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お姫様はお急ぎ中

 星の瞬きがどこか弱々しくなったと思っている間に、みるみる空が白み始めた。山を下りた三人はどこまでも続く平野にひと筋、真っ直ぐに伸びる街道を歩いていた。


 その平野に少しずつ金色の光が広がり、星がほのかに消えていく様はとても美しいものだったが、姫君にはその景色に心を寄せる余裕はなかった。

 履き慣れない靴と、経験したことのない長歩きのせいで足の裏はまめだらけだった。ダンスの特訓をうけたときにも、まめを作ったことはあったが、できては潰れ、またできるというような過酷な目にはあったことがない。

 だが、急がねばならないと歯を食いしばって歩いてきたのだった。


 真っ直ぐ前だけを見て先を行くイザと、足の痛みをこらえて歩く姫君を見比べながらノワールが言う。


「なあ、そろそろ休憩しないか」


「またか。一晩のうちに何度休憩を取れば気が済むんだ」


「騎士様はいいかもしれないが、女性が一緒なんだ。気をくばれよ」


 イザはハッと振り返り、姫君を見た。姫君は元気そうに見えるよう、笑顔を作る。


「私なら大丈夫よ。見ての通り」


 いくら頑張っても、姫君の声には疲労がにじみ出てしまう。イザは礼儀正しく頭を下げた。


「すまない。気が焦るばかりに無理をさせてしまった。休憩しよう」


「本当に大丈夫なの。ポートモリスまで急がなければいけないんだもの。弱音は吐けないわ」


「だが……」


 二人の間にノワールが割って入って、姫君を横抱きにひょいと抱き上げた。


「こうやって行けば解決だな」


 姫君は突然のことに驚いて目を丸くした。ノワールは姫君に優しく微笑みかける。男性に抱きあげられたことなどない姫君は恥ずかしさに顔を真っ赤にした。


「下ろして、ノワール。私、自分で歩くわ」


「無理しなくていいよ。いつも俺が抱いてもらってたから、恩返しだ」


「だけど……」


 イザが怖い顔でノワールを睨む。


「嫌がっているだろう、彼女から離れろ」


「嫌がってるんじゃない、恥ずかしがってるんだよ。イザは女心ってもんが爪の先ほどもわかってないな」


 ノワールはイザを無視してスタスタと歩き出す。姫君はすぐ近くにあるノワールの金の瞳を真っ直ぐに見ることができなくて両手で顔を覆ってしまった。イザがそれを見て眉を吊り上げる。


「彼女が泣いているじゃないか」


 イザの勘違いをノワールは笑い飛ばし、姫君はあわてて否定する。


「違うの、イザ。泣いてなんかいないわ。ノワールが言ったとおり、ちょっと恥ずかしかっただけなの」


 真っ赤な顔の姫君を見て、イザは肩に入っていた力を抜いた。


「そうか。それは……、失礼した」


 どちらに対しての詫びなのかわからぬまま、ノワールが「いえいえ」と答える。イザはちらりと姫君に視線をやったが、姫君はイザとも目を合わせようとしなかった。


「お姫様、危ないからしっかりつかまってた方がいいよ」


「つかまるって、どこに?」


「俺の首に手を回して」


 姫君は耳まで真っ赤になってしまう。また両手に顔を埋めて小声で「無理です」と呟く。ノワールは楽しそうに笑って歩き続ける。イザはもうなにも言わず先頭に立ち、姫君を抱いたノワールが歩きやすいような速度で歩みを進めた。




 日がしっかりと昇って暖かくなったころ、道の先に建物が見えた。道沿いにぽつんと一軒だけ、木組みで白い土壁の、大きめの民家かと思われるものだった。

 ノワールが先を行くイザに尋ねる。


「イザ。お前さん、この辺りには詳しいのか? あの建物がなにか知ってるか?」


「いや、わからん。ポートモリスに行ったのは一度きりだ。それも騎馬だったから、この道をただ通り過ぎただけだ」


 姫君も首をめぐらせて行く手を見てみた。もちろん、城からほとんど出たことがない姫君なのだから、平民の暮らしのことなどわかろうはずもない。だが、アスレイトで見た民家などに比べて、ずいぶんと粗末であることはわかった。

 その建物に近づくと、小さな看板が二枚、並べて掛けられているのが見えた。雑貨屋のものと宿屋のものだ。

 遠くから見て感じたよりも、ずっと粗末な造りで古びていて、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。手入れも悪く、土壁がところどころ剥げ落ちている。


