お姫様は食事中
「どうぞ、おかけなさい」
メルキゼデクは三人のために椅子を引いてすすめ、少女が湯気のたつコップを運んできた。
テーブルにつき、コップを受けとる。さわやかな香気のある葉を使ったお茶だった。姫君は初めて触れる庶民的な木製のコップを両手で包みこんで、じっくりと観察してから、お茶を一口飲んだ。
「おいしい」
ふわりと花が開くように笑う姫君を、少女はうっとりとした表情で見つめる。姫君も少女を見つめる。メルキゼデクと揃いの茶色のローブには、まだ絹布は巻かれておらず、見習いなのだろうと思われた。
「ミーア、食事の支度をしようかね」
「はい、師匠」
ミーアと呼ばれた少女は姫君と同じくらいの年齢に見えるのだが、身長はずっと低い。そのミーアは壁際にイスを運んで壁にかけている燻製肉に手を伸ばす。背伸びをしてもなかなか取れない様子を見て、イザが立っていき、ひょいと取ってやる。
「ありがとうございます。私、チビだから、いろいろ大変で」
えへへと笑うミーアに軽くうなずいてみせて、イザはイスに戻った。ミーアは人懐こい笑顔を振りまきながら、燻製肉を切りわけ、スライスしたパンと共に皿に盛り、たびたび姫君を見つめては笑顔を見せつつ、各人の席に置いていく。姫君の皿には他のものより一切れ多く肉を乗せた。
メルキゼデクは鍋の湯に何種類かの葉野菜と塩を入れ、卵を割り入れて手早くスープを作った。いつも弟子に任せきりにせず、二人で分担して料理しているのだろう。手際が良い。
姫君は料理が作られていくところを初めて見て、少しずつ立ちのぼっていく湯気の様子や、調理器具が立てる音、広がっていく良い香り、様々なものに心を奪われた。すでにお腹が空いていたが、料理ができ上がるのを待っていると、空腹がさらに増していくのだと知った。
けれどそれは嫌なものではなくて、わくわくと期待が高まる経験だった。
「お待たせしました。どうぞどうぞ」
メルキゼデクが卵のスープを配り、食事が始まった。姫君は燻製肉の食べ方がわからず、イザを見た。薄くそぎ切りにされた肉をさらに細く裂き、パンと共に口に入れている。ノワールはと見ると、猫特有のするどい牙で難なく噛み裂き、飲み込むように食べている。
姫君は素手で肉に触れる日が来ることなど考えたこともなかった。
いつもナイフとフォークで接することに馴染んだ柔らかな食感を想像して手に取ったのだが、燻製肉は硬く乾燥していて、簡単には割れそうになかった。両手で掴んで力をこめても、裂けてくれない。
「むうう……!」
妙な声をあげながら肉を裂こうと頑張っている姫君を、ミーアがうっとりと見つめている。メルキゼデクはそんなミーアに声をかけた。
「ミーア、ナイフを取ってあげたらどうかな」
「はい」
席を立っても姫君を見つめながら後ろ向きに歩いていく。ノワールが鋭い歯で噛み裂いた肉を飲み込んでからミーアに尋ねた。
「お姫様の顔になにかついてるかい?」
ミーアは視線を移すこともなく答える。
「いえ、あまりにもお姉様がお美しくて、いつまでも見つめていたいんです」
姫君はミーアと見つめあって、恥ずかし気に微笑む。
「褒めてくれてありがとう、ミーア」
姫君の美しい微笑に衝撃を受けたミーアは、よろめきながら棚に倒れ込みそうな勢いだった。それを見ていたメルキゼデクが席を立ち、棚からナイフを取った。
「ミーア、刃物を扱う時は気をそらしてはいけないよ」
優しく諭しながらメルキゼデクは姫君の燻製肉を切りわけてやった。小片にわけてもらった硬い肉と一生懸命に格闘する姫君は、幼い子どもががんばっているような長閑さを感じさせて、見ていて飽きることがない。一同に見つめられながら、姫君はなんとか食事を終えた。
ミーアは片付け時にも姫君から目を離せず、メルキゼデクは「座っていなさい」と言って一人で片づけを始めた。イザが立って手伝うことにして、ミーアは空いたイザの席、姫君の隣に陣取ってイスを近づけた。
「あの、お姉様のお名前はなんとおっしゃるんですか?」
「わからないの」
姫君の答えにミーアは首をかしげた。
「私、名前を忘れてしまったの。黒き魔女に呪いをかけられて」
「なんと! 黒き魔女!」
メルキゼデクが飛びつくようにテーブルに戻ってきた。
「まさか、黒き魔女まで現れたとは……。この国はどうなってしまうのか」
皿を拭いていたイザが手を離し、メルキゼデクに尋ねる。
「黒き魔女まで、というのはどういう意味だろうか。他にも脅威が迫っていると街でも聞いたのだが」
メルキゼデクはゆっくりとイスに腰かけながら深いため息をついた。
「アスレイト王国から宣戦布告があったのですよ」
「まさか! そんなことはありえない! 我が国とポートモリスは友好国ではないか!」
イザの剣幕に驚いたミーアが姫君の腕にすがりつく。姫君はミーアのために優しく話す。
「私たちはアスレイトの国の者なの。彼はイザ。騎士団に所属しています」
イザは落ち着きを取り戻そうと深呼吸してから、軽く頭を下げた。
「彼はノワール。私の友人です」
ノワールは熱いお茶を少しずつ舐めながら頷く。
「私は……、私です」
ミーアは不思議そうにメルキゼデクを見上げる。
「師匠、名前を忘れてしまうって、どういうことなのでしょう」
メルキゼデクは長い白髭を撫でながら考え、考え、話しだした。