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第八章 いびつなトライアングル

 クラスのKが、暴走族にからまれて怪我を負ったらしい。

 そんな噂が流れ、私はある悪い予感を打ち消すことができなかった。

 教室のKの席は空いていて、とりまきのような男子たちも心なしか静かだった。

 Kは加奈にいやがらせをしていた主犯格だ。いつも数人の男子を引き連れていて、学校でも派手なグループに属していた。切れ長の目に卑屈な笑いを浮かべる男で、なにか底知れない劣等感を抱えているような印象がある。

 私は初対面から口に出さずともよく思っていなかった。今では憎悪さえ抱いている。

 そんなKが暴走族に暴行を受けた。加奈の兄、武司の顔が脳裏に浮かび、その細く剃りこんだ眉が私の悪い予感を増幅させる。

 加奈が兄に告げるとは考えられない。そんなことをすれば、兄がどういう行動をとるか、加奈には察しがつくからだ。それは決して加奈が望むことではないだろう。

 私は重い足取りで、加奈の部屋にむかっていた。なにか、とんでもない方向に追い込まれていくような嫌な予感だ。

 部屋では涼子がひとり、音楽を聴いていた。

「加奈は?」

「コンビニへでも行ったんじゃない?」

 涼子は片方の耳だけヘッドホンを外し、それだけ答えると再び目を閉じて音楽に浸りこむ。

 ねぇ、と何度呼びかけてもこたえないので、彼女の肩を揺らした。

「何?」

 少し迷惑そうに、涼子は音楽を止めた。

「Kが暴走族に暴行をうけたらしいって噂なんだけど」

 涼子は、一瞬明るい表情を浮かべ、私をみた。

「涼子、なんか知らない?」

「なんかって?」

「武司兄ちゃん、関係ないよね?」

 涼子はベッドにばさりと横たわった。

「あんな奴、痛い目にあって当たり前じゃない。いい気味よ」

「武司兄ちゃんが関わってないんなら、いいんだけど」

 私がそう言うと、突然涼子は起き上がり、

「どうして?」

 と睨むように私を見つめる。

「あたしが言ったのよ。兄貴なら妹の仇くらいとってやんなよって」

 私はぼんやり涼子の顔を見ていた。

 嫌な予感が現実であったことに愕然とし、妙な脱力感におそわれた。

「どうしてそんなこと…。加奈は知ってるの?」

「さぁ。知らないんじゃない」

 涼子はさらに続けた。

「あいつのせいで、加奈は学校に行けなくなって。それはそれで、あたしは問題ないと思うけど?でも加奈はなんだか自信なくしてるし。それなのにあいつは、のうのうと学校にのさばっててさ。おかしいじゃないっ」

 涼子は、腹立ちをぶちまけるように、枕を壁にぶつけた。

「だからって武司兄ちゃんを巻き込むことないでしょう?こうなるって想像できたじゃない。警察にでも追われたどうするの?」

「そんなへまはしないでしょう?そっち方面ではプロなんだから」

 涼子は、乾いた声で笑った。

「加奈のお母さんだって、悲しむよ。きっと」

 俯いた私に、涼子は一瞬黙って、ふぅ、とため息をついた。

「沙羅はいつもそうだね。いい子にしかなれないんだから。少年少女名作全集のモラルばっかり引きずってても、なぁんにも解決できないよ」

 ひりひりした。胸の奥に押し隠してきた弱い部分が露にされる。

「涼子は乱暴すぎるよ。後のことなんにも考えてないじゃない」

 ようやく口にした上滑りの言葉は、もう自分自身にさえ届かない。

「沙羅は、せいぜい自分が傷つかない方法ばかり考えてればいいよ」

 涼子は、たたみかけるように容赦なかった。

 私は咄嗟に鞄をつかみ、部屋を飛び出していた。

 自己嫌悪と感情の高まりで、胃が締め付けられるように痛む。息をとめていないと涙があふれてしまいそうだ。私は空を見上げて必死にこらえた。

 泣くもんか。こんなことくらいで。

 空は灰色の雲で一面覆われていた。ゆっくり鼻から息を吸い込み、涙を止めた。もう一度大きく深呼吸をする。

 マンションに隣接する小さな公園は、曇り空のせいか子供たちも少ない。私はベンチに腰かけ、砂場で遊ぶ子供ふたりを見ていた。家族の中で、ささいなことにも波風をたてないように暮らしてきた。それが知らず知らずのうちに、私をこんな人間にしてしまったのだろうか。

