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幻の魔石

君は俺にとっての幻の魔石だ

作者: 高瀬コウ

 幻の魔石について公式には不明とされている。

 しかし、唯一王国公式文書として記録されている幻の魔石についての記述が存在する。

 それはある国王の魔術師へ向けた発言であった。

「君は俺にとって“幻の魔石”そのものだ」



 オリヴィエ・エストランディ・ライドールは、つかの間の休息を楽しんでいた。無論、いつもの宮殿での休憩ではなく、れっきとした休暇である。自軍が勝利した戦から無事帰還したものの、戦後処理や逃げ帰った上司の始末などで目が回るほどに忙しく、全てが落ち着いてから休暇を取ったのだ。

「何でここに?」

「俺がいては駄目か」

 邪魔者がいない休暇を満喫していた…はずであるが。

 オリヴィエの目の前に、客間で優雅にくつろぐダートル王国第10代国王エドモンド・マグワイア・リル・ダートルがいるではないか。

 ここは魔術研究の暴発が起こり、知らぬうちに宮殿になってしまったのだろうか。いや、暴発は起こっていないし、どう考えてもここはライドール邸だ。

 お決まりの休憩場所に現れる際と変わらぬ民のような姿をした国王は、日に煌めく誰もが憧れる金髪を半分程後れ毛を残したまま後頭部で一括りにして無造作に結んだ髪型をしていた。常態、結ぶことのないエドモンドにしては珍しい髪型であった。

「師匠…父様があなたを招いたんですか?」

「ああそうだ。俺は“蒼の君”としてライドールに招待されている。オリヴィエは知らないか。ライドールと俺は前国王時代からの旧知だ」

 手には香りからして魔術師ニック・マルティーバ・ライドール特製の薬草茶を持つ、エドモンドは驚くオリヴィエを満足げに見やる。

「…そうでしたか、知らなかったですよ」

 エドモンドのしてやったり顔に幾分か苛立ちを覚えたオリヴィエは、その足でこの屋敷の主の元へ向かうことにした。



 師匠ライドールがエドモンド国王を“蒼の君”というオリヴィエがつけた、オリヴィエとエドモンドしか知らない呼び名で屋敷に招いたということ。

 それが示すのはエドモンドとオリヴィエが国王と宮仕えの下っ端魔術師の関係以上に、仕事の休憩時間に言葉を交わすほどの顔見知りであることを師が把握したのだ、と考えられた。このことを黙っていたことで怒られるかと思ったが、ライドールが怒るならばエドモンドを屋敷に招くようなことはやらないだろう。しかし、弟子に何も伝えずにエドモンドを招いたことにはそれなりの目的があるのかもしれない。オリヴィエには師の考えが読み切れなかった。

「もちろん、父様はかの君がどなたかご存知ですよね?」

 これが屋敷の主ライドールの部屋へ入室直後の第一声である。

 全てにおいて全戦全敗中の師匠を問い詰めることも文句を述べることもできないことは理解していたが、これぐらいの確認をしたっていいはずだ。

「お前と…エドモンド様が知り合いだと言うのも聞いている。何でも、先の戦で魔術の暴走の危機を助けてもらったとか」

 入室の挨拶もない騒がしい弟子に呆れながらライドールは読んでいた分厚い魔術書を閉じ、鋭い視線を向けた。

「そ、それは!本人から聞いて…?」

 国王と知り合いということが知られた以上に、まずいことを知られてしまったとオリヴィエは青ざめた。

 魔術の暴走の危険性について普段の寡黙さを忘れたかのように熱心に説いたのは、目の前にいる鉄仮面の師匠ライドールだった。これは違う意味で怒られる。しかも、こっちの方がやばい。

