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第二部 第十一章 秘密

 私は沢村について何も知らない。

 彼の実家はどこなんだろう。店でバイトをしているけれど、仕送りしてもらってるんだろうか。

 彼は、そういう家族の匂いを一切感じさせない。両親の話など彼の口から聞いたことは一度もない。

 バンド仲間にそれとなく訊ねてみても、一様に首を傾げるばかりだ。

「わりと複雑らしいからな、あいつの家」

 私は以前、自分の家族のことを聞かれるのがひどく嫌だった。幸せな家庭を夢見ているなんて愚かな考えはなかった。だけど懸命に突っ張っている気持ちがそこを明かすことで頼りなくなるような気がした。自分はどうやら、あまり必要とされていない人間らしい。そんなこと平気だ、独りだって生きてみせる。ぎりぎりに強がっていた。

 学年末試験が始まり、いつもは騒がしい朝の教室も、それぞれが席について勉強している。沢村の席に目をやると、まだ登校していないようだった。私は出題範囲のプリントに目を通しながら、教室の扉が開くたびにそちらに気をとられた。

 始業チャイムが鳴り終わる頃に沢村はようやく現れた。教師に注意されると、すいませんと頭を軽く下げて席につく。

 彼のまわりの輪郭だけがくっきり私の視界に飛び込んでくるのは何故だろう。どんな群集のなかに紛れていたって、彼を探し出せるような気がする。

 気持ちが通じないもどかしさも、私は、どこかで楽しんでいるのかもしれなかった。忘れたいことや重い記憶から逃れて、私もあたりまえの高校生活をおくれているのだと。

 しかし時に、涼子と加奈のことが私の胸をぐさりと突き刺す。私にそんな資格があるのか、と突きつける。

 浮かんでは沈むように気持ちは揺れ動いた。

 数学のテスト用紙が配られて、私は問題を解くことに熱中した。なにも考えなくていいように、パズルのように方程式を解いていった。


 二度目のライブが終わって、沢村たちがスタジオにおりていく。他のメンバーは帰宅し、沢村はしばらく休憩をとった後、店を手伝うのが日課だ。ライブの後は興奮しているので、いつもは声をかけないことにしている。

 だけど私はその日、地下に降りていった。沢村と話がしたかった。

 すると、激しい言い争いが聞こえて、私は足を止めた。

「ふざけんなよ。約束が違うだろ?」

 沢村の声だった。

「ちょっとだけ待ってくれよ」

 声を殺しているが、おそらくマスターの声だ。

 沢村とマスターが争う理由など考えられないが、なんとなく金銭の匂いがした。

 聞いてはいけないような気がして足音をたてないように、そっと店にもどった。

 しばらくして沢村はいつものように現れた。表情も険しいところなど見当たらなかった。

「おまえ、勉強しなくていいの?」

 沢村は私にそう言って、調理場で簡単に作った焼きうどんを私の前に置いた。

「彰人は?」

「オレはいいの」

「いいってことは、ないんじゃない?」

「オレ、学校辞めるし」

「え?」

 どきんとした。

「辞めるって?どうして?」

 調理場から呼ぶ声が聞こえて、私の問いには答えずに駆け込んでいった。

 沢村が高校を辞める。鼓動が早くなっていくのが分かる。

 今日は週末なので店は忙しくなり、彼と話す時間がなかった。私は店がはけるまで待っていることにしたが、沢村がエプロンをはずしたのは、もう午前一時を回っていた。

「おまえ、やばいって。なんでこんな時間までいるの?」

「だって、学校辞めるとか言うから」 

 私が自転車に乗らないので彼も乗らない。夜の道を並んで歩いている。春が近づいているとはいえ、夜はまだ冷え込んだ。

「寒ぃから、乗ろうよ」

 彼がサドルにまたがっても、私は首を振った。しょうがないなぁというように、彼はべダルをゆっくり踏みながら、私の歩みに合わせている。

「オレね、ロンドンに行くんだ」

「ロンドン?留学?」

「そんないいもんじゃないよ。向こう行って、働きながら音楽やるんだ」  

 私は放心状態になって、彼がいなくなるということをかみしめて考えた。

「高校卒業してからでもいいじゃない」

 身勝手な言い分が私の口からついて出る。

「今じゃないとダメなんだ」

 私は黙って自転車を押し続けた。沢村の気配を真横に感じながら、胸が痛くなる。

 辛くなって自転車にまたがると、思い切りペダルを踏んだ。

 彼は瞬く間に私に追いついて、前に出たり後ろに引っ込んだりした。

 いなくなっちゃうんだ。彰人が。

「ついてこいよ」

 沢村は自転車を寄せて、私のハンドルを軽く引っ張る仕草をした。

「見せたいものがあるから」

 見せたいもの?

