お姫様は宿替え中
「お姫様、どうかしたの?」
イザに手を引かれてやってきた姫君に、ノワールが声をかけた。姫君は思索から意識を戻して、ノワールを見つめた。そうだ、やっとはっきりと納得できた。私は私を探さなければならないんだ。
探し物なんて子どもの頃のかくれんぼう以来かもしれない。そう考えると、なんだか楽しくなってきた。
「なんでもないわ。お待たせしてしまって、ごめんなさい」
明るい姫君の言葉にメルキゼデクは「なんの」と答えて歩き出す。
「あなたたちはアスレイトから来たんですな」
「まあ、どうしてわかったのかしら」
のんびりした姫君に、メルキゼデクは「はっは」と笑う。
「アスレイトの騎士が検問に引っかかって通れなかったと噂になっておりますぞ。そして、そちらのお方のお衣装は確かにアスレイトの紋章が縫い込まれていますからな」
噂になっているなどとは思いもよらなかったイザは、城門前で騒ぎを起こした失態を恥ずかしく感じて黙り込んだ。
通りを歩くメルキゼデクを見つけて、街の人たちが幾人も、わざわざ寄ってきて挨拶をしていく。
「先生、明日またうかがってもいいかね。薬がなくなってね」
「ああ、薬を準備しておくよ」
「じゃあ、また明日。おやすみなさい」
去って行く中年の男を見送り、姫君はメルキゼデクに尋ねた。
「メルキゼデクさんは医術師なのですか?」
「いやいや、ただの魔術師ですな。ただ、薬草やら木石やらの研究をしておりまして。それを皆さんに、お分けしておるのですよ」
「まあ、魔術師なのに医術師のお仕事も兼ねているなんて、すごいわ」
「いや、なんの」
メルキゼデクは褒められてまんざらでもないようで、肉の削げたような細い頬を赤らめた。
姫君は城付きの魔術師と医術師のことを思い出した。二人はとても仲が悪い。魔術師は、人は病むのも死ぬのも世界の摂理の内のこと。みだりに手を出すものではないという意見だ。
対して医術師は、生き物であるならば、生ある限りもがき続け、どんな手段を取ってでも命を守らねばならないと力説する。
教会の教えは、神は十分なものをすでに人々に与えているので日々に満足して生きよという。その十分に与えられたものが、十分な寿命であるのか、十分な医療知識であるのか諭されてはいない。二人の意見の食い違いには、いつまでもケリはつかなかった。
「もうつきますぞ」
メルキゼデクについて角を曲がると、建物の陰から鬱蒼とした森が現れた。街中に忽然と姿を見せたその森は、見上げるほどに背の高い広葉樹と、手入れされないままの下草とで、昼間であっても暗かろうと思われた。
「ここが私の家です。さ、どうぞ」
そう言ってメルキゼデクはヒョイヒョイと草を踏み分けて森の奥に進んでいく。どこにも道など見えなかったが、メルキゼデクが歩くとそこに瞬時に空間ができる。人が二人すれ違えるほどの広さの道がみるみる伸びていくのは、爽快でもあるが、不気味でもある。
本当にメルキゼデクについていって良いものか、イザは迷って足を止めた。呪いを受けたことで魔法というものに不信感しか持っていないノワールは、あからさまに警戒している。
ただ一人、姫君だけが楽し気にメルキゼデクが歩道を開拓しながら進む様を見ていた。
「イザ、ノワール、どうしたの? 早く行きましょう」
二人の手を取って姫君が引っぱる。イザは引かれた手を引っぱり返して姫君の前に出ると、慎重に進みだした。
「足元に気を付けて」
そう言って姫君の手を引くイザの動きを確認してから、ノワールが黙って姫君の背後を守るように後方を歩く。見知らぬものに対しては安全対策をはかる、などということに思い至らない姫君は、二人の緊張した様子の原因はなにかと首をひねりながら後をついていく。
三人が通ってしまうと草は勝手に立ち上がり、元のように繁みになってしまったが、そのことに気づいたのはキョロキョロと楽し気に辺りを観察していた姫君だけだ。
メルキゼデクは大木の前で立ち止まった。あまりに大きな樹だ。何年生きているのか想像もつかない。ぐるりと樹の周りを巡るのに、どれくらいの時間がかかるか予想もつかない。先ほど見た宿屋が三軒くらいは入りそうだ。はるか上空に広葉樹らしい丸みを帯びた葉が見える。
木の枝なのか根っこなのか瘤なのか、判別のつかない突起が地上すれすれに這っている。そのすぐ上にも、またその上にも、少しずつ位置をずらして突起は上方に続き、階段状になっていた。
「この木が私の家でしてな。少し上りますぞ」
メルキゼデクは幹から飛び出した突起に足をかけ、ひょいひょいと上っていく。イザが慎重に突起に足をかけて強度を確認した。姫君に手を差しだし、先導する。
姫君はドレスの裾をつまむような仕草をしかけたが、自分のスカートが短いということを思い出して手を止めた。この服はとても動きやすくできている。旅の中では動きやすいことが重要なのだなと改めて感心した。
城にいる時は動きやすさなど考えたこともなかった。唯一、姫君が体を動かす機会といえばダンスなのだが、その時は普段よりもずっと動きにくい、裾にボリュームのあるドレスを着る。
この服ならば、もっと色々なことができる気がする。きっと呪いを解くことも、黒き魔女を止めることもできるはずだ。初めて袖を通した時にはひどく頼りない気持ちになったが、今ではこんなに頼もしい相棒になってくれて心強かった。
階段を上りきったところに、イザの背丈より大きな洞があり、メルキゼデクはその洞の中に向かって「帰ったよ」と声をかけた。キイとなにかが軋む音がして洞の中が明るくなる。
「お帰りなさいませ、師匠」
少女の声にメルキゼデクは頷き、振り返った。
「さあ、どうぞ中へ」
そう言いおいて先に中へ入る。警戒を解かないままにイザが続き、なにが見られるのかと好奇心いっぱいの姫君がイザに手を引かれて洞の縁に立った。
「まあ!」
洞の中はかなり広い。城の馬場ほどもありそうだ。見あげても、ろうそくの灯りが届かないために、頭上はどこまで穴が開いているのかわからない。部屋の中央には十人は座れそうな丸テーブルがあるが、椅子は六脚。そして、部屋の中には一人の少女がいるだけだった。
「お客様でしたか。いらっしゃいませ」
少女は礼儀正しくお辞儀する。メルキゼデクはノワールが洞の中に入ったことを確認してから、ゆっくりと手を上げた。空中から芽が出るように扉が現れ、洞を閉じた。姫君は目を丸くして目の前の不思議に見惚れている。
「さあ、まずは夕飯にしましょうか」
メルキゼデクは三人をテーブルに招いた。