「そうだ。本当に……お前はバカ弟子だな」

 眼力の強い目に睨みつけられ、更に凄みのある声でバカ弟子呼ばわりされれば、修業時代のトラウマからオリヴィエの体は硬直した。

 そして久しぶりに弟子の頭上に特大の雷が落ちた。



 魔の化身となった養父に散々絞られたオリヴィエはくたくたになりながらも、未だに客間で優雅に魔術書を読んでいたエドモンドに視線を動かした。

 自分の思い込みでなければこの男はこの国の王だったはずである。いくら“蒼の君”として招待されたとはいえ、国王が長期間宮殿の外にいるのはまずいのではないだろうか。

「蒼の君、お帰りはいつですか?」

「…君はなぜ、俺を帰らせたがるんだ」

 昔の偉人が書き記した魔術師のバイブルである魔術書から、視線を外したエドモンドは嫌そうな顔をしてオリヴィエを睨む。

「だって、あなたが宮殿の外にいつまでもいては駄目でしょう?」

「駄目ではない。言っていなかったか、3日休暇を作った」

「えっ、3日も休むんですか!」

 オリヴィエは素直に驚いた。以前、上司から「陛下が執務を休むのは緊急事態だけだ。勤勉な今上陛下で我々は恵まれている」と聞いたような気がするのだが…所詮はあの上司の戯れ言だ。間違いであろう。

「そういう訳だ。従って、俺を追い出そうとしないでくれるか」

 エドモンドの言うように追い出すつもりはなく、ただ純粋なる疑問だったのだが…。いやそれよりも。

 オリヴィエはエドモンドに向きなおった。

 客間にエドモンドがいたことに驚いてすっかりさっぱりと忘れていたが、オリヴィエはライドール邸の住人として客人を招き入れる挨拶をしていなかった。いくら胡散臭くてもこの国王は養父の客人。養子であり弟子であるオリヴィエもきちんと挨拶をしなければ、この国の礼儀として無礼に当たる。

「……それは失礼しました。──父様のお客様であれば、弟子であり養子である私にどうこう口出す権利はございません。ごゆるりとお過ごしくださいませ」

「ん?…ごゆるりと、か。相分かった」

 先ほどまで追い出そうとしていたように見えたオリヴィエが打って変わり招き入れる挨拶をしたことに驚いたようだったが、エドモンドは何事もないように返事をした。

 ただ、いつになく嬉しそうな笑みを浮かべて。オリヴィエは頭を下げていたため、見ていなかったが…。



 その部屋は所狭しと魔法具が並べられていた。また大小様々な書籍が本棚や机に置かれており、ダートル王国の公用語以外の言語で書かれている書籍もいくつか見受けられた。

 部屋の中央には戦火において魔術師の禁忌、魔術の暴走を起こしかけたローブを纏った女がいる。研究に使用しているであろう使いかけの魔法具が並べてある机へ向き椅子に座っていた。

 まるで血が繋がっているかと思うほど養父に良く似た漆黒の髪を腰まで垂直に垂らし、髪と同系色の猫のように少し目尻がつり上がった瞳などが程よく配置された顔、女にしては背の高いすらっとした体格が灰色のローブで今は隠されている。

 女の名はオリヴィエ・エストランディ・ライドール。

 国王自らの手で助けられた魔術師として宮殿中の噂の人である。知らぬは本人だけだ。

「君はいつもここで魔術の研究をしているのか」

 オリヴィエと対照的な金髪に碧眼の色彩を持つエドモンドは、まるで自分の部屋であるかのように書籍に埋もれたソファに腰かけた。

「…入室の声ぐらいかけてください。手元が狂う」

「悪い悪い。あまりにも集中しているから声をかけて邪魔するのもどうかと、な」

 まさに今の今まで机にかじり付いていたオリヴィエは眉をひそめ、顔を動かすことなく声の主へ文句を述べる。

 実際はエドモンドが入ってきた時点で分かっていたことなど、互いに理解した上での文句である。

「──何の研究をしているのか、だなんて聞かないでくださいね。教えませんよ」

「また先手を打たれたな。出会ったときと同じではないか」

「嫌味と受け取ります」

 笑顔を浮かべるエドモンドにオリヴィエは顔を上げ、軽く睨み付けた。

「だから褒めていると何度言えば分かる?オリヴィエ」

「お褒めいただき嬉しく思います。蒼の君…ということで、ここは婦女子の部屋です。長居はよろしくないかと」

 素直に出て行かないであろうエドモンドに正当な理由でオリヴィエは退出を求めた。このままでは気が散ってまともに研究もできやしない。

「到底、妙齢の女子の部屋とは思えぬ有り様だが、それは君の言う通りだ。出て行こう、オリヴィエもな」

「なぜ私も?」

 オリヴィエは意図が分からず、眉を寄せる。

 素直に出ていくことに応じたエドモンドに多少の驚きを覚えたと同時に、部屋の主であるオリヴィエまでもが出て行かされることに困惑したのだ。

「この屋敷に滞在している間、俺の相手をしてくれないか?もう少し君と話をしてみたい」

「私は面倒事が嫌いなんですけど」

 エドモンドの言っていることは身勝手極まりない。だが、この家の主にホストとして客人をもてなすように頼まれているオリヴィエは眼前の身勝手な客人をもてなす義務がある。研究がしたかったのだが…。

