第二章
第二章
道化。それが私だった。人が無意識下に望むことを行い、怖いもの見たさ、の怖いものを実践する。しかしピエロは個人を発してはならない。皆の期待を一身に背負う為、個人の意志が介在してはならない。介在すれば“期待”がピエロなのではなく“個人”がピエロになってしまい、ピエロの背景を覗かせてしまうからだ。それ故ピエロは顔をメイクで覆う。個性は顔に出るからだ。その目の隈や鼻の吹き出物や口のひび割れや、皺の具合や肌のシミや色などがそうである。時々ピエロが怖い、と感じるのは顔が無いのっぺらぼうだからだ。派手な顔だからこそ、そこにだけ目が行ってしまって素の顔を想像出来ない。そもそもピエロは人間であることが必要か? 同じ芸当ができるのならば猿でもよかろうか。いや、やはり必要である。猿が人間の真似をすれば人間の価値が揺らいでしまう。人間自体が滑稽な猿のための道化となってしまう。……私は複雑な「人」であることに億劫になった。
間もなく町立の中学に入った。中学校は町に一つしかなく、五つの小学校の生徒だった者達が全員集合する。人数は計百五十人程で、その半数は東西の小学校の出身で、もう半数はその他の出身である。私は後者に入る。
中学校は町を横切る河川の対岸にあり、行くには必ず、赤く塗装された橋を渡らなければならない。赤い橋の先には消防署もあり、水と親しむその活躍に私達は守られている。その橋を自転車で通る時、カタンカタンと小気味の良い、電車がゆっくりと体を揺らしながら走っていく姿が想像できる。耳には川のせせらぎと、釣り人の掛け声が聞こえ、元気を分けてくれる。対岸に着くと、すぐに中学校の校門が見える。校門をくぐり、そこから学校まで続く道の両端には背の揃えられた若杉が私達を到着まで見守ってくれる。また、中学校の裏手には国道があって、そこは断続的に車が通り、その通る車の種々多様さは妖美なベールのように中学校を包んだ。今思うと、中学校自体の雰囲気は過保護だったかもしれない。部活は必ず入らなければならなかったし、学級委員で朝学校の入口前に立っての登下校の挨拶を呼びかけ(私も参加させられた)、登下校で自転車を使う際には必ず白いヘルメットを被せられるのだ。最後の件に至っては、ただでさえ町はあまり車の通りが悪いのにやや厳重過ぎるとかかっていたが、そのお世話になった時が一回あった。私がいつも通りに帰る途中、カラスが電線の上から糞を私の頭にひっかけたのだ。なにくそ、と私は天を仰いだが、カラスはカーカーと嘲笑いながら日差しの周りを旋回していた。私はここで動物にもしっかりと知性と嗜虐心があることを理解し、そして学校の配慮に感謝した。
入学して、私をいじめていた連中とは別々のクラスになった。私の地区の小学校は代々人数が少なく、私達の学年もその例に漏れなかったので、中学校の五クラスに均等に配分されたのだ。新しい生活の最初の数ヶ月間は本当に幸福だった。私が相手を知らなければ相手も私を知らない。私の小学校低学年の、交流の怠り、という人間関係的な負い目を感じることはなかった。私はその反省を旨にして男女問わず話しかけ、沢山の知り合いができた。エロティックな発言はもちろん抑えた。あの行動は笑わせるのではなく笑われたのだ、ということが徐々にわかってきたからである。なんと惨めで不恰好な下品さだったのか。私は今更ながら、解決の手段があれしか思いつかなかった自分の頭を呪った。
私は学校では家での沈黙への反動も加わって、舌を休ませることをしなかった。そうする内に、美術の絵の話題が出た時に私は過去の無生物・ロボットの一種忌まわしい、呪われた産物をつい話してしまった。私は自分でも尋常でない行為だと解していたので、やってしまった、と話したことを直後に後悔したが、人は私を称賛してくれた。
「へえ、やるじゃないか」
「今度私にも見せて」
ああ素晴らしい、人の顔色を窺うこともせず、自分の欲求そのままをさらけ出すことで相手も満たされるという充足感が私を浸した。私はこの時過去のエロティシズムに沈んだ自分を「さようなら」と手を振って別れを言った。私は初めて生きる喜びを得たのかも知れなかった。
