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第3夜:犬

1.探偵とヘッドホンの男

「早朝手当はつかないから。」

大企業の社長の割にせこい事を言うものだと思いながら、俺はバスに揺られていた。

秋の朝というのは冷え込むが、昼になると途端に暑くなる。俺は秋になると薄手のベージュのコートを愛用した。

俺の斜め前にはヘッドホンをかけているくたびれた男が居た。

大企業の社長の依頼で、俺はこのくたびれた男の素行調査をしている。なんでも、社長令嬢がこの男に惚れたらしい。しかも色気たった美人ときたものだ。


男は朝早くから古くて小さなビルの中にある会社へ行き、経理の仕事をしている。残業しない代わりに早朝に昨日の仕事をするというパターンのようだ。

長く務めていることと、仕事の正確さから、周囲の信頼は厚い。

しかし、どうにもうだつの上がらないようなこの男のどこに美人の令嬢を虜にする魅了があるのだろうかと常々考えていた。

普通なら世帯を持っていてもおかしくない年だが、独身。けれど一応同じ経理部に恋人がいるらしい。それも男には不釣り合いな若くて利発そうな女だ。

素行調査を始めてしばらくして、この男と女が仲良く腕を組んで待ち合わせのカフェから一緒に帰っていく姿を見て、男の魅力というものと女の趣味というものはよく分からないと深くため息をついたものだった。

定期的な素行調査の結果を提出し、社長には包み隠さず伝えたものの、

「そのまま続けてくれ。」

の一点張りだった。自分の娘の惚れた男に恋人が居るのに特に怒りも動揺も見せないのはさすが社長の器だけはあると、その時は思っていた。


2.男と女

ある日の夜、珍しく男は先に帰っていた。ヘッドフォンをかけて満足気に歩いている。

急に冷え込み、薄手のコートでは寒さをしのげそうになかった。

ポケットに手を突っ込み、寒さで猫背になりながら男を尾行しようとしたその時、俺は女に呼び止められた。例の恋人だった。

女はひどくむっつりとしていた。

秋の夜空は空気が澄んで、街灯の明かりがよく映える。

「もうあの人に付きまとわないでもらえますか?」

どうやら女は俺が今まで尾行していたのを察していたらしい。男を囮にして俺を捕まえようなんて、なんて健気な女だろうと感心した。

健気で若くて利発なこの女が、どうしてここまであんな寂れた男に入れあげてルのだろうかと不思議でしょうがなかった。もしかしてファザコンの類ではないだろうかと勘ぐっていると、女が苛立ち混じりにぽつりと言った。

「私、恋人のふりをしていただけだから。」

そう女に言われ、俺はようやく合点がいった。確かにあんな男がこんな子に相手にされるはずがない。しかし、疑問は次々に湧いた。

「じゃあ・・・なんで恋人のふりを?あの人には美人の社長令嬢が惚れてるっていうのに?」

俺はおそらく男が美人令嬢のお誘いを断る口実として女に頼んで芝居をさせたものだと思い、令嬢のことを話した。

しかし女は目を丸くして俺を見つめていた。

「社長令嬢?もしかしてあの大企業の社長令嬢・・・とか言うんじゃないでしょうね?」

「うん、それ。」

女の誘導尋問に俺はまんまと引っかかってしまった。女は呆れてため息をついた。

「そんなにあいつ、社長令嬢にモテモテなの?」

「・・・違うわよ。そんなんじゃない。」

女は険しい顔で答えた。

「みんな、あいつのやってることが欲しくて、どんな手段を使ってでも手に入れようとしてるのよ。」

女はそう言って、膝丈ほどの花壇に座って足を組んだ。俺も女の側に座ってしばらく女の動向を待った。

「最初は、みんな技術者として雇おうと考えたみたいなんだけど、全部お断りしたんだって。そしたら今度は色気仕掛け。社長が自分の娘と結婚させて自分の会社で雇おうとしてるの。」

一時の静寂を破るように女はまくし立てて話したが、わからないことだらけだった。

「え?技術?だってあの人あんたと同じ経理だろ?なんの技術があるんだよ?」

一介の中小企業の経理職の人間に、どうして大企業の社長たちがこだわるのかがまったくもってわからなくなった。女も話すべきかどうか迷っていた。

「信じてもらえないかもしれないけど・・・。」

女は遠くを見たままぽつりと言った。

「あの人、昔、すごく可愛がってた犬を亡くしてしまって・・・。今でもヘッドホンで生前に録った犬の声を聞いたりしてるの。そして、犬が死んで以来ずっと独学で、『死なない犬

』を作ろうとしたの。」

「死なない犬って、アイボとか昔流行ったロボット犬?」

女は首を振った。

「そんなもんじゃない。あの人は自分で作ったロボットの犬に生前の犬の魂を宿らせたの。」

「・・・う、うそだろ?」

自分でも自分の顔がひきつっているのがよく分かる。もしかしたらこの女は頭がおかしいふりをしてどうにかして俺を煙にまこうとしてるに違いない。だが、どうにも嘘をついているようにも見えなかった。

