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機械人間とわたし

拍手でご指摘ありました「平方四辺形」→「平行四辺形」を修正しました。

活動報告見ていない場合を考え、こちらに載せます。

ご指摘ありがとうございました。本当に勘違いって怖い。まことに助かります。

 彼を図形で表すとしたら、誰もが真四角なのだと声を揃えて言うのだろう。

 角が鋭角な三角でも、一つ角が多いだけで随分と形の丸くなる五角形でもなく、四隅が規則正しく九十度を描き、四方の長さが揃っている平行四辺形なのだときっと皆形容するに違いない。


 勿論、わたしもご多聞に漏れずその一人だ。


 彼の仕事態度に緩慢、怠慢の文字はなく常にスケジュールは管理され、彼はどんなに困難な条件を突き付けられても整然と、それでいて確実に一歩一歩こなしていく。

 真四角で頑固な人間は、突発的で偶発的な仕事に上手く対応できない? 

 いや――――、彼はそんな無能では無く、眉を僅かに動かす事も無く(それはわたしとの事態を乗り越えた朝のように)その緊迫した状況を乗り越えることが出来るのだ。

 理論的に動き、感情論を嫌う。

 自分の手を使うことに惜しまずむしろ部下の仕事までも抱え込もうとするさまは、良くいえば世話好きだが、悪く言えば過保護であり人を余り信用しないとも取られがちだろう。

 わたしの部署で主に彼は後者だと解釈されて、部署の中心人物の一人である筈なのに彼は常に浮いていた。

 悪い人ではない、とわたしだって思っている。なんといっても直属の部下だ。

 気難しい彼の顔色を常に窺い―――と、出来る程にわたしは利口でも世渡り上手でもなく、考えなしでしょっちゅう怒らせているのが日常だ。

 けれど、頭ごなしに叱責した後(と言っても声は至って静かに)怒り過ぎたと本人なりに反省しているのか、視線でこちらを窺っていることもある。彼は上司ではあるけれど、どうにも面倒だと思いながらもたまに子供のようで放っておけないのだ。因みに言わせて貰うと、わたしの方がずっと歳下だ。

 そしてわたし自身、そんな複雑な彼を苦手だと思っているのに、他の人達のように完全に嫌うことができないでいる。


 要するに、彼は極端に口下手で不器用なのだろう。

 感情を上手く表面に出すことに長けておらず、誠実に真っ直ぐ向かい合おうとすると相手に威圧感を与えてしまう。無駄(?)に仕事が出来過ぎる為に、最速で無駄のない道を選び過ぎてそれを他の人間に強要しようとする。

 上手くその最速の道に進むよう誘えば物事は万事うまく進むのに、彼の頭は頑なでそんな音頭をとることも出来ない。

 どんなに疲れていても、決して緩まないネクタイは彼の鎖。

 どんなに過酷な暑さ(それがエアコンが壊れる事態でも)だとしても、決して脱ぐことのない背広は彼の鎧。

 常に整然と物事を処理し、冷静に対応する機械のような人間。

 それがわたしの上司である菱谷ひしや たもつだ。


 そう、わたしだって思っていた。

 そう、昨日までは。



 地球にはわたしが住んでいる国よりも大きな国々がひしめいていて、その地球のある宇宙にはまだ解明できない謎がたくさんあるという。

 限りのない、という本当の意味を知らないわたしは、宇宙の外側にある何かをいつも考える。

 宇宙のその外側にはまた、硝子細工の入れ物があって、硝子細工の小さな宇宙を覗き込む小さな子供でもいるんじゃないかって。

 宇宙にはもっと外側があって、わたしたちは子供のおもちゃに住むカビみたいなものに過ぎないんじゃないかって。

 深く、小難しく考える。

 だから、今わたしが悩んでいる事なんてきっと小さくて鼻で笑ってしまうことなんだろう。


 そうだ。勿論わたしだって分かっている。これはきっと現実逃避だ。


 わたしは今日の分の仕事の入った箱を眺めた。

 仕事場についたのは、始業時間のベルが鳴るまさに一分前。

 常に十分前行動(たまに一時間前行動もある)を基本とする菱谷にとっては、今日のわたしはほぼ遅刻という認識なのだろう。

 本日、わたしの上司のご機嫌は史上最悪のようだった。

 出勤早々、平常運転の菱谷からデスク前に呼び出された。頼まれていた書類を机の上に置いてなかったのが原因だ。

 昨日、退社時に早めに出勤して探しておこう、と軽く考えていたのが運のつき。

 いつもでも十分苦虫をつぶしたような顔をしているのに、今朝はいつもより五割ほど多めに噛みつぶしたらしく、微かに開いた唇から出て来そうなのは小言というよりも毒を含んだ煙に近い何かだ。