ある日、私に好意を持つ女性が数人いることに気付いた。これは決して自意識過剰ではなく、涵養された観察と内省の力の賜物による真実だと自負している。おそらくは、私の内に宿っていた闇に気付き、そこで周囲の異性との差異を見出し、興味を持ったのであろう。人とは珍しいものに集るものである。
その女性の中の一人はとても積極的だった。理科の授業で理科室に向かう時は
「移動教室だから私と一緒に行こうよ」
私の腕をとって引っ張って振り回した。また、彼女がやや髪を短くすると
「髪切る前と後、どっちが似合ってる?」
この質問に私は
「前の方が良かったかな」
そう言ってしまった。女心を知るには若すぎた。この答えに彼女は
「どっちも可愛いって言って欲しかったあ」
泣き出す真似を始めてしまい困ったものだった。さらに、年末に近づけば
「年賀状送るから住所教えて」
この年の年賀状は女子からのものが十枚以上来たことを覚えている。
彼女はこのように事あるごとに私に話しかけ、優しい微笑でその気持ちを訴えていた。彼女はテニスクラブに所属しており、風が吹けば流れ星のようにきらめく髪が淫靡さのない健康性を示すショートヘアーだった。私は読者の皆様も御存知の通り、内向的な性格なので、この女性は私にとって磁石のN極とS極のごとく相性がよかったはずだ。我々は人間である前に哺乳類、哺乳類である前に多細胞生物である。対する単細胞生物の欠点は、増殖方法が分裂なので、核爆発のように信じられないほどに増える。しかし、その性質は全てが同じであるのでたった一つの要因で全滅する危険性がある。多細胞生物はこの欠点を克服し、相反する性質の物同士が結びつくことであらゆるものに抵抗をつけようとしていく。……話が戻るが、この点で、この女性は私にとって本能的に理想的であっただろう。しかし、この時の私は、求められることに慣れておらず、ただ戸惑い、部屋を漂う蝿のように、つかむ手をかわしてあてどなくさまよっていた。それを最も害と感じたのは、部屋の持ち主ではなく、近所の人間、つまりクラスメートの男子であった。空気を乱しながらふらふらする私か、それをいつまでも捕まえられない彼女か、あるいはその両方に忿懣を覚え、私に攻撃を加えたのだ。それは肉体的、精神的両方に及んだ。廊下を歩いているだけで
「おら、邪魔だ」
そう手で薙ぎ払われ、ベランダに呼び出されては
「飛び蹴りの威力試させてよ」
両足で蹴られては何度も外に落ちかかった。中学校一年の階数は三階である。そしていじめの最中、クラスの女子が私の側を通りかかれば
「こいつと俺、どっちがかっこいい?」
そう聞くのだ……殴る蹴るは当たり前、罵倒は授業中、休み時間関係なく行われた。それを注意した担任の給食にいじめ連中が食べられない方の糊を入れて、それを知った担任は休職してしまったことがある。ある日、帰ろうと思い、棚においてあったスクールバックに教科書を詰めようと思って中を開くと、そこから落ち葉が溢れ出てきたこともあった。その時はあまりの出来事に誕生日のサプライズプレゼントのようにも見えてしまい、軽く頬と涙腺が緩んでしまった。それからしみじみと、小学校よりも進化している……この事実に気付いたのである。いかに攻撃すればダメージを与えられるのかを研究されている。称賛できない技の蘊奥への近づきに褒めるべきだろうか。それにしても呆れたのは自分の被虐性である。私は虐げられることでしか存在を主張してはいけないのか。人並みの生活を送る何かが私には足りないのか。貧しい者が富める者になりたいように、私は強者を切望した。もう小学校時代のような自分を偽る真似はしない、という反抗心がこの時まだ残っていたのである。
