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お姫様は城の中

 前後左右、どこもかしこも黒かった。暗いのではなく、全てが黒いのだった。自分の目も耳も声も黒くて、この世の中のどこまでが外で、どこからが自分なのかわからない。


 頬に両手を当ててみた。感触があるようなないような、皮膚がなくなってしまったかのような不安な気持ちがする。力をこめたら手がどこまでも、ずぶずぶと体の中に入っていってしまいそうだ。


 自分は本当にここにいるのだろうか。もしかして自分は真っ黒のなかに生じた、ただの思い過ごし、一瞬の気の迷いなのではないだろうか。


 怖いという思いさえ湧いては来ない。ただ、黒い。黒でいるのは不思議に落ち着いた。





 ふと、何かが聞こえた。人の声のようだ。その声は黒くはない。よく知っている声だ。幼いころから耳馴染んだ、とても好きな、落ち着いた、低い……。


「起きろ!」

 肩を強く揺すられて目が覚めた。目の前には、がっしりとした体格の若い騎士がいた。


「立て」


 王直属の親衛隊の白い隊服を着た若者に腕を引き上げられ、立たされた。どうやら床で眠っていたようだ。なんでそんなところに自分はいたのだろう。頭がぼんやりして思い出せない。

 辺りを見回すと、たくさんの人が自分を取り囲んでいた。数人の兵士、上品な制服のメイドやハウスボーイたち、見慣れた乳母、他にもいろいろ。


「何者だ」


 自分の腕をつかんでいる騎士に問われて彼女は首をかしげて背の高い騎士を見上げた。


「何者って、私よ」


「姫君はどこだ」


「どこって、ここにいるじゃない。あなたの目の前に」


 青い目の騎士は眉を顰めてまじまじと彼女を見た。真っ白な肌、ゆるく波打つ長い金の髪、輝く緑の目はどこまでも澄んで清らかだ。だが騎士は、彼女の美しさが見えないかのように怒りの形相を崩さない。彼女は首をかしげた。


「私がどうかしたの?」


 側で聞いていた乳母が甲高い声を上げた。


「姫様はどこ! 無事でいらっしゃるの!」


「無事に決まっているわ。私の姿が見えないの?」


 乳母も騎士と同じように眉を顰めた。


「まさか自分が姫様だとでも言うつもり?」


「もちろん、そうよ」


 その言葉を聞いた乳母が眉を吊り上げて、つかつかと寄ってきた。彼女のナイトドレスの袖を乱暴に引っ張る。


「このドレスはあなたみたいな犯罪者が触れていいものではありません。すぐに脱ぎなさい」


「犯罪者?」


 乳母は問答無用とばかりにドレスの裾を握ってめくり上げようとした。


「お待ちください、マルタ様!」


 騎士が慌てて止めに入る。


「女性の服を剥ぎとるなど、とんでもない……」


「ならばイザ様。姫様のお洋服をこの誘拐犯がまとっていることを許せるのですか?」


 乳母は言葉を叩きつけるかのように厳しい声を出した。イザと呼ばれた騎士は叱られた子どものように黙ってしまった。乳母はそれでも女性の尊厳を守ろうという騎士の信念を尊重したようで、彼女から手を離した。イザはほっと息をついた。


「私どもは部屋の外に出ております。その者にふさわしい衣服を与えてください」


 彼女は自分の周りで取り交わされる会話に首をかしげるばかりだ。

 誘拐犯? だれが誘拐されたというのだろう。


 見物人がぞろぞろと部屋を出ていく。

 入れ代わりに姫君付きのメイドが服を持って駆け込んできた。イザがドアの前に仁王立ちになっている。メイドはイザにしかっかりと頷いてみせるとドアを閉めた。


「さあ、さっさと姫様のドレスを脱ぎなさい!」


 乳母に命じられて彼女は大人しくナイトドレスを脱いだ。メイドが抱えていた服を彼女に投げつける。


「あんたなんか、この服でももったいないわ」


 メイドが発した吐き捨てるような口調を彼女はあっけにとられて聞いた。だれかから乱暴な言葉遣いを受けたことなどないし、怒りを向けられたこともない。初めての経験に、ただただ驚くばかりだ。


「なにをしているの。早く服を着なさい。それともやはり裸のまま部屋の外に引きずり出しましょうか」


 乳母が冷たい声で言う。これもまた初めて聞く声音だった。彼女は乳母とメイドの顔を交互に見ながらも投げつけられた服を拾って袖を通した。

 織の荒い麻布を適当に縫っただけといった粗末な服だった。布が肌にこすれるとちくちくと痛い。上質な布にしか触れたことがない彼女は、いったいこの服はなんのために作られたのだろうかといぶかしんだ。


「さすが犯罪者。囚人用のドレスがよくお似合いだわ」


 メイドが嘲りながらドアを開けた。イザは先ほどと全く同じ姿勢で立っていたが、見物人はいなくなっていて衛兵が三人だけ残っていた。イザは着替え終わった彼女を見ると乳母に一礼して部屋に入り、彼女の腕を再びつかんだ。


「来い」


 二人の後ろに衛兵達がついてくる。彼女は裸足のまま引きずられるようにして廊下を進み、階段を降りた。


「どこへ行くの、イザ」


 彼女が尋ねるとイザは眉間に深い皺を寄せた。名前を呼ばれたことが気に入らないらしく、いかにも不快げに答える。


「口を開くな。次に喋っていいのは裁きの時だと覚えておけ」


 裁きってなんのことだろう。聞いてみたかったが彼女は命じられたままに素直に口をつぐんだ。


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