「知っているよ。俺の相手が面倒か?」

「はぁ…はいはい、分かりましたよ!」

 オリヴィエは言葉と同時に勢いよく立ち上がった。

 仕方あるまい。こんなやつでも客人だ。

 それに家主の雷も、もう落ちてほしくない。



 エドモンドに付き合い3日間暇さえあれば話し相手になっていたオリヴィエであったが、戦時中に体験した不可解な出来事について尋ねていなかった。

 国王がオリヴィエを救った際、記憶が朦朧としていたが確かに直前に青白い眩しい光を見た。あの光の原因は恐らく国王であろうが、それについて聞くことができないでいた。なぜなら、平穏を愛するオリヴィエにとって関わるべきではない、と本能が警告しているのだ。

 本当ならこうして国王に関わっていること自体を無かったことにしたいぐらいである。

 めんどくさい!関わりたくない!

「…そりゃ色々知りたいけど…聞きたくな…はっ!」

 現状からの現実逃避をはかっていたオリヴィエはついつい言葉を滑らせてしまう。

 慌てて、まずい!と、すぐさま口をつぐんだが…。

「──なぜ?君は知識欲の塊だろう」

 そんなオリヴィエを見逃してくれるエドモンドではなく、追求してくる。しかも、今の一言で戦時中のあの不可思議な出来事についてだと察したようだ。

「…し、知らない方が良いことなど、世の中には沢山あるので!」

 オリヴィエは口を滑らせた己を呪いながら、舌打ちをしたい気分で言葉をひねり出した。

 見逃してくれたっていいのに!暇なのか。暇だろうな。

 現在はライドール邸にエドモンドが滞在して3日目の昼。

 客間にて、横に並んだ1人掛けのソファに各々座り、間にある小さなテーブルにエドモンドが気に入った薬草茶の入ったカップとオリヴィエの好きな緑色の茶が入ったカップが置かれている。

 この3日間、エドモンドは客間で大量の魔術書を読破したり、オリヴィエを付き合わせて広大な庭を散歩したり、なぜか調理場に入り込み料理を振る舞うなどしていた。その料理は味も見た目もとても良く、屋敷の料理人が驚いていた。料理人並みの腕前を持つ一国の王とは一体何なのか。ライドールと旧知というのも本当らしく、オリヴィエは度々庭にある東屋で2人が話し込んでいる姿を見かけた。それぐらいのことしかエドモンドはしていなかった。

 本当に休暇に来ただけらしく、暇を持て余すとオリヴィエを尋ねてくるという始末。オリヴィエの休暇はまだ残っているが、正直なところ迷惑である。

「ほう。その言い分だと、俺に関することは知らぬ方がいい、ということか?オリヴィエ」

 エドモンドはお得意の胡散臭い笑みを浮かべ、ニック・マルティーバ・ライドール特製薬草茶を口にする。

「そうです、ね。私の望むことは、平穏。つまり、蒼の君とは対極にありますから」

「平穏ね。…薄々分かってるのか。オリヴィエ。いや、無意識か、これは」

 エドモンドはしばらくオリヴィエを見つめると、意味深長なことを呟いた。

「どうかしましたか」

「口では、どんなに知りたくないと言ってもオリヴィエの本質にある知識欲は知りたいと叫んでいる。…それが平穏とかけ離れていてもな。そうでもなければ、口から言葉が滑り落ちたりするものか」