「・・・別に信じなくてもいいけど。本当なのよ。だから大企業が目をつけてるの。特に富裕層なんかが欲しがるでしょうね、そういう技術。」

「永遠に生き続ける方法・・・か。」

確かに金持ちや生に執着する人間なら大金を積んででも生き続けたいと願うだろう。俺は思わず自分が妙なことに巻き込まれてしまったことに薄ら寒さを感じた。

それからしばらく互いの沈黙は続いた。

「ま・・・恋人役は面倒だけど、小遣いもらえるからいいんだけどね。」

女は年らしい可愛らしい笑顔で言った。

「金もらって『用心棒』ってわけか。」

俺も釣られて笑ってしまった。

「あ、それから、私レズだから。」

そう言って女は立ち上がってスカートの砂を払った。


3.脱走

訳のわからない妙に恐ろしい話を聞かされて、俺はショットバーで酒を飲んで暗い夜道を歩いていた。秋の湿った冷たさが、酒で火照った頬に気持ちいい。

公園のベンチに座り、ぼんやりしていると、何かが軋む音がした。

小型犬くらいのサイズの、金属の骨組みがむき出しのロボットのおもちゃのようなものが目の前を通っている。その横を白いうさぎが寄り添っていた。

―これで黄色い象が通ったら完全にアル中の症状ですね、どうもありがとうございます。

俺はロボットとうさぎの後ろ姿を見送りながら、今日女から聞かされた話で頭がおかしくなってしまったのか、それとも飲み過ぎが祟ったのかわからなくなってしまった。

「だめだな。帰ろう。」

ベンチから立ち上がり、頭を掻いて家路に向かった。


翌日、いつもの様にバスに乗ろうとバス停で待っていた。コンビニで買った新聞の一面には『サーカスのライオンが脱走』という記事が載っていた。記事に目を通していると、いつもの男がバス停を通りすぎて近くの交番に慌てて駆け込んでいった。

男の様子が気になり、バスを待つ列から抜けて交番の横を通り過ぎると、男は交番で自分の愛犬が迷子になったと騒ぎ立てていた。

俺はふと昨日女が話したことを思い出し、カマをかけて交番で騒ぐ男に話しかけてみた。

「あの、実は昨日迷子っぽい犬を見かけたんですけど・・・。」

男は振り向いた。憔悴しきってはいたが、俺の話を聞いて目を爛々と輝かせていた。

男は机に置いていた写真を乱暴に掴んで必死になって俺に見せた。

交番の巡査たちは気味悪そうに見ていたが、俺は写真を見て内心驚いた。

昨日夜に見かけたロボットと同じなのだ。

その時、交番に無線が入った。

『廃墟の別荘で、うさぎと脱走したライオン、そしてロボットが見つかった。至急応援を頼む。』

無線の内容に男は目を丸くした。

「もしかしてうちの子かもしれない!あの子は足の関節に鈴を入れないと鳴けないんだ!」

男はまたも訳のわからないことを喚いているが、交番に送られてきた画像には確かに男のロボットがうさぎとライオンをかばうように写っていた。

俺と男は参考人として例の別荘へパトカーで向かった。

着いた頃には、まだ例の動物とロボットはそのまま部屋の隅に固まって動こうとしなかった。

ロボットはうさぎだけでなく、自分よりも強いライオンすら守ろうと必死で立ちはだかった。

男はようやく自分の愛犬を見つけた喜びから、愛犬の名を連呼してこちらへ来るよう呼びかけた。

しかしロボットは頑として動こうとしなかった。

男はしびれを切らし、手を差し伸ばして愛犬の元へ行こうとした瞬間のことだった。

ふと、ロボットが顔を上げ、その瞳に悲しみが宿った気がした。

そして静かにロボットは四肢を広げて倒れ落ちた。

男が泣きながらロボットに近づこうとするのを警察が必死で抑えこみ、その間にライオンは麻酔銃で打たれて運ばれて行った。



それから、俺と男は事情聴取を受けた。相変わらず何時間も拘束しながらカツ丼の一つも出てこない。

俺はようやく聴取が終わって廊下の長椅子に座ってため息をついた。

そこに、知り合いの刑事がやってきていろいろと世間話で花を咲かせた。

「しかし、本当にロボットに魂が宿ってたのかねぇ・・・。」

刑事は不思議そうに頭を掻いた。

あの山荘で見た時、俺は確かにあのロボットはプログラムで動いているのではなく、自分の意志で動いているように思えた。そしてもう男にはこれ以上バカな真似はよせというように停止したように思えた。

事実、バッテリーも回線も電気系統も金属部分にもプログラムにも異常はないが、まったく起動しなくなったらしい。本人が試しても起動せず、男はその場で泣き崩れたらしい。

「ところでよ、」

不思議な事件に巻き込まれて考え込んでいた俺に刑事が言った。

「あいつ、いつもヘッドホンで愛犬の声聞いてたって話を聞いたったお前が言ったらしいじゃねぇか。」

「ああ。」

刑事が言うとおり、確かに俺はそう言った。

俺が真面目くさった顔で刑事の顔を見た。

「その例の音楽プレーヤー調べたんだけどさ、」

刑事はしばらく口ごもり、ようやく俺に聞こえる声で言った。。


「なんにも入ってなかったよ、音が。」




孤高と狂気の天才技術者と、それで金儲けをしようとする企業の思惑。

そして渦中の魂を持ったロボットのお話。

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