それ故、段階としていじめるグループ以外の男子で親しくなった者がいた。彼は貧しい家の出で、一家は借家に住んでいるということを彼から聞いた。同情したわけではないが、「負」が私と彼を類似して見せたので、親しくなった。職場見学の授業の時は、私は自分の意思を曲げて彼の望む土木建築場に一緒に行ったものだ。ある時、彼に自分の好きな人を教えるという、なんとも思春期特有の行動を意図的にした。これは私の望む平衡を満たし、秘密の共有、感情の一体感を抱かせ、想定以上に楽しんだ。しかしその翌日、私がいつものように登校し、教室に入ると、何やら皆が私を見てくすくすと笑っている。皆の視線を追うと私と黒板とを行き来していた。私は体全体で振り返って見ると、黒板に私と、その好きな娘の名前がでかでかと書きなぐられてあったのだ。秘密は暴露されていた。私はたった一人に、それも比較的信頼していた者に裏切られただけに、その場で絶叫したい衝動に駆られた。裏切りとは、自分が喜んで食べたものが実は毒物で、それにより体の一部が毒に奪われていく感覚だ。しかし一瞬で私の頭はそのことを忘却し、現実を否定し、体面を取り繕った。過度な反応をすればそれだけ攻撃を貰う。体で学習済みのことだ。これは夢だ。夢と思い込むことで救われる。友達なんて夢だ、好きな人なんて夢だ、夢ならば現在の自分には関係ない、架空上の妄想に過ぎない、と目を逸らしやり過ごした。
この結果、私は自己に関して二度目の学習と復習をした。ああ、私は自分の欲求だけで生きてはいけない。当たり障りなく、どこにも角が立たないように全てを丸く削らなければならない。私は個性を減らし、他人が思う常識で自分を覆い、ほんの少しの意外性を身に付けることで仮初の個性を肉付け、自他を守るのだ。
間もなく、私に好意を持っていたあの女性は私に幻滅した。自分の好きだった人間が死に、その死体がピエロの格好をして踊りだすほどの不気味さ。私が別人になるのを肌で感じたのだろう。また、先に述べた好きな人の名前が彼女で無かったことも要因の一つだろう。これまでの感情を打ち消すがごとく、私をいじめていた男子よりも手ひどく私を扱うようになった。私を見れば気持ち悪い、私が近づけば臭いと言って身を引いた。その程度が甚だしいほど、私は悲しんだが、一方で私の自己は完成に近づくので大いに喜んだ。彼女の否定は他の男子の私への攻撃を弱らせ、また、私の新たな人格の完成が示唆されていることが意味されていた。自己に関しては他人の批評なくして真に理解できない。単なる自己満足で終わらず、他人の無意識な対応の変化で、私の周りの社会生活を円滑にし、他人に問題を感じさせない。本性を抑えこんでそれが周りに認められることで初めて喜ぶことができる。そう、私は感情を屈折なくして表現できなくなってしまった。いつしか笑うことも忘れてしまった。
そうして、これ以上の問題の発展はうまくかわしていったが、それまでの負の遺産は清算することは出来なかった。彼女の私への嫌悪は終生消えることがなかったのである。この屈辱は自己の形成を怠った私への罰と思うことで救われた。私が初めから自己を形成していれば、彼女が感じた裏切り、彼女による裏切りは起こらなかったはずだ。そう思い込み、平常心を保った。私は本来の性格は「自己の形成」とは思えなかった。本性とは性根、本能のことで、これがそのまま表現されれば社会生活が崎嶇に遭う。恣に行うことは獣と同じである。私は本性を抑えこみ、「理性」によって自己を形成することに成功したのである。
しかし、罰は彼女だけでは済まなかった。小学校時代、私をいじめていた男子・高田が、私の現状を気の毒に思い、友達のように接近してきたのだ。廊下に面する、人の視線飛び交う多目的ホールで会話は繰り広げられた。
「やあ、どうだい調子は」
「まあ、ぼちぼち」
私はこの手の挨拶にいつもこの言葉で機械的に答えている。この言葉の感覚はヤジロベーのような均等のとれたものか、あるいはどちらにも傾きうる不安定さが見え隠れするものか。
「そうか。もし困ったことあるんなら言ってみ」
「いや、特にはないよ」
相談は人との関係を一気に凝縮するが、それ故砕ける時は脆い。私は決して弱みを見せてはいけないのだ。すると私達に関心を持ったのか、第三者がやってきた。