 そう言うと、エドモンドはソファの肘掛けの上に置かれていたオリヴィエの片手を取り、手の甲に口づけた。

「尚且つ、――俺に興味があるんだよ」

「違います!」

 オリヴィエは反射的にエドモンドの手を振り払い、椅子から立ち上がると反論した。

 通常であれば、国王の手を振り払うなど王族に対する不敬罪で首が飛んでもおかしくはないが、この男は蒼の君としてライドール邸に滞在している。

 問題はない。そう最初に決めたのは蒼の君だ。

「はは。君は嘘が下手くそだな。この話を始めてから数分間、一度も俺の目を見ないとは」

 エドモンドは手を振り払われたことを気にすることなく、声を上げて笑った。

「違う!」

「君が聞いてこないなら俺から言うまでだが?知りたいんだろう?」

「蒼の君!わ、…私の考えが落ち着くまで待ってほしい…!」

 オリヴィエの混乱した声に、エドモンドは満足そうな笑みを浮かべると肯定の意味で頷いた。



「兄様が帰って来られるのですか?」

「ああ。お前に出迎えをよろしくとの言づけだ」

「分かりました」


「ハーデス(ニイ)様」

 オリヴィエは駅舎で義兄を迎えた。

「お!迎えに来てくれたか!」

「ご無事で何よりです。父様が屋敷で待ってますよ」

「オリ…オリヴィエ、お前も元気そうで安心した!」

 顔面凶器と揶揄される父親に比べ母親似の穏やかな顔をしたハーデス・マルティーバ・エルリィ・ライドールは可愛がっている義妹の姿を確認し、喜色満面になった。

「はい」

「魔術師というのはなぜこうも野暮ったいローブを着るんだ?これでは我が妹の姿がきちんと認識できない!ああ、分かっている。本質を見せないためだな。もう何度も、父からもお前からも聞いているよ」

「では我慢して!屋敷に帰りましたら、兄様の希望を叶えますから」

 オリヴィエは早口で捲し立てる義兄にいつも通り対応しながら、屋敷に促す。

「本当か!いやー、嬉しい。そうならば即刻帰ろう」



「…宮殿にいない日が多いと聞いた」

「ええ、まあ。兄が帰ってきていて…色々と付き合って毎日が大変で」

 エドモンドにそう言われて、オリヴィエは苦笑いをするしかなかった。

 できる限り出仕してはいるのだが、屋敷からの連絡で午前中だけで帰ったり、一旦帰宅をして中抜けするなど、義兄のおかげで気が休まらない状態だ。あの我関せずのライドールでさえ「せめて屋敷にいる間は大人しくしてろ」とハーデスに言っていたほどである。

「…兄とは仲がいいのか」

「そりゃもう。本当の兄妹のように接してくれます」

 当人が引くほどにハーデスはオリヴィエを可愛がる。なぜ、ここまで気に入られたか分からないほど。

「…そうか」

「蒼の君、どうかしました?」

 オリヴィエは横にいるエドモンドを見上げた。今日はいつもと様子が違うように思えたのだ。胡散臭い笑みも今日は引っ込んでいる。

「いや、何でもない。今日は仕事が溜まってるのでな」

 エドモンドは仕事のせいだというが…、無理は良くない。オリヴィエはエドモンドが気に入っていた薬草茶を養父から分けてもらおうか、と考えた。



「うーん、オリヴィエはその男のことが好きなのか?」

 一連の話を無理矢理聞いたハーデスはそんな質問を義妹に向けた。

 しばらく屋敷を離れていたハーデスは帰宅早々「私がいなかった間の我が妹に起こった出来事を1から10まで全て話せ!」とオリヴィエを捕獲したのだ。そのため、オリヴィエは面倒事を呼びそうな出来事をうやむやにして話したのだが…数人しかいない屋敷の使用人たちがそれとなく「まだ黙ってることがありますよ」とバラしたらしく、義兄に今日再び捕獲され、話す羽目になったのだった。

「男?私、男って言った?」

 しつこいハーデスに大まかな箇所を伏せて話したため、性別についても話していなかったのだが…。

「話の流れ的に、男だと思っただけだよ。女なのか」

「合ってるよ、兄様」

「何が?好きなのが?女なのが?」

「だから!男で合ってるってこと!」

 義兄には親愛を抱いているが、ほんの少し…いや、だいぶしつこい上に変だ。

 オリヴィエは久しぶりの義兄のノリに頭を抱える。初めて会ったときにこのノリに慣れるのに時間が必要だったことを思い出す…。

「あ、やっぱり。で、好きなのか?」

「…好き?尊敬しているし好き」

 あの国王は胡散臭い上に性格は悪いが、国や民について真摯に考えていることを知ったオリヴィエは尊敬の念を抱いていた。仕えている身として、あのような国王に仕えることができて良かったと思う。