「この店で少し休もう」


 イザの提案をノワールがからかう。


「へえ、珍しい。気を利かせることもあるんだな」


「馬を借りられるかもしれん。寄ってみる価値はある」


 平然とした表情で真面目な返事が帰ってきて、ノワールはつまらなそうに「あっそ」と言う。宿屋のドアを開けてイザが中を覗いた。


「失礼する」


 声をかけると二階から足音が聞こえた。階段を踏み抜きそうな大きな音をたてながら、でっぷりと腹が突き出た小男が姿を見せた。


「これはこれは、騎士様。こんなむさくるしいところに、なんのご用で?」


 男はいぶかしんだ様子で、イザの髪の先から爪先までさっと観察した。


「我々はアスレイト王国から来たものだ。ポートモリスまで行かねばならないのだが、馬を二頭、借りることはできないだろうか」


 イザの丁寧な物言いにホッとした様子で男は表情をゆるめた。禿げ上がった額を撫でながら少し考え、にやけた笑いを浮かべる。


「それはもちろん、お貸しいたしますよ。ただ、この辺りでは飼い葉にするようなものが採れないもんですから、馬は少々、お高くなってましてね」


「いくらだろうか」


「一頭がアスレイト金貨三枚ですねえ」


「わかった」


 さらりと了承したイザを、男は目玉が飛び出しそうなほど驚いて見つめる。イザはそれを不可思議に思いながら話を続けた。


「それと、しばらく休ませてほしいのだが」


「はい、はいはいはい、もちろん! 部屋をご用意しますので、少々お待ちを」


 ドタドタと二階に駆け上がる男を見送ってから、ノワールはイザに尋ねた。


「アスレイト金貨三枚ってのは、ずいぶんと高額なんじゃないのか」


「わからん。馬を買ったことはない」


 ノワールは小さくため息をつく。


「金貨三枚で何回くらい食事ができる?」


「そうだな。城下町の酒場でなら一年は」


 ノワールは大きなため息をついた。


「お前さん、買い物が下手だな」


 姫君が口を挟む。


「ノワールは買い物上手なの?」


「猫が買い物なんかするわけないよ、お姫様。城に出入りの商人が値段の交渉やら、売り込みやら、忙しそうにしているのを見て知ってるだけだ。イザの買い物は、ぼったくられたっていうやつ」


「ぼったくられた?」


 初めて聞いた言葉に首をかしげる姫君に、ノワールは頷いてみせる。


「不必要に高い金額で、不公平な取引をしてしまったってことだよ」


 イザはむっとした様子で黙ったままだ。ノワールはそれを面白そうに眺める。


「あんた、値引き交渉をしたことはあるのか?」


「ない」


「支払いの時にちゃんと交渉しろよ」


「一度決めたことをひるがえすことなどしない」


「やれやれだな」


 ノワールはたいして興味も無さげな様子で言うと、イザから視線をそらして部屋を見渡した。

 外から見た印象よりは広い部屋だ。腰高のカウンターと壁に据え付けられた木製の棚が雑貨屋であることを示してはいたが、棚にはほとんど品物は置かれていない。店の奥は厨房にでもなっているのだろうか、油じみた感じがする部屋に続く扉がある。

 部屋の真ん中に丸テーブルがひとつと椅子が八脚ある。ノワールは身をかがめて姫君を床に立たせた。姫君は足の痛みに顔をしかめる。


「大丈夫?」


 心配そうなノワールに姫君は申し訳なさそうに言葉を返した。


「ありがとう、私は大丈夫よ。それより、ノワールこそ大丈夫? 疲れてしまったでしょう」


 ノワールは優しく微笑む。


「平気さ、お姫様のためならね。だれかを抱きしめるっていうのはいいもんだな。いつもお姫様が俺を抱いていたわけがわかったよ」


「そうね、抱きしめるってなんだか安心するわ」


「今、抱きしめる?」


 姫君は首をかしげる。


「なにを?」


「俺を。いつもしてるみたいに」


 姫君の顔がみるみる真っ赤になって、それを隠すように両手で顔を覆った。小さく「無理です」という声が聞こえた。ノワールがくすくすと笑うと、イザがノワールに厳しい声で言う。


「女性をからかうようなことをするな」


「からかってやしないさ。本心しかしゃべらないよ、俺は」


 まだなにか苦言を呈しそうなイザを放っておいてノワールは椅子に腰かけた。イザがそれについてもなにか言う前に、ドタドタと足音が二階から響き、すぐに小男が顔を出した。


「お待たせして申し訳ありません。今、窓を開けて空気を入れ替えておりますので、先に馬をご覧になってはいかがでしょう」


「そうさせてもらおう」


 イザを案内するため小男が先に立って扉を開ける。姫君も歩き出そうとしたが、痛みのせいで顔をしかめて足を引きずった。


「おやおや、お嬢さんは具合でも悪いんですか?」


「あの、具合は大丈夫なのですが、足にまめができてしまって」


「それは大変だ。怪我の手当てをしましょう。ああ、騎士様方はどうぞ、先に馬を見ていてください。この建物の裏に繋いでおりますから」


「わかった。では行くぞ、ノワール」


 ノワールは座ったまま、不思議そうな顔で振りかえる。


「なんで俺が?」


「なんでとは、なんだ?」


「もしかして、俺に馬に乗れって言ってる?」


「そうだ」


 ノワールは、さも嫌そうに眉を顰めた。


「まっぴらごめんなんだけど」


「わがままを言っている場合じゃない」


「あのなあ、猫が馬に乗るなんて、そんなおとぎ話みたいなこと、できるわけないだろ」


 イザは、はたと動きを止めた。


「もしかして、馬に乗ったことがないのか」


「当たり前だろ」


「来い、練習せねば」


 イザはノワールの腕を引っぱり、軽々と立ち上がらせた。ノワールは嫌がって腕をもぎ離そうとしたが、まったくかなわない。


「嫌だ、ぜったいに嫌だ」


 嫌々、嫌々と言いながら、ノワールはイザに引きずられていった。


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