「よお、高田。誰だこの人。紹介してくれよ」
横柄で食って掛かった不躾な態度だ。私にはこの種の人物を引き寄せる力があるのではないかと、これも後年まで私を悩ますこととなった。しかし、この程度で私は揺るがない。私は紹介される前に自分から名乗りを上げ、先制攻撃をした。自己の形成はこうした何気ないところにまで及ぶ。私の言葉に次いで、高田が私の詳細を話し始める。
「ああ、小学校からの縁でな…こいつったら本当変態なんだよ」
「あ、こいつか!お前がいつも話していたスケベ野郎は」
「それにこいつと遊んでいたら担任がいじめだと勘違いして突っかかってきて。迷惑だったよな。なあ」
なんということだ! こいつは小学生の時の私の屈辱の記憶を笑い話にして周りに吹聴しているのだ。私が新たな自己には封印しているものを。さらにいじめを感じていたのは私のみで、奴らは何のことはない、コミュニケーションの一環だと本気で思っていたのだ。いや、いじめていた故の贖罪であったやも知れない。あえて笑い話にして過去に花を添えて美しく見せる。しかし女と友の裏切りを目の当たりにしたばかりの私には同じにしか見えなかったのだ。これを拒む理由は、私の自己の筋書きには書いていないので、そこから高田の説を肯定しつつ徐々に交流が発展していくこととなった。自分をいじめていた者との交流。こう書けば一見美談にも聞こえるが、実際は違う。いじめを認識しているのは私のみであるという恐れが存在し、その根拠としてはそれらしい謝罪の言葉がなかったからだ。私は耐えた。高田の言い做す過去を真実と認識するように努め、私自身の過去も変質させていくことで心の平穏を目指そうとした。自粛と忍耐と変容。これが自分を保つキーワードであった。
交流の一つとして焼き鳥の屋台への寄り道があった。学校の帰り道にある、スーパーマーケットの傍に時々姿を現すのがこの焼き鳥の屋台なのである。白い軽トラック風の車に簡素な「焼き鳥」の三文字の暖簾が質実剛健を思わせ、タレの臭いが微風に乗って鼻をくすぐり、こちらのよだれを催促する。高田と共に帰る途中、これを嗅ぎつけてはよく寄って腿肉や軟骨を食べたものだ。そこで問題なのが、高田が頼んでもないのに奢ってくれるのだ。それはそれで嬉しいのだが、義務を免れ権利を得る行為は私にとっては後味の良くないものを残す。一方的な行為は他方に負い目を作り、対して行為者を盲目的に持ち上げることになる。「正義感」から来るものか、私はこれに拒否反応を起こした。対等な関係でないこと、封建主従、その上下関係の有無が私の虚無主義と反しているのかも知れなかった。そうかと言ってお金を払おうとしても私はお小遣いを貰っていないので払えない。ただ止めてくれと言っても高田は「いいから」と言って決して止めない。悩んだ末、最終的に私は
「奢らなくていい、迷惑だ」
そう言ってのけた。高田は鼻を抓まれたように口を噤み、それ以降彼は私に奢ることはなくなった。しかし、高田がこのことをまた笑い話にしたのにはたまげた。
高田とは違う交流で驚きを隠せなかったことがある。それは「借りパク」と呼ばれる行為が敷衍していたことである。借りパクとは、知り合いから物を借りてそれをそのまま返さないという不義理のことである。この被害に遭った私は衝撃だった。何故、自らを貶めることをするのか。人の信頼に唾つける行為は巡って自分への禍に転化される、と教えられてきた私の「正義感」が侮蔑されたのだ。それは私の親へ、とも取れる憤怒の出来事であった。私は親には複雑な気持ちを持っているが、この正義感の教えは金科玉条に考えているので、この点で親を尊敬していた。何故こんなことをするのか。それとも、「私だから」するのか。高田の場合と同じく、私を御しやすいと思って支配を企もうというのか。冗談じゃない! そこで私はルールを決めた。人にものを貸して一週間以内に向こうから自発的に返さないならば信用しない、とすることにした。だが、私はこの本を書いている今まで、ルール通りに返してくれた者は居らず、その度に泣きをみるのだった。