「あーそうじゃなくて!それは人としてだろ?恋愛的にだよ」

「恋愛?そんなこと考えたこともなかった」

 オリヴィエは面食らった。

 恋愛。すっかりその言葉を忘れていた。エドモンドのことを恋愛として好きかどうか?そんなことを考えたこともない。

「…我が妹よ。まだ駄目なのか?」

「兄様、私はまだ…」

「だぁから!お前は父にバカバカ言われるんだよ!…ほんっと、我が妹は可愛いなぁ」

 と、言うとハーデスはバカがつくほど生真面目なオリヴィエの頭を親愛を持って数回撫でたあと、勢いつけてぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

「あーもう!兄様!やーめてー!」

 髪の毛が絡まるのに!



「君の兄は、ライドール家の次期当主なんだろう?」

「ええ、そうです。と言っても、兄が配偶者を持つか分からないので兄の代でライドール家はなくなるかもですけど」

 エドモンドは再び義兄のことを尋ねてきた。そんなにあの義兄が気になるのだろうか。

「…なんだそれは。ライドール家は風変わりな一族として有名であるが、さすがにそれはないだろう」

 エドモンドはオリヴィエの言葉に首をひねっている。

「えーっと、我が家にも事情がありまして。兄はこれからは芸術だ!とか言って芸術をやりたがってますし、どうなるやら」

 あの義兄はどうにかならないのか。

 今朝、この脈絡のない宣言を聞いたときには「芸術…?」と、養父とオリヴィエで無言になった。普段から無言の養父はともかく、オリヴィエは反応に困ったのである。ライドール家は子どものやることにあまり口を出さないが、ハーデスが勢い勇んで「母にも伝えてくる!」と叫んでいたから、養母に勝てるよう祈っておこう。

「俺に隠し事か」

「え?いや、そんなことは…。蒼の君にだったら話してもいいんでしょうけど、私の一存で親族以外に話すのはちょっと」

 エドモンドからそんな反応が返ってくると思っていなかったオリヴィエは慌てた。

 オリヴィエにとって、この場にいるエドモンドは国王ではなく宮殿の通りすがり“蒼の君”である。だからこそ友人に接するようにしてしまったのだが…まずかっただろうか。

 自分のことならある程度まで話せるが、義兄のこととなると下手をすればライドール家の問題になりかねない。あんな義兄でも長男であり次期当主。国王相手であれば話して良いのだろうが、勝手な判断で友人という立場の人間に話すことがためらわれたのだ。

「……気に入らないな」

「すみません。…許可を取ってきます」

「いや、いい。そうでなくてな。まあ、ライドール家のことなら機会があれば知れるんだろう?なら無理して知ることもない」

「そうですね…恐らくは。でも、気分を害したようで申し訳ありません」

「俺こそ家族のことに立ち入って悪かった」

 オリヴィエは片眉を上げた。聞きなれない言葉がこの男の口から出たような…。

「──蒼の君も謝るんですね」

「ん?悪いと思えば謝るぞ?」

 オリヴィエの微妙な反応に、エドモンドはしかめっ面をした。エドモンドは悪いと思えば謝る。その頻度が比較的、人より少ないだけだ。

「そうですねー。人として当然ですもんね」

「君は心の中で俺のことをバカにしてるだろう」

「えっ、してませんよ。蒼の君をそんなぞんざいに扱う訳がないじゃないですか」

 胡散臭くて性格が悪い、とは思ってるけど。



 ハーデスは未だ屋敷に滞在している。ライドール家の長男であり次期当主にこの言い方は不自然だが、1年のうち屋敷に1ヶ月もいないため本人が「この屋敷には滞在しにきているようなもんだ!」と声高らかに言っていた。

