背負いゆく草は意志を託す。その意志、幻想の全てを司る
ある日の事、制服姿の一人の少年は、家の畳で寝転んで居た。今日も今日とて暇な一日、彼はいつもの如くこのセリフを呟き、眠気に身を任せて目を瞑るのだった。
しかし、次に目を開けた時、少年は驚いた。自分はさっきまで家の畳の上で寝ていた筈なのに、何故見知らぬ場所に居るのか?
「何だ此処は?」
だが、少年は何となくではあったがわかっていた、自分の今居る場所は幻想郷からそう遠くでは無く、寧ろ近い。そして、自分の今居る場所は、幻想郷の"天の先"である事。
即ち、『天国』である。
少年は自身の体を起こして、柔らか気な雲のような地面に足を付ける。見事な程に眺めが良い、この世には存在しない"あの世"のような綺麗な眺めが、そこにはあった。
「雲の上から見下ろすような気分か。天国は本当にあったんだな。天人が住んでる場所の天界とはまた違う、この世の物では無い綺麗な世界が……」
少年は思わず言葉を失った。自身の立つ世界のあまりの素晴らしさに出る筈の言語を失ってしまっていた。
「でも、俺はまだ死人じゃないし、死ねない理由があるんでな。何とか脱出させてもらうとするか」
少年は周囲を見回した後、自身の背景に神殿のような建物が建っている事に気付いた。あの場所へ行けば、この世界を抜けられるかと。
「この空間は本当に天国のようだ、外へ出ようとしても出られず、また降りようとしても見えない地面が在るかのように阻まれる。だとしたら、正しく道を行くしか無いんだろう?」
少年は迷う事無く歩き出した。その決断が自身の、また自分の仲間の為になる事を知っていて、迷走する事無く、自身の意志に従って歩みを進めた。
歪にうねり、複数に分かれる永き雲の道。絶える事の無い無限の雲の階段。そして、距離を重ねて次々とすれ違う、黄泉の魂達。その中でただ一人肉体を持つ自分自身。
彼に、少年にはとても永い道のりであり、それは生者にはほんの一瞬の時の刻みにしか過ぎない。しかし、少年は表情一つ変える事無く歩みを進めるのだった……。
彼の中で非常に長い時間が過ぎた時、漸く神殿が彼の目の前に姿を現した。その付近には、すれ違った時よりも黄泉の魂達の姿無き姿が無数に混在していた。
「やはり、ここが現世へ繋ぐ扉か」
少年は長く歩いた疲れすら見せる事無く、神殿の巨大な扉を押し開こうとする。しかし、少年が幾ら押そうが、扉はビクともせず、少年は半ば諦めてしまった。
「何て硬い扉なんだ……このまま開かないなんて事は無いよな、まさか。ふざけんなよ、ここまで来て、『はいそうですか』なんて諦めて此処に居ろって事か? 冗談なら他所で言え、俺はまだ終われないんだよーー仲間だけ残して一人だけこのままとか、何を因果に……! ふざけるな…………ふざけるなッ!!!」
少年が力強く放った怒号と拳は神殿の強固な扉を突き破り、その直後に神殿の扉が大きな音を立てて奥側へと開いていく。少年は目を鋭くしながら神殿の奥を見詰めて歩き出した。
ここまで来て諦めて溜まるか、少年は強い意志を胸に神殿の階段を上がり、早く黄泉の魂達の存在世界である天国から離れたかった。早く仲間の待つ場所へと戻りたかった。
神殿に入って暫らく歩いていた時、目の前に魔方陣のような円形が床に出現した。躊躇う事無く魔方陣の中に少年は入り、途端に神殿の魔方陣から消え、違う神殿の中に現れた。
「今度は何だ? 違う場所には来たみたいだが」
少年は神殿内の階段を下り、巨大な扉を押して外に出た。しかし、少年が目の当たりにした光景は、先ほどの雲の道が広がる光景では無く、雪が降り積もる真白の銀世界だった。
「さっきの世界とは違う、天国からは少し離れたみたいだ。でも、幻想郷からは少し遠ざかったか、いや……寧ろ近づいてる? どちらでも無いのか? それに、神殿の後ろ側から、気配を感じる」
少年は神殿を避けて察知した気配のある方向へ歩く。すると、目の前の神殿によって隠れていた数百メートル先に神殿と同じ材質の建物を見つけた。気配もその建物から感じられる。
「この気配、幻想郷そのものを感じる……神か?」
少年は神殿から離れ、その建物へと歩みを進める。その直後から、少年の意識の中にある一人の人物のビジョンが浮かび上がった。
緑色の服、木の葉のような髪飾り、後ろで纏められた緑色の長い髪。それからその姿を小さくしたような姿、小さい姿から少し成長した姿が少年の意識の中に広がり、その三つの姿が少年の意識の中で揃って同じ事を言う…………
『『『キミじゃなきゃ守れない世界がある、キミでしか救えないこの世がある』』』
「誰だ? 何故俺の頭の中に浮かぶ、俺はーーこの人を知っている……?!」