 君子、危うきに近寄らず。

 彼がこんな顔をしている時は、近寄らないに限る。

 昨夜、一緒に酒を飲んだ筈の同僚は、助けを求める様なわたしの視線を巧みにかわし、それぞれの仕事に打ち込んでいる。裏切り者め。

 いつもよりも五分遅れ、彼のデスクに、砂糖を一杯半入れて湯気の立ち昇るインスタントコーヒーを置いたわたしは、早速、彼の餌食となった。

 さっさと自分の机へ戻ってしまえば良かったのに、思わずかっちり締められたネクタイに視線を落としてしまったのがそもそもの間違いだ。

 完全防備の鎧の中を、このわたしが知っていると知ったら同僚たちはなんというだろう? そんな事を考えてしまった。なんて無駄なことを考えたものだ。

 一瞬、遅れたのを彼が見逃す筈もない。向けた背に、地を這いながら匍匐前進してくる声が忍び寄る。


「……書類は? 昨日頼んどいた筈だろう」


 一瞬でデスクに貼ったままの付箋の事を思いだして、嫌な汗が噴き出た。

 大袈裟な表現ではない。本当に視線が突き刺さる背中からぶわっと冷たくなって、わたしはお盆を強く胸に抱え込む。

 すぐ近くにあった先輩の席に救いを求めれば、彼は素早く受話器を取る所だった。

 ひとまず彼の採点は著しく下げておくことにして、わたしはぜんまい仕掛けのようにそちらへと向き直る。今朝ベッドの上で彼の背中を見た時のようにぎこちない動きだったと思う。

 色気もそっ気も無い、ただ咎める視線だけがわたしに突き刺さった。

 今日も彼は濃紺の揃えをきっちり着ている。ネクタイは常にブルーか、濃灰。

 本日は濃灰をセレクトしたようだ。今朝の空のようにどんよりと重い色が実に今の気持ちにピッタリだ。

 髪はきっちり後ろへ撫でつけて、元々険のある表情だというのに迫力が無駄に増している。

 神経質そうに人差し指はデスク上の書類を叩いた。それを見て、今朝わたしが探し出す前に既に彼が探し出してしまったらしいことを知る。

「頼まれたものに責任を持つのは、社会人としての基本じゃないか?」

「……はい」

 どうせ見つけたんだからいいだろう、そう言いたいのは山々だけど口を噤んだ。先程、目覚めたベッドの上で会社に行きたくないと泣き言を漏らしていた筈なのに、菱谷の回路はフルスロットル。あれくらい可愛げのある所をここでも垣間見せて欲しいものだ。

 確かに、昨夜、飲み会の開始時間が近付いてきた頃に頼まれた仕事を、どうせ明日やればいい、と後回しにしたのはわたしが悪いだろう。

 座右の銘は『明日出来ることは今日やらない』と言って憚らないわたしが、彼の矢面に立つのは何も珍しいことではない。

 猫に鈴をつける、同僚に揶揄されたことがある。

 猫が彼で、鈴が私だ。

 何かあった時はまず、わたしを矢面に出せば事態を鎮静化(というよりも怒りの限界超えて黙らずを得ない状況になるともいうが)してくれるということらしい。

 むしろ、彼と会話が可能なのはこの部署でわたしだけだ。基本、彼は仕事の話以外他の人間と話をしない。

 わたしは鈴。彼の首について、彼の存在を誰かに知らせる役目なのだ。

「聞いているのか、円居まどい

「……あ、はい。聞いていました」

「もういい」

 明らかに聞いていない様な間の抜けた返事に、彼は怒りの向けどころを失ったらしく溜息をついて説教はお開きとなった。

 たまにあるヒステリーの暴発を最小限にとどめるのは、とにかく長く細かい説教を聞き逃すに限る。これも彼の下について三年目にやっと取得した特技だけれど、他の人間には応用が利かないものらしい。

