お姫様は宿の中
部屋中を駆け回っていた猫たちは、体力が尽きたたようで床にへたりこみ、黙り込んだ。ノワールが近づき、二匹の首根っこを掴んで両手にぶらさげた。
「さて。こいつらを、どうするかだな」
イザはできるだけ猫から距離をとろうと壁際に立ったまま答える。
「強盗犯として逮捕すべきだろう」
ノワールはあきれ返ったと言わんばかりの表情でイザを見る。
「猫を捕まえる兵士がどこにいるのか、教えてもらいたいもんだな」
言葉に詰まったイザを放っておいて、ノワールは部屋の隅に積み上がった、酒瓶が入れてある木箱に猫達を放り込み、蓋をする代わりに座り込んでしまった。
「まあ、ノワール。そんなことをしたら、かわいそうよ」
椅子に腰かけたまま、おっとりと言う姫君にノワールは厳しい顔をしてみせる。
「お姫様、ちょっとのんびりしすぎだよ。こいつらは、相当な悪党だ。遠慮なんかしてたら怪我をする」
「でも、今は悪党ではなくて、猫だもの」
もっともな言葉にノワールは言い返すことができない。猫から離れられて安心したイザが二人の側に近づいてきた。
「この者たちが猫になったのは、ノワールの呪いが移ったということなのか?」
「呪いのことなんかよく知らないけど、そうなのかもな。イザも猫になりたかったらいつでも言ってくれよ」
突然、姫君が椅子を鳴らして立ち上がった。ノワールは瞬きして尋ねる。
「お姫様、どうした?」
「本当に呪いの力は強いんだわ。早く黒き魔女のもとへ行かなければ、ポートモリスが大変なことになるわ。急ぎましょう」
そう言って歩き出そうとした姫君は、痛みに顔をしかめる。イザがレディに対するしぐさで椅子の背を押し、姫君を座らせた。
「少し、準備を整える時間をとろう。君の怪我も手当てしなくては」
穏やかな声のイザに説得されて、姫君はこくりと頷いた。
雑貨屋として営業していたのが何年前かはわからなかったが、店にはまだ使えそうなものが多少は残っていた。店の奥から包帯が、二階からは怪我に塗れるような馬の油も見つかった。
応急手当てができるだけの品を携えたイザは、椅子に座らせた姫君の前にひざまずく。
「怪我の手当てのために足に触れてもよろしいだろうか」
「ええ、お願いします」
礼儀正しいイザの言葉に姫君も生真面目に答える。イザは姫君のふくらはぎにそっと手を添えて靴を脱がせ、てきぱきと傷の手当てをしていく。
隣の椅子に座っているノワールは興味深げにそれを眺めていた。
「人間っていうのは不便だな。怪我なんか舐めれば治るのに」
「猫と一緒にするな。人間には知恵がある。医術を進歩させるのは、不便でもなんでもない」
包帯を巻きおわり、姫君に靴を履かせる。
「立てそうか?」
姫君はイザの手を借りて、そうっと立ち上がる。右、左と足踏みしてみて、パッと顔を輝かせた。
「すごいわ、痛みが軽くなったわ。これなら歩けそうよ」
イザが優しく笑う。
「そうか、良かった」
姫君は、まじまじとイザの顔を見上げた。
「どうかしたか?」
「久しぶりにイザの笑顔を見たような気がするわ。嬉しい」
そう言って花がほころぶような笑顔を浮かべた姫君から、イザは目を離せなくなった。姫君はイザの両手をとり、ぎゅっと握る。
「これからも仲良くしてね、イザ」
イザの表情が、どこか気恥ずかし気なものに変わったことにノワールは気づいたが、からかうような気分にはなれず、黙ってそっぽを向いた。