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第二部 第二章 死にそこない

期末試験が終わると、クラスマッチが始まる。男女別にクラス対抗でバスケットボールの試合をすることになっている。

私は元々球技は得意ではなかったし、メンバーになるほどクラスに溶け込んではいなかった。

体育委員の佐木が教壇に立って司会をしている。あの日の放課後、あんなに近く感じた彼とは別人のようだった。時折ジョークも交えながら、円滑にホームルームを進めていく。

私は、いつものように窓の外をぼんやり眺めていた。

「香川さん、どう思いますか」

佐木の声で、突然私のほうにクラスの目が集まった。私はその成り行きを全く聞いていなかったので、どぎまぎして顔をふせた。

「今年は、クラス全員が一度は試合に出るっていうのはどうか、という意見がでてるんですけど」

佐木の穏やかな声が、私を助けるように続く。

私は、顔をふせたまま立ち上がり、

「私は、参加したくないです」

と小さく答えた。

教室の中が一瞬静まった。

「転校生の方はクラスマッチら、アホらしてやってられへんねやて」

男子生徒の声で、クラスの中がざわめいた。

私は、よく思われていなかった。それは、二学期東京から転校してきてからずっとだ。

結局、例年通りベストメンバーを組むということでホームルームは終わった。

その日の帰り、自転車置き場で佐木に呼び止められた。

「今日、ごめんな、突然、話振ったりして」

「いいの、聞いてないほうが悪いんだから」

佐木は背が高くて、私は見上げる形で微笑んだ。

「それから、これ、サンキュ」

手に、靴下を持っている。

「洗濯してくれたんやろ」 私は頷いた。

「臭なかった?」

ふざけたように佐木がたずねて、私は笑いながら首を振った。

「あの日、困らなかった?片方なくて」

「困ったけど、しゃあないやん。あの後、探したんやけどなあ」

「教室の戸の間に挟まってたよ」

「え、ほんま?気ぃつかんかったなあ」

佐木は、私の目を真っ直ぐ見て話す。彼の視線は強すぎて、私は目を合わせることができない。

「届けようと思ったんだけど、佐木君もう練習してたから」

「声、かけてくれたらよかったのに」

「そんなこと、できないよ」

あの日の佐木のしなやかな身体の動きを思い出して、胸がふんわり熱くなった。

「あの、あの時、どうしたん」

「え」

「いや。教室で…」

言いにくそうに佐木は言葉を濁した。 私は、俯いて黙り込んだ。

「ごめん。言いたなかったら、別にええから」

佐木は、私の顔を覗くようにしながら早口で言った。

「ジョン・レノンが死んだ日」

私は、ぽつりと呟いた。

 ジョン・レノン。長いこと口にしなかったその響きに、私たち三人の空間が蘇る。

「去年のあの日、私の親友二人が、自殺したの」

私はそれだけ言うと唇が震えて止まらなくなった。自殺という言葉を口にした瞬間、内にとどめていた恐怖や悲しみ、苦しさが一気に流れ出した。

「ごめん、私、帰るね」

震える手で、自転車のハンドルを握りしめた。鼓動が激しくなり、それでも、私は自転車にまたがった。気持ちをおさえるように、思い切りペダルを踏む。佐木の呼びかける声が背中に聞こえたが、振り向くこともできなかった。

 私だけどうして生きているんだろう。急な上り坂にさしかかり、ペダルを踏むことが出来なくなった。

 片足を地面に付けると、耳の奥に突然、悲痛な声が蘇る。

 加奈の声だ。あの時に聞いた加奈の悲鳴。

 私は必死で耳を塞いだ。それでもそれは耳の中で幾度も反響し、私はかき消そうと無意識に声を上げていた。ハンドルに頭をすり付けて、自転車ごと横倒しになった。


「誰から言い出したの?」

「本当の理由は?ジョン・レノンが死んだだけじゃないでしょう?」

「どうしてあなただけ飛び降りなかったの?」

「二人はずっと学校に行ってなかったよね」


 一年前、浴びせられた言葉が次々に蘇って、頭が割れるように痛んだ。興味本位の疑問や、非難。そして同情。

 私はアスファルトの上に丸まって、じっと身体を縮める。動悸が激しく、意識的に腹式呼吸をした。

 あれから、こうしていくつもの波を乗り越えてきた。殆ど廃人のように過ごした日々。

「ちょっとあんた、大丈夫?」

 通りすがりの中年の女性が、私のそばにしゃがみ込んだ。

「もう大丈夫ですから」

 私はよろよろと立ち上がり、女性が起こしてくれた自転車のハンドルを握った。  

「顔、真っ青やけど」

 心配そうな女性に頭を下げて、大丈夫ですから、と繰り返した。

 ゆっくり自転車を押して歩いた。このところ収まっていた激しい発作だった。

 言葉にしたことで蘇ってしまったのだろう。痛むこめかみを片手で揉みながら、生きてしまっている情けなさを思う。

「どうして止めてやってくれなかったのよ。友達を見殺しにするなんて」

 涼子の母は、半狂乱に私をなじった。

 止める?私が?

 私を責め続けているのは、自分がこうして生きてしまっていることだ。彼女たちと共に逝けなかったことだ。


 あの事件のあと、私は東京の学校に登校することはなかった。とてもそんな精神状態ではなかったし、両親も勧めなかった。学校側も面倒な騒ぎになるのは、困ると考えたのだろう。

 休学の手続きをして、放課後、教室に立ち寄った。冷たい椅子に腰掛けて、斜め後ろの加奈の席を見る。最前列の涼子の席を見る。私はどうしてあの時、一緒に飛び降りることが出来なかったんだろう。

 

 「死にそこない」


 目に飛び込んできたのは、机の隅っこの小さな落書きだった。

 誰が書いたのか。どんな心持ちで書いたのか。わからない。ただ、私はなぜか安堵に似た気持ちを感じていたのだった。どんな慰めよりも私の心にひっそりと寄り添った。

 負が負を呼び寄せるように、これを書いた人物も濁った中で生きているのだろうと思った。

 私は今でもその筆跡ごと、くっきりと思い出すことができる。




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