私はこれらのことから原因は言わず何度も学校を休みたいと親に訴えた。だがその都度親は
「休むと癖になるから駄目だ」
そう言い、受け合わなかった。原因を言わなかった理由は、そうすればいじめが激化することは容易に想像できるし、親に理想の「いい子」の像をなるべく崩したくなかったからである。当時は方方へ恨み言を心で叫んだが、結果から見ると自己の発展を援助してくれたのであるから今では感謝している。
中学時代、全く楽しみがなかった訳ではない。私は小学校で続けていた野球から転向して美術部に入った。強制的に参加させられていた野球には嫌気が差していたし、幼少期の落書き、それを昇華させる可能性に富んだ部を発見し、心が踊ったからである。初めて訪れた美術室は油の濃い臭いと床にこぼれた種々の絵の具の色彩の豊かさとゴッホの自画像が象徴的だった。この混沌が雨上がりの虹のような対照と調和に身を変え、これから来るであろう新鮮な萌芽を予感させた。
その時私と共に入部した一人に美しい女性が居た。確か隣のクラスの学級委員長の池川さんだ。体育の時間は私のいるA組と彼女のいるB組とが合同で行われて、終了の時、いつも彼女が前に立って挨拶を言うので印象に残っている。長い黒髪が特徴的で、眉は迷いのない一文字が二つで、宝石のような瞳が愛らしい。バストやヒップは全く主張せず、それ故彼女の精神性を見ることに肉欲よりも優先することができた。恥ずかしいことに私も歳相応の男子であったので、異性を少なからず性的な目で見る傾向があったのだ。
部室内で彼女と私は隣り合ったので自然とよく話した。話す度に風車のようにカラカラと表情が変わるのが楽しい。また、まるで内容が予定されていたように話が符合を示した。勉強のこと、絵のこと、性格のこと、むしろ合いすぎて話が進まない程であった。彼女は一般の女子中学生とは違い、大声で笑ってはしゃいだりもせず、手を叩いて感情を表現するでもなく、それらから一歩引いた冷静な立場から物事を捉えていた。一言で表すとするならば大和撫子だった。
彼女は……何というか、失礼な言い方だが、私と同類だった。八方美人という鎧を着て、誰にでも同じく接することで自己を守っていた。それに私には呪いのような落書きの毎日のお陰で右手中指にペンだこが出来ていたのが、これと同じものが彼女の指にもあって、まるで結婚指輪のような同調が感じられ、嬉しかった。私は彼女に惹かれた、いや、同情したといった方が正確か。彼女にいずれ訪れるであろう、若しくはすでに訪れた不幸を想像し、それを理解している者がここにいるということを示したかったのだ。
まず私からモーションを掛けた。彼女が私と隣り合って机の前に立ちながら美術の資料を見ている時だった。
「ダ・ヴィンチのモナ・リザだね」
「彼女の顔・体は黄金比の一対一,六一八になっているとのことだよ。その鼻と頬、それらとその口から顎にかけての領域、さらには顔と体がきっかりその比になるよう計算して描かれているんだ」
「へえ、道理でただの肖像画かと思いきや惹きつけられるものがあるね。納得」
彼女がまじまじ資料を見た後、それを机に置いた。そこを見計らって、私の片手をそっと彼女の手に重ねた。彼女の細すぎる体型と相まって手も指の骨が主張してきたが、少ない肉のか細い弾力が私を捉えた。すると彼女は私が触れた瞬間、一歩飛び退いて私に背を向けてしまった。彼女の周りに他の女子が群がる。
「ねえどうしたの、池川さん」
「顔赤いよ、どうしたの」
彼女は理由を話さない。ただ小刻みに震え、鼻から耳まで朱に染まっているのに私の嗜虐心が煽られた。普段の私からは考えられないほど積極性であったが、その魅力は十分にあったのだ。
その後、時々彼女はやり返すように、事前に体育があったわけでもないのに短パン姿で私の前に現れたり、ボディタッチをして私を刺激したが、それがあまりに強すぎるため、かえって私は身を捩らせて拒否反応を起こしたものだ。…高田の変態だという指摘はあながち間違いではなかった。自分はその行為をする癖に受動する立場になると戸惑う。逆説的反応に違いないが、素直になれない自分が腹立たしかった。
