼデクが自分自身の眉間をぐっと押した。若返り、髪も髭も黒くなった。服装はやはり襤褸で、裸足だ。
「目くらましだよ。さ、イザくん、ノワールくん。これから私たちは家族ということにしよう」
少年にしか見えない姫君の様子を見ても、きょとんとしているだけだ。危険な様子もないし、なにより今はメルキゼデクを頼るしかない。
二人はいぶかし気に眉を顰めながらも、メルキゼデクの言う通りに額を差しだした。ぐっと眉間を押され、イザもノワールも、姫君と同じ年代の少年の姿に変わった。
自分で術をかけたようで、いつの間にかミーアは大人の女性になっていた。
「では、行こうか。息子たち、黙ってついてくるんだよ」
一行はメルキゼデクを先頭に、少し後をミーア、二人の後に団子のようになって少年の姿の三人がついていく。
城門のかがり火の灯りの中に五人の姿が入り込むと、衛兵たちの鋭い視線が飛んできた。メルキゼデクは緊張しているふりをして、そっと近づいていく。
姫君はふりではなく、緊張していた。衛兵が手にしている槍の穂先が赤々としたかがり火に光っている。それがいつ自分に向けられるかもしれないと思うと、手が震えた。
「止まれ。どこへ行く」
衛兵の問いに、メルキゼデクは声を震わせて答える。
「こ、小屋へ帰るところです。知り合いに食料をわけてもらって……」
「荷物をあらためる。貸せ」
メルキゼデクはイザとノワールが抱えている荷物を受けとって衛兵の前で開いてみせた。衛兵はじろりとメルキゼデクを睨む。
「ずいぶんと豪勢だな。盗んだわけではないだろうな」
両手を大げさに振りながら、メルキゼデクは同時に首も左右に振る。
「めっそうもありません! 今日は知人の結婚祝い品のおすそ分けでして」
それでもなにか言おうとした衛兵を、別の衛兵が止めた。
「今はそんなことをしている場合ではない。スパイと謀反人を警戒することに専念しろ」
しぶしぶといった表情で衛兵は道を開けた。姫君は緊張したまま衛兵の側を通ったが、しっかりと鎧と槍を観察した。アスレイトのものとはずいぶん違う。槍は大ぶりで大の男の身長より長い。アスレイトでは肩の高さまでの槍が主流だ。
鎧も皮と木を使ったものが多いが、ポートモリスの鎧は金属のプレートを革ひもで繋ぎ合わせてあるものだった。
「なにを見ている」
厳しい声で問われ、姫君はあわてて顔を伏せた。それ以上はとくに咎められることもなく、一行は無事に城門を抜けた。
すぐに道をそれ、貧しい小屋の間を縫って東へ向かいながら、姫君はメルキゼデクに尋ねた。
「スパイと謀反人を探していたけれど、もしかして、スパイというのは私たちのことかしら」
「こりゃ、息子。そんなこと、冗談でも口にしたらいかんぞ」
叱られて姫君はあたりを見まわした。立派な布包みを抱えたイザとノワールが注目の的になっている。まだ家族のふりをしていなければならない。姫君は慎重に黙り込んだ。