 それからはライドール家ではハーデスが屋敷に帰るのは“滞在”扱いという、暗黙の了解ができている。

「で?この前の質問の答えは出た?妹よ」

「…何のこと?」

「誤魔化さない。分かってるだろ?」

「はぁ…分かってる、よ」

 近づいてくるハーデスのにやにやとした顔を手を使って上手い具合にかわしながら、オリヴィエはため息をつく。

「ふーん。その様子じゃ、考えたけど答えが出てないってところだね。私もその人に会ってみたいなぁ。父は知っているようだし」

「嫌」

 ハーデスの言い回しに嫌な予感を感じたオリヴィエは先に拒否を示した。

「まだ何にも言ってないだろ。会わせてくれなんて!」

 ハーデスは両手を広げ、首を横に振る。

「今、言ったね」

「会わせてくれ!」

「嫌」



「君はライドール家が好きなんだな」

 ふとした拍子に、エドモンドがしみじみと呟いた。

 オリヴィエと大なり小なりの付き合いがある者ならほぼ全員が気づくほどに、オリヴィエの言葉や行動の端々に養家であるライドール家のためを思っているのが、見てとれる。それこそ、他の者が入り込む隙間がないほどに。

「はい。どこの馬の骨か分からない人間を師匠が弟子として受け入れてくれたから、今の私があります。親族皆に尊敬と親愛を抱いています」

「…オリヴィエはライドール家に来る前は何をしていたんだ?あ、いや、答えにくいことならいい」

 義兄のことで少し前に立ち入りすぎた経験があるエドモンドは、珍しく気を使いながら慎重に尋ねた。以前から気になっていたのだ。

「いえ、答えにくいことではないですけど…。故郷から遠く離れたこのダートル王国に来たとき、最初は言葉も分からなくて。幸運にも雇ってもらえた食堂の住み込みで働きながら必死に言葉を覚えました」

「そうか」

「とは言っても、そんなに長い間ではなかったんですけどね。お金をある程度貯めてから、首都にあるライドール邸に弟子入りさせてほしいと文字通り、突撃しに行ったんです」

「ああ、弟子入りしたんだろう?この前、ライドールから詳しくその時の状況を聞いたが、君の行動力は凄いな」

「あれを聞いたんですね。…仕方ないじゃないですか、必死だったんです!もうそこまで知られてるならいっそ白状しますよ。そもそも私は政治家になりたくて、師匠に弟子入りしたんです。民の間でも師匠は政治家として有名でしたし、政治家になるならニック・マルティーバ・ライドールだと、と藁にも縋る想いで」

「政治家?それは意外だったな。だが、魔省験(マショウケン)を受けて魔術師になったんだろう?」

「ええ。これには訳があってですね、師匠が脅して…いや、魔省験を受けるように勧めてきたんです。納得はいかなかったんですけど、滅多に口を出さない師匠が勧めるなら、と受験したんですよ」

 あれは勧めるというよりも脅しだ。騙されて勢いで返事をしてしまったオリヴィエが悪いのだが、ほぼ騙し討ちだった。

「ライドールも魔術省の魔術師だったからな」

「らしいですね。魔術省に入るまでそのことを知りませんでした。本当に…あの人は何も語ってくれない」

「あの男らしいな」

 ニック・マルティーバ・ライドール。

 前国王の右腕でありかつての魔術省の元帥。

 そして厳重な警備がされている国王の執務室に悟られることなく入り込むことができる人物。

 ()に恐ろしや。

 オリヴィエは魔省験で首席を取るほどの頭の良さだったが、平均的な魔術師の魔力保有量に比べたら少ない。それでもどうしても魔術師になりたいがために魔術師になったんだと思っていたが…そういうことか。何の思惑があるのやら。

 エドモンドは一瞬で思考し、苦笑いをした。ライドールは敵に回したくない人物であることは確かだった。

「私はここに来たとき…何も生きる目的がなかったのが悲しかった。存在意義がないとさえ思った。だからこそ目的に向かってがむしゃらにここまで来れたんです。あとは、恩に報いりたい。――それだけです」

「それだけか?」

「え?」

 何を言われてるのか分からず、オリヴィエは横にいるエドモンドを見上げた。

「オリヴィエとしての生きる目的はないのか」

「…私の目的?」

「ああ。俺には想像がつかない苦労を君はしてきたんだろう。恩に報いりたい気持ちも分からないことはない。だが、――オリヴィエはオリヴィエ以外の何者でもない。その人生は君のものだ。目的を作れ。人生を捨てては駄目だろう?」