 背中に人の気配を感じ、振り返ると加奈が立っていた。私を見て寂しそうに笑った。

「涼子との話、立ち聞きしちゃった。ごめんね」

 私は、哀しくなって俯いたまま首を振った。

「お兄ちゃんのこと、心配してくれて。ありがと」

 果たして私は武司のことを本当に心配していたのだろうか。自分の周りが荒らされることに怯えていただけではないのか。

 加奈は隣に座り、暖かい缶コーヒーを私の膝の上に置いた。

「あたしね。知ってたの。お兄ちゃんのやったこと」

 私は缶を膝の上で転がしながら加奈の話を聞いた。

「三日くらい前に、お兄ちゃんから電話があってね。あいつ、ぼこぼこにしてやったから安心しろって。あたし、はじめ何のことかわかんなかったんだけど。名前聞いてびっくりして」

 涼子から今までのいきさつを聞かされたこと。警察がもし訪ねてきても、何も知らないと言うように。などと話したという。

「お兄ちゃん、それでなくても警察に目つけられてるし。涼子のこと一瞬恨んだよ。なんでそんなことお兄ちゃんに言うのかって」

 加奈は、自分の缶コーヒーを開けて一口啜った。沙羅も飲みなよと、冷たくなった私の頬に温かい缶を軽く押し付けた。

「でもね。あたし。嬉しかったの」

 私は加奈の横顔にそっと目をやった。

「自分のそんな感情を何度も否定しようとしたんだけど。でもやっぱり。どうしようもなく嬉しかった」

 大きな瞳を私に向けて、微笑んだ。

 自分の考えの浅はかさとか見当違いの心配とかが、ぐるぐる渦巻いて言葉を失った。

「あたしが考えることなんて、いつも見当違い。馬鹿みたいだね」

 私は、はき捨てるように言った。

「そんなことないよ。こんなやり方、間違ってるってわかってるんだ。多分、涼子も。だから沙羅にあんなひどいこと言ったんだと思う」

 加奈はいくらか強い口調で言った後、

「あたし、Kのこと憎んでたんだなぁ。憎むって気持ち、自分がますます汚れてくみたいで目をそむけてたんだけど。嫌になるくらい、仕返ししてやりたかったんだな」

 加奈の表情は言葉の内容とは別に晴れ晴れとしていた。

「沙羅が心配してくれたこと。あたし。すごく嬉しかったよ」

 と私の方に身体を向けて、ありがと、と小さく頭を下げた。

「でも大丈夫。お兄ちゃんの話だと、鼻が曲がる程度で許しといてやったって言ってたから」

 加奈はそう言ってぷっと吹き出した。

「鼻が曲がる程度…ってねぇ?テイドって言えることじゃないよねぇ?堅気の世界じゃ」

 加奈の笑い声につられて、私も笑った。

「ホント。堅気の世界じゃ、大変なことだよねぇ」

 私たちは、くすくすとしばらく笑っていた。

 私は見落としていたのだった。加奈の中にあるKへの憎悪。私はいつも物事を荒立てない方法ばかり探している。そのせいで、激しい感情をあらわさない加奈の内部を察することができなかった。

「沙羅は。いっつも、誰ひとり傷ついたりしないようにって。思ってるでしょ?傷つくくらいなら我慢したほうがいいって」

 加奈は、そこで、ふふっと笑った。

「沙羅に、乱暴すぎるって言われちゃったって。しょげてたよ。案外、涼子って沙羅に対してコンプレックス持ってるんだから」

「涼子が?そんなわけないじゃない」

「まったくぅ。ふたりの間に立って、あたしは大変なんだからね」

 加奈は、私の肩を軽くはたくようにして笑った。

「沙羅のことは、涼子だって、よくわかってる。でなきゃ、こんなに長く一緒にいないよ。わかるでしょ?」

 こらえていた涙が、一気にあふれだした。

 なんの解決も見出せなかったのに。

 涼子にぶつけられた言葉を、私はじっくり考えていかなければならない。固く大きな塊をほぐすように、ゆっくり向き合っていかなければならない。

 だけど、今はただ泣いていたかった。

 こんなに長く寄り添ってきた。私たち三人の繋がりが、ひとこまひとこま心に蘇る。涼子と加奈。加奈と私。そして、私と涼子。

 その形はいびつであるけれど、誰にも壊せない。

 誰にも入りこむことは出来ない。

 



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