第4夜:湯煙闘争記
寒い日には温かくて広いお風呂にのんびり浸かりたいものです。
暴力団規制法が強化された。一般の銭湯や温泉で刺青ないしはタトゥーを挿れた人物を入場させた場合には、銭湯や温泉の管理者に厳しい罰則が課せられることとなった。
銭湯を愛してやまないヤクザたちはもとより、銭湯や温泉の経営者や団体にまでとばっちりをうける形となった。だが一番の被害者はアートやファッションとしてタトゥーを挿れている若者だった。
こうして銭湯や温泉では暴力団追放を掲げ、タトゥーだと言いはる客も入場拒否を行った。
ヤクザたちは不思議と銭湯に集まるのを好むため、経営難の銭湯や地上げ同然で銭湯を乗っ取り、『自分たちの風呂場』として使うようになった。
ヤクザのシマができはじめた頃は、「お互い様」と言って同病相憐れむようにその時だけはどこの敵対する組のものであろうが平等に平和に銭湯を楽しんだ。
警察も「銭湯ではなく、事務所のでかい風呂場であり、ここでは商売もしてない」と言われれば、介入することはできなかった。
もちろん銭湯は普通の家庭の風呂のように毎日きれいで居てほしいという願いで常に下っ端に掃除を命じ、自分の格を上げるために舎弟に背中を流させる仕事を任せるうち、皮肉にも『三助(風呂焚き・掃除・背中流し)』が復活する要因ともなった。そうしてヤクザの世界で下っ端はまず『三助』からという習わしが生まれ、下っ端=三助という名称へと変わった。
そんな古く新しい銭湯文化が芽生えつつあったころ、一つの事件が起こった。幼い頃に銭湯へ行った郷愁に駆られ、どこからかヤクザの風呂場の噂を聞きつけたタトゥーを挿れた一般人がヤクザたちのシマ(風呂場)へ上がり込んだ。
「お前らのせいで俺は銭湯に行けなくなったんだ!お前ら責任をとれ!」
タトゥーを挿れた男は無謀にもヤクザとやり合い、タコ殴りにされて外へ放り出された。
この暴力沙汰がニュースになり、やがてくすぶっていたタトゥーを挿れた一般人達の心に火を着けた。
『ヤクザの風呂場事件』をきっかけに、ヤクザのシマ(風呂場)には、度々カチコミが入った。それは同業者でもなく華僑マフィアでもなく、一般のタトゥーを挿れた者達だった。
彼らの思いはただ一つ。
『銭湯に入りたい』
その一念だった。
ヤクザたちは当然、たとえ一般人であろうと自分たちのシマを荒らされまいと、銭湯の警備を厚くした。
だがヤクザ達の自衛策がさらにタトゥーの者達の怒りに火を付け、集団で燃え上がった。
時には警察が介入する自体にまで発展した。
しかし、そんな一見して暴力的なタトゥーの者達にも矜持がある。それは『人を殺めない』ということだ。ヤクザ相手に拳で立ち向かうが、けして殺さない。そんな彼らの心意気に惚れて、自らタトゥーを入れてヤクザのシマ(風呂場)へ強行突入するものも現れた。
そしてタトゥーの者達の運動は全国に広がり、連日新聞やテレビを騒がせた。
タトゥーの者達も次第に団結するようになり、まるでゲリラのようにヤクザのシマ(風呂場)を襲い続けた。
「おめーら服のまんま風呂に入るなー!」「風呂ん中走んじゃねー!」「風呂に入る時は体を洗えー!」
と毎晩のようにヤクザ達の怒号が響いた。
ヤクザたちは自分のシマを荒らされることと、銭湯のマナーを守らず乱暴に、ただ一瞬でも湯に浸かることだけに命をかけるバカな集団に辟易していた。
そんななか、タトゥーの者達はある場所に目を付けた。それは全国区のヤクザがシマにしている熱海のある温泉だった。
粉雪の舞う中、大勢の上半身裸の男達が白い息を吐きながら目的の場所へ向かった。男たちの体にはタトゥーが施されている。
やがて男たちはある温泉宿へとたどり着いた。宿の前には旅館の従業員ではなく、明らかにその筋の者達が物騒なものを持って出迎えていた。
男たちはにらみ合い、一触即発の張り詰めた空気が流れる。
そのとき、ヤクザ達の中から和服姿のふくよかな老人が現れた。
「オヤジ!」
ヤクザたちは口々に自分の組長の身を案じた。
老人はタトゥーの男たちを貫禄のある顔で一瞥し、咳払いをした。
「まるであれだ、赤穂の四十七士みてーじゃねぇか。残念だが俺は吉良上野介みてーに悪ぃこたぁしてねぇ。悪いのは勝手な法律を作ったお上(政府)のほうだ。」
ヤクザの組長の言葉に、タトゥーの男たちはただ黙って静かに聞き入った。
「それにお前ら、風呂場のマナーもロクに守らねーで風呂に入るってのはどういう了見だ!」
冷たい空気が組長のドスの効いた一喝でなおさらに凍った。タトゥーの男たちはようやく自分たちの敵が厄介で恐ろしいことに気が付き、先ほどの威勢もなくなって寒さと恐怖で震え始めていた。組長は彼らの震える姿を見て今度は一気に腹の底から豪快に笑った。
「まぁ俺は逃げも隠れもしねぇ。さぁさぁ、お前らしっかり俺の背中を流せよ!」
「おう!」
タトゥーの男達は最後の強がりか、それともヤクザという強敵に認められた喜びのせいか、力強い声でヤクザの組長の背中を追っていった。。
粉雪が舞う露天風呂で、ヤクザもタトゥーの男たちも、みな平和にゆったりとくつろいで雪見風呂を満喫していた。
ひとり、先に部屋に戻った組長の元に幹部の者がやってきた。
「オヤジ・・・、こんなことして他の連中から睨まれませんかね?」
幹部は心配そうに組長の顔色をうかがった。
組長は銚子の酒を舐めて言った。
「・・・俺達が風呂場を独り占めしてバチが当たったってことよ。これからは俺達もああいうはみ出し者が自由に出入りできるようにしねぇといけねぇんだ。それに、ヤクザってのも、もともと社会からのはみ出し者の寄り場みたいなもんだからな。」
幹部の男は組長のその心の広い言葉に心酔した。
「まっ、それは建前で・・・、温かくなると『冷たいもの』が欲しくなるだろ?」
組長は幹部に向かって暗く狡猾な笑みを浮かべた。幹部も組長の考えを察し、ニヤリと笑った。
冷たいもの=シャブ=覚せい剤
体が温まると冷たい食べ物や飲み物が恋しくなるのと、覚せい剤の隠語をかけてる、というオチです。