 エドモンドはオリヴィエの瞳を真っ直ぐに見つめる。

「捨ててなんかいません」

「いや、オリヴィエのその考え方では捨ててることと同じだ。誰もそんなことをしてほしくはない。ライドールも君の兄も、俺も」

「………分かったようなことを言いますね」

 オリヴィエは全てを分かっているかのように言う、エドモンドが気に入らなかった。不快を表すように眉が寄る。

 自分の考えが否定されたようでもあり。

 何となく、それが真実であるような気がして。

「俺は俺の思ったことを言ったまでだ。それを君がどう思うかは知らない」

 オリヴィエはさぞ不機嫌な顔しているはずだが、対するエドモンドは笑みを浮かべていた。

 それも気に入らない。オリヴィエは自分がさらに不機嫌になるのが分かった。一矢報いってやりたい。

「――あなたが王様で良かったって、素直に思います」

「…俺は“蒼の君”だ」

「ふふ。そうでした」

 狙い通りエドモンドはすぐさま眉を寄せ、ぶっきらぼうに言い返してきた。オリヴィエは不愉快な気持ちから、ほんの少しだけ満足することができた。



 先の戦の勝利を記念した式典と祝賀会が開かれた。実働部隊に区分される部署に所属しているオリヴィエも部隊の一員として式典と祝賀会に呼ばれた。逃げた上司はお呼びではない。

 このような煌びやかな式典や祝賀会に参加するのは初めてのオリヴィエだったが、魔術師や軍人は制服での参加が許可されているため、服装に困らなかったことが救いだった。ライドール家は名家であるが貴族ではないため、こういったことに縁がないのである。

 大広間で多くの人間が参列する式典と祝賀会に参加さえしていれば、仕事は終わりだ。

 部隊の一員として式典に参列し、国王から労いの言葉をもらったのちに報奨について説明を受け、その後の祝賀会に参加すればいいのだ。

 それだけだ。簡単だ。

 …と、オリヴィエは自分自身に暗示をかけながら式典に参列していた。でなければ今すぐ仮病を使い、帰ってしまいそうだったのである。

 正直に言おう。突き刺さる視線が痛いのだ。

 自意識過剰でなければ、数名の参列者からじろじろと視線を向けられているようである。こんな視線をもらう原因をオリヴィエはすぐに思い出せなかったが、苦痛の時間を耐えているうちに思い出した。

 そういえば自分は国王に助けられたんだ、と。

 戦時、オリヴィエは国王の姿を認めた途端に意識をなくしてしまったが、後から聞いた話によると、わざわざ国王は味方陣営まで気を失っているオリヴィエをご丁寧に自ら運び、送り届けたらしい。それを聞いたときは混乱した頭で「なんてことをしてくれるんだ!」と叫びかけたが、意識のないオリヴィエを戦場に放置するほうがもっと酷いことぐらいすぐに理解できた。そのため、すっかり忘れていた…のだが、この視線は恐らくその出来事が原因だろう。

 めんどくさいことになっている…。

 オリヴィエは退屈な時間を針のむしろのように過ごしながら「最初の約束を守らなかったな…蒼の君」と壇上にいる相手に悪態を()いていた。


 式典は何事もなく終了した。例えオリヴィエが様々な思惑を持った視線に晒されていたとしても無事に終了した。部隊の仲間たちはアホなのか、オリヴィエの状況に気がついていないし、祝賀会で目当ての相手を探そうと躍起になっている。頑張れよ、と生暖かい視線を送っておく。

 あれだけの視線をもらったのだから祝賀会でそれなりの人に話しかけられるかと思ったが、先ほどから宮殿の料理人が腕を振るった美味しい料理を存分に堪能しているだけで、誰からも声をかけられない。しかし観察されているような視線は感じる。どういうことだろうか。鬱陶しい。

「ライドール魔術師」

 ……実際、オリヴィエはあまりにも暇だった。

 だがよりによって誰が国王に話しかけられたい、と思うだろう。オリヴィエは断じてそんなことは望んでいない。

「…国王陛下!」

 エドモンドに声をかけられたことを理解すると、驚きを隠しきれないまま慌てて礼をとった。何しに来たんだ!