 自分の机で残りの仕事が積み重なる箱を横目で覗き込むと、隣の机でただひたすらにキーを叩いていた同期の三門みかどが顔を近づけてきた。

 この部署で同期は彼一人だ。長いものには全力で巻かれる、と豪語する三門はきっと同期の中でも出世は見込めないと、わたしの中で残念な評価である。

「今日、奴の機嫌は?」

「今期最悪と思われます。カミングアウトは様子見した方がいいよ」

「うわぁ、ミス報告なんて……」

「持っての他、だね」

 書類のファイルを立てて、わたしはひそひそ話をしながら陰からさりげなく菱谷のデスクを覗き見た。


「ひっ!」


 なんか変な声が出てしまった。上手く隠れていた筈なのに、睨み付ける不機嫌な視線にかちあって、椅子から飛び上がる。

 だが泣きそうな三門から素早く顔を離し、わたしが書類箱を物色し始めたことで彼は満足したらしい。

 不機嫌そうな眉間の皺はこちらからもしっかり判別できるものの、菱谷はデスク上へと視線を戻した。

 今日は随分と不機嫌の継続が長いようだ。確かに目覚めは最悪だったのかもしれないから、同情を禁じ得ないけれどそれはお互い様だ。

 三門は年の割に幼く見えるその丸い顔を両手の平で抑え込んで、大きく溜息をついた。是非彼には、長いものに全力で巻かれてきつく締められる苦しみをたまには味わって欲しい。

 断頭台に昇る人間はこんな風に向かうのだろうか? 太めの体を包んだブラウンのスーツの背(ぱっと見、クマの人形に見えるのが滑稽だ)にわたしは小さな声でエールを送った。

 どんな時であれ、ミスは裁かれないといけない。とにかく、三門はうっかりミスが多過ぎる。

 今にも振り切れそうだった菱谷のメーターは、彼のミスによって始業一時間でその限度を超えてしまったらしい。三門は速やかに会議室へと呼ばれ、連行されていった。

 連行される囚人が消えた扉が閉まると、やおら部署内に喧騒が戻ってくる。

 いつもこんなものだから気にはしていないが、今日は特に騒がしい。特に離れた場所に座る女性陣の視線がどうにも気になった。

 上司である菱谷の指示の元、わたしだけは制服に合わせ灰色のカーディガンを基本にしているけれど他の女性社員は自由なものだ。

 社内は制服を主体としているが、羽織りものは各自持ち込みを許されている。

 ショッキングピンクなど、余程の原色や派手な模様ではない限り見逃して貰えるという事もあり、皆それぞれ創意工夫をしてお洒落を楽しんでいる。

 胸元にパールをあしらったカーディガンを着た保志野ほしのがまず駆け寄ってきた。

 頭には目立つ大きなブラウンリボンのカチューシャ。これは一度ホワイトバージョンの時菱谷に注意された筈だ。

 それでも彼女は、菱谷が言った意味をよく理解できていなかったらしい。色のみブラウンバージョンに変わった全く同じものが一週間後には再び彼女の頭に鎮座していたのだ。

 しかし、それでどの包囲網を潜りぬけたというのか。

 色がブラウンに変わっても目立つ事には変わりがないのに、菱谷は注意するのを止めたらしい。

 菱谷に注意されても押し通す保志野のリボン好きにも呆れたものだが、菱谷の注意着眼点も良く理解が出来ない。

 朝からお疲れ様な程に綺麗に巻かれた髪をわたしの前に垂らし、彼女はわたしの顔を覗き込んだ。

「二日酔いとか、大丈夫? もう飲み過ぎだよう」

 舌ったらずな話し方が、アニメの登場人物のようだ。キャラ付けの為の声と思いきや、彼女にはこのヘリウム混じりの声が通常運転というのだから、女性の中でも比較的声が野太いと言われるわたしには驚きを隠せない。