それから勉学でも競い合うようになった。お互い学業の出来る程度が同じぐらいだったので良きライバルになり、二人の成績は目に見えて上がっていった。
「池川さん、社会の点数どうだった? 僕は八十八点」
「ふふっ、九十二点」
「負けたあ、ちくしょう」
点数の上昇が、二人の親密度のように感じられ、もっと上がれ、と密かに熱意を抱いた。
私達は暗い親しみと運命の予兆を持ってお互いに近付いていった。単細胞生物でも、全体が死を共有できるのならばそれはそれで幸福ではないか。私達は好き合っていった。中でも確信した事案があった。二月十四日、バレンタインデーの時であった。放課後、部室に入ると女子が既に全員揃っていて、どことなく落ち着きが無い。私の他に男子が遅れて二三人入って部員が全員集合すると、女子が示し合わせたのか一斉に立って、それぞれ近くの男子へ順に義理チョコを渡しにやってきた。私にも数個手作りらしいものが渡された。私を最後に訪れたのは池川さんであった。
「はい、これ…」
私の胸先に袋をピンク色のリボンで結んだものをつきつけた。その時の彼女の頬は熟れた桃のようにほのかに染め上がり、袋のリボンと照応して私に得も言われぬ情感を起こした。
「…うん、ありがとう」
その感情をさらけ出すことはなんだか下品に感じて、極めて淡白に受け取って、その日はそれっきり話をしなかった。家に帰り、机の上で丁寧に紐解き、袋の口を両手で拡げると、中には手作りでハートマークに型どったチョコレートがやっとその顔を出した。しばらくの間、勿体無くて口にすべきか逡巡したが、意を決して一気に口に入れた。口の中を甘みの波が押し寄せた。舌が海に面する砂丘のように波を迎接し、押せば引き、引けば押す可愛い浸食が生じ、心が満たされた。
ホワイトデーでは
「これ、あの日だから」
私は部活が始まるやいなや、そう言って昨日デパートで売っている今日仕様の商品から、妹の目を借りて厳選したものを手渡した。彼女は受け取ると目を伏せて固まってしまった。他の女子がきゃあと騒ぐ中、彼女らにもお返しを渡し、自分の席へそそくさと逃げてしまった。数分して彼女を振り向いてみてもまだ固まっているようだった。感想を聞くには及ばなかったが、口から生み出した言葉を聞きたかった、と後年になるほど悔やんだ。
私はほの甘い青春を送り、それによって生じる未来を心待ちにしていた。彼女と真摯な交友をし、お互いを支え合う、建設的な未来を。
だがある日、彼女が他の男子に告白されたとの話を聞いた。その時は断ったそうで、たいそう安心したが、思い返せば彼女の周りには男子の影が絶えずあった。彼女の八方美人故に他の男子も惹き寄せられるのは至極当然のことだ。それもスポーツクラブに在籍している好男子が少なくなかった。その中でも下の名前で呼び合う仲の者まで居たのだ。この時、私は池川さんと苗字で呼んでいた。喜ぶべきか悲しむべきか、彼女はそれほど異性としての評価を受けていたのだ。
ここで私はある問題に当惑した。今までの私はものを望めばそれだけ遠くに逃げてしまう。私が幸せを望むことで、一番悲嘆にくれるのは彼女ではないか。同じ磁極は、性質が同じというだけに決してくっつくことはない。もし彼女と対極のエネルギーがやってきたら、私が奪い取ってしまって不幸にしてしまうのではないか。単細胞生物が死を共有したとして、幸福なのは私のみか。彼女から離れなければならない! 私は使命的に体を動かし、彼女と距離を置くようになった。私と彼女はお互いが普段それほど積極的ではないので私の細かな態度の違いに最初気付かないようだったが、いや、気付いていて気付かないふりをしていたのか。後になるほど私に伴い彼女も話しかけてこなくなった。音楽が終わったのを感じた。青春と言う名の、クラシカルな音楽が。それまでの韻律が絶え、闃寂たる闇が目の前に落ちた。私は調子をとることを忘れ、呆然と立ち尽くした。
それから何とはなしに私達はお互い違う高校へ進学した。