 煌びやかな国王の正装を纏ったエドモンドはしっかりとした体格と見目麗しい外見とあいまって、神々しいほどに美しかった。オリヴィエが見慣れた蒼の君とは別人だと言われても納得できるほど、醸し出す雰囲気が違う。

 こんな周囲の目がある状態でエドモンドに話しかけられたことは初めてだった。知り合う前も今も。

「君はダンスを踊れるか?」

「へっ?上手くはありませんが、踊れます」

「そうか。それは良かった。余と踊ろう」

「──はっ」

 条件反射で返事は返したが、ぶっちゃけると何言ってんだこいつ!と、オリヴィエの頭の中は混乱と疑問だらけだった。

 何が楽しくて国王と魔術師がダンスを踊る?

 まだオリヴィエがドレスでも着ていれば違うだろうが、オリヴィエはローブを纏った魔術師の制服を着ている。これほど滑稽な図はないだろう。

 何が何だか分からないままに、エドモンドによってダンスフロアに引っ張り出されたオリヴィエは抗議の意味でエドモンドを見上げた。するとそこにはエドモンドの悪戯(イタズラ)が見つかった子どものような笑み。

「…文句があるなら俺に言い返せばいい」

「なっ!無理に決まってるじゃないですか!」

 曲が流れ、ダンスを踊る体勢を組んでからエドモンドはほとんど口を動かさずに話しかけた。

 そんな芸当ができないオリヴィエは顔をひきつらせながら小声で答える。

「はは!驚いたか?」

「当たり前です!いいんですか、こんなことして」

「問題はない。俺は最高権力者だ」

「似合わないことを言わないでください」

「そうか?なかなか決まってると思ったんだけどな」

「…あなたのお遊びには付き合いきれません」

「はは、遊びではないぞ」

「あなたのおかげで私の平穏が無くなりました。主に今から」

 オリヴィエは内心でうんざりしながら、先の見えない明日を想像する。日頃一緒に仕事をしてる仲間たちもここにいるため、この状況を何と説明すればいいのだろう…。絶対に質問攻めに合う。

「楽しいじゃないか」

「恨みますよ」

 そんな憂鬱なオリヴィエとは対照的に状況を楽しんでいるエドモンドの声がオリヴィエを苛立たせる。

「はは。──俺が送った手紙の内容、覚えてるか」

「はい?確か…“君は私の魔石だ”でしたか」

 突然のことにオリヴィエは少し考え、思い出す。

 戦時に受け取った青い封筒の…意味の分からない手紙。

「そうだ。あの言葉には本当の意味があるんだ。“君は俺にとっての幻の魔石”という意味が。──オリヴィエ」

「幻の魔石…が私だとでも?」

 言葉の意味が分からず、オリヴィエは目を丸くした。

 まただ。

 戦の火種とエドモンドが言っていた“幻の魔石”。

 国王だけが正体を知っている“幻の魔石”。

 それが自分にも関係している?

「いいや、そうではない。“俺にとって”は幻の魔石だけどな」

「どういう意味ですか」

 謎解きのような言い方に、ここが人の目がある場だということも忘れオリヴィエは全てを知るエドモンドを見つめた。

 そんなオリヴィエを嘲笑するように口角を上げたエドモンドはダンスの回転する動きに合わせ、オリヴィエの耳元で囁く。

「──前に俺は“オリヴィエが落ち着くまで待つ”と言った。もう随分と待っているが、まだか?」

「あ…!…覚えていたんですね」

 オリヴィエはまるで睦言のように囁かれた言葉に、目を泳がせた。

 まさかこの人は自分からの返事を促すためだけにダンスに誘ったのではないだろうか。そんなことを考えてしまうほどに、目の前にいるエドモンド・マグワイア・リル・ダートルは滅多に見ることのない真面目な表情をしていた。

 ことあるごとにこの質問から逃げていたオリヴィエをエドモンドが見逃していてくれていたから、つい気を抜いていた。

「見くびってもらっては困る。オリヴィエ、どうなんだ?」

「私は──」




 それはある国王の魔術師へ向けた発言であった。

「君は俺にとって“幻の魔石”そのものだ」

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