 彼女はどうも昨夜から心配してくれていたらしい。優しい同僚を持つと救われる。

「薬を飲みましたから、大丈夫です」

 それは嘘だった。薬は一時間前に飲んだというのに、地鳴りにも近い頭痛は絶えずわたしの頭を鳴らしている。

 鎮痛剤という文句を信じたわたしが馬鹿なのか、その外箱に書かれた効能は今回のわたしには効かないようだ。 

「珍しく……、かなり酔ってたみたいだから……あの、凄く心配したんだよ?」

 後ろからニットジャケットを羽織った土田が顔を出した。

 顔の所為か、服の所為か。一つ上とは思えない成熟さを見せる彼女の微妙な語間は少し気になったものの、わたしは曖昧な微笑みを心掛ける。

「いや、本当に恥ずかしい所をお見せしたみたいで、起きてビックリしましたよ」

 菱谷が裸で横に寝ていたんです、とは流石のわたしでも口には出さずに、

「頭が痛くて悶絶しましたもん」

 というだけに留めておいた。

 嘘ではない、その後に脱ぎ捨てたらしい下着と服を這いまわって探し、菱谷の前で土下座をしたことまでは馬鹿正直に話さないだけだ。


「でもさ」


 先程、菱谷に呼びとめられた際に即電話へと逃げた先輩が、ひょっこりと土田の後ろから顔を出した。

 今日、彼らの上司は重役出勤のようで新しい指示も無くやるべき事さえ終えてしまえば暇らしい。

 どうにもわたしとの差に不満を感じ得ないが、ミスでも起きれば直属も何も関係無しに三門のように菱谷に連行されるのは目に見えているので呪いでも掛けておこう。

 先程の様子とは打って変わって、生き生きとした様子で先輩である米川はその勘違いした流し眼をこちらへ向けた。

 イタリア製の三つ揃え、クレリックシャツに細めのネクタイ。薄いイエローセルフレームの眼鏡。

 セレクトは間違っていない筈なのに、どうも掴みの甘い漫才師のように冷やかな目で見てしまうのは、きっと自己陶酔しきっているこの仕草の所為だと思う。

 自分の行為がセクハラであるとは思ってもいないらしく、馴れ馴れしく土田の肩に手を置いてそのぱさついた髪をかきあげる。

 たまに土田の顔でも覗き見る余裕が彼にもあれば、社内の苦情箱に苦言を入れられることは無いのに、彼は最早社内でも有名なセクハラ男だ。

 恐らく、この会社で相手を見つけることは一生出来ないだろう。何も知らない子羊ちゃん(米川曰く)が早く見つかることを祈るだけだ。

 意味ありげに言葉を切ったそんな彼は、訝しげに眉を寄せるわたしににやついた笑みを向ける。

 そうだ。わたしはこいつが嫌いだった。今更ながら、思い知った。

「まさか円居があそこまで強引とはね。恐れ入ったよ」

 おっと、ここにもまた記憶喪失の種が落ちていたらしい。

 わたしは可能な限り、表情を変えないことを心掛けながら米川に首を傾げた。脳味噌を右に揺らした所為で液体化した中身が耳から滴り落ちそうだ。

「ちょっと、米川。そういう言い方はないって。円居だって酔っ払ってたんだからさ」

 何か言いたげな米川を止める土田の視線には、慈愛に満ちた同情の影が漂っている。

 きっとまだ知らない自分の失態が彼らの中には眠っているのだろう。全てを聞いてしまうのに少し、躊躇してしまう。でもわたしだって、もし聞くのなら菱谷のいない時がいい。

 状況を把握しようとして、この件に対して今は口を閉ざす保志野を仰ぎみても彼女は曖昧な微笑みを維持するに留めた。恐らくこの表情、昨夜のわたしはかなりの状態だったんだろう。 

 わたしは意を決して、

「何か、しましたか?」

 と、聞いた。


 人の失態は、勝手に面白おかしく伝えられるものだ。

 贔屓目に見て、米川の話は三割増量気味だったとしても、わたしはすぐに聞いてしまったことを後悔する羽目となった。

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