鑑定屋
俺には生きる価値がない。ゴミ以下の存在だ。
そんな思考が常に頭の隅にあって、俺はいつも、自分をゴミ箱に捨てる方法を考えていた。考え始めたのはいつからだろうか。……ぼんやりと考え始めたのは、中学生の頃だった気がする。
とにかく俺には価値がない。地元で一番頭のいい高校に行っても、一流の大学を卒業しても、一流企業に入って期待の新人と言われようと、それは一緒だ。
俺自身は空っぽなのだ。昔から。
「鑑定屋……?」
俺がその店を見つけたのは、本当に偶然だった。
会社からの帰り道、俺は少しだけ気分を変えようとして、いつもは通らないような細い路地裏を歩いていた。細い路地なのに青色のポリバケツ、つまりゴミ箱が点々と置かれていて、かなり歩きづらい。
人目に付かないここのゴミ箱に、自分も捨てられたらいいのに……なんて考えていたところだった。
清潔だとは言い難いその細い路地に、爺さんが座り込んでいるのを見つけたのだ。気分でも悪いのかと思ったが、ちゃっかりと茣蓙を敷いている。まるでそこが、自分の家ですよと言わんばかりに。
実際、そこはその爺さんの家ではなくて、店だったわけだが。
煤けた青色の甚平を着た爺さんの横にある、鮮やかな水色のゴミ箱。そこに、セロハンテープで紙が貼られている。まるで、「冷やし中華はじめました」の貼り紙のようなその紙には、こう書かれていた。
『鑑定屋――あなたの命の価値、鑑定します――』
「爺さん。これ、まじ?」
俺が声をかけると、爺さんはゆっくりと顔をあげた。爺さんと言っても、60代後半くらいだろうか。爺さんは俺の顔を見て、それからしばらく俺の顔を直視して、やがてにんやりと笑った。前歯が1本、抜けていた。
「まじ、ですよ」
ゆっくりとした口調の、爺さんのしゃがれ声。俺は頭をぼりぼりと掻いてから、爺さんの前にしゃがみこんだ。それから、挑発的に言った。
「じゃあ、俺の命の値段、鑑定してよ」
この爺さんの言うことは分かってる。どうせ、「人の命の価値なんて、計り知れない! この世に価値のない命なんてない!」とか何とか言ってごまかす気だろう。そんな言葉で感動する奴もいるんだから、この世界は馬鹿げている。俺はお爺さんの顔を見ながら、鼻で笑った。
「それでは、あなたは私のお客様ということでよろしいでしょうか?