 彼の後を追いかける。ゆっくり進んでいく彼の背中に、何か叫びたいようで、それでいて喉の奥はくっと何かが詰まったように重苦しい。

 彼の下宿に向かう道ではない。見知らぬ道をこんな夜半に自転車で走るのは少し不安だった。それほど人気のない道を進んでいく。市街地を離れてどうやら港の方へ向かっているようだ。あちこちに倉庫らしい建物が見え始める。

 辺りは静まり返っていて、私は沢村から離れないように、すぐ後に自転車を走らせた。

 二、三十分は走っただろうか。金網が張られた空き地の脇に沢村は自転車を止めた。

 彼は金網の破れた隙間に細い身体を滑り込ませた。ためらっていると、早く来いというように私に手を差し伸べた。引っ張られるまま、不器用に潜り抜けると、枯れた草を踏む音が驚く程大きく響いた。

 暗闇なのでよく見えないが、おそらく廃屋に違いない。不気味な建物で、入ろうとする沢村のコートの裾を思わず掴む。

「大丈夫だから」

 沢村は、なんでもないようにコンクリートの階段を上った。

 ガラスがはめ込まれた木製の扉は、ガタっと大きな音をたてた。

 ここは以前、病院だったらしい。「受付」とか「薬局」などという木札の字が白く浮かんで見えた。なおさら気味悪くなって、沢村のそばを離れないように付いて行く。

 三階は病室だったようで、部屋番号の札が順に並んでいた。一番奥の部屋の前で沢村は立ち止まった。ポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。きしむ音がした。

 部屋の中が、ぼおっと明るい。私はその異様な風景に呆然と立ちつくした。

 旧い鉄のベッドの上には、夥しい数のガラス製の容器が並んでいた。それらの中には蛍光灯らしきものが取り付けられていて、よく見ると緑の植物が詰め込まれるようにガラスに張り付いている。容器といっても高さは一メートルはあるだろうか。幅はその半分くらいで、見たところ、ざっと五十台はありそうだ。

「何、これ」

 異様な光景に言葉を失う。

「麻」

 沢村の言葉の意味が分からなくて、え?と聞き返す。

「麻だよ。育ててんの」

「意味わかんないんだけど。何の為に?」

「おまえ。なんにも知らないの?麻だよ。大麻」

「大麻?」

「そう。マリファナってやつ」

「それって、犯罪…?」

 おそるおそる訊ねた私の問いには答えないで、沢村は、個々のガラス容器の中を覗き始めた。

「金になるんだ」

 私の膝はがくがくと震え始めて、その場にしゃがみこんだ。

 沢村は、容器の中をいくつか覗きこんで、

「この容器の中で育てると、普通の何倍もの速さで成長するんだ」

 と淡々と説明する。成長した葉っぱを乾燥させて売りさばくのだという。

「彰人も吸ってる?」

 おそるおそる聞く。

「やんないよ。上質かどうかくらいは分かるけどね。売人がハマっちゃったら商売にならない」

「彰人がひとりでやってること?」

「ま、ね。この容器、わりと高価なんだ。だからはじめは三台しかなかったんだけど。売った金で設備投資してって。ようやくここまでになったんだ」

「誰に、売るの?」

「いろいろ筋はあるんだ」

「もしかして、マスター?」

 店の地下室で言い争っていた二人を思い出す。

「聞かない方がいいよ」

 沢村は、連れてきちゃってるけどな、と続けて、少し笑った。

 外に光が漏れないように、窓には幾重にも暗幕が引かれている。

 沢村の背後に暗い闇が現れて、彼が全く知らない人物のように思える。

「怖い」

 私は口にだして呟いた。

「こうでもしなきゃ、抜け出せないんだ」

 沢村は、あっさりした顔で、私の前に脚を投げ出した。

「抜け出すって?」

「色々」

 私も沢村も黙り込んだ。

「彰人の家族って、どうしてるの?」

 彼は何も答えずに、その場に寝転がる。顔を覗き込もうとすると、突然、私の肩を引き寄せて唇を重ねた。

 甘美な思いは全くなかった。ただ彰人の唇の感触が冷たかった。


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