少年は意識の中で確信を得た、自分はイメージとして浮かび上がるこの人物を見た事がある、知っている。失ってた記憶を取り戻したかのように少年は瞼を思い切り開いた。
気付けば、少年の目の前には目指していた建物があった。この先に"あの人"が居る、少年は意を決して建物の扉を両手で開いた。
建物の中に入り、少し進むと、広い場所に出た。その広い場所に、少年の意識の中に浮かび上がった"あの人"が立っていた。
「待ってたよ、○○ ○くん。さぁ、もっと近くに来て」
少年は言われるがまま"あの人"の近くに歩み寄り、目の前に立った。意識の中に現れ、しかも自身が知っていた人物が、今目の前に立って居る。
「あんたは、せ……」
少年がその先を言おうとした時、その人が少年の口に指を当てて止めた。恐らく言おうとしたのはその人の名前である。
「久しぶりだね、待ってたよ。最後に会ったのはいつだったかな? もうすっかり大きくなったね」
「あぁ……」
「キミも幻想郷に来てたんだね、ビックリしちゃった。あれから力も付いて、今じゃ敵う者無しってくらいに強いみたいだね。まぁ、最後に会って戦った時も、私より既にキミの方が断然に強かったから、当たり前だよね」
「あぁ、恐らくこれから先も強くなり続ける。永遠に、無限に……力が力だから、歳もあんまり取れないと思う」
「そうか。じゃあ、大変だねーーいや、寧ろキミなら、これは嬉しい方なのかも。だって、○○ ○ちゃんや○○○○○くんを守れるんだから」
「ーーところで、此処は何処だ? 一応にも幻想郷らしいが、ちと違うようでもある」
「此処? 此処はね、未来の幻想郷だよ」
その人の言葉に少年は驚いた。未来の幻想郷? 少年の今居る世界は、未来の幻想郷の姿だと言うのだ。
「未来? まさか、俺が通って来たあの雲の道や天国みたいな世界がか!?」
「違うよ、確かにあれは天国。でも、幻想郷はその真下にある。世界全体が、未来と言う事。この世界は、キミ達が現れなかった、一巡の世界なんだよ」
「つまり、多次元世界って事か……」
「此処は、キミ達が現れない事でこうなった。まぁ、正直、キミ達が来た方がよっぽど大変な事になるけど、そっちの方が、将来はこうならずに済む。だって、今この世界には、神や賢者が居ないんだもの」
「なんだと!?」
「正確には見捨てられたってところかな、でも、未だに原因がわからないんだよね。キミ達の世界はこうはならないけど、これよりもっと大変な敵が居る。キミならわかるんじゃないかな?」
「あぁ、わかってる」
少年には幻想郷で脅威となる存在が何なのか、わかっていた。それは自分が幻想郷に訪れた時、暫らく経った時から自分の中に突如として現れ、確信してしまったからだ。
その脅威の存在は少年の力を遥かに上回り、力の成長も少年の倍早い。更に、その脅威は少年自身から生まれ出たモノで、少年なら一番知り得る存在だからだ。
「あいつはまたいずれ戻って来るだろうな。彼奴は俺だ、俺は俺でしか倒せない。その時が来たなら、必ず俺が終わらせる」
「そうか、なら問題無いね。でも、心配だったからこうやって呼び出したんだから、やる事はやっておかないとね」
「やる事?」
するとその人は両手の平を少年の胸に当て、深呼吸で精神を統一する。その瞬間、少年は自身の胸に強い衝撃を感じ、息を漏らしながら少しだけ仰け反った。
「私の力を分けてあげる。仲間や自分が傷付いた時はその力を使って。あなたは一人で戦っているんじゃ無いって事を、忘れないでね」
「わかった」
「それと、ちょっとだけ私の意志も混ぜちゃった」
「意志? おい、これちょっとってレベルじゃないぞ、全部じゃないか……」
「キミしか頼れないんだ、ゴメンね。でも、キミなら絶対にこの意志を自分の物にして、私以上に頑張ってくれると思う。それじゃ、また機会があったら会おうね」
その後、少年の視界の周囲が真っ白に染まっていき、次に目を開けた時にはそこに仲間二人の心配そうな表情があった。少年は咄嗟に起き上がり、手を自身の胸の辺りに触れる。
「はぁ良かったぁ。○、私達が声を掛けても全然起きないんだもん、心配したよ」
「どうしたんですか? ○さん。胸がどうかしたんですか?」
「いや、何と言うか……あれ? 何で俺、胸に手を当ててるんだ? 何かあり得ない夢を見たような見てないような……」
「記憶が曖昧になってますね、夢とはそんなものですよ。折角見たのに、目が覚めると、見ていた記憶まで覚めてしまう」
「そうか……」
だが、少年は確かに感じた胸の感覚を体で覚えていた。しかし、夢を見たと言う確かな記憶が、欠片も残らず消えてしまっている為、結局最後まで思い出す事は無かった。
しかし、少年はいつかその記憶を思い出すだろう。来たるその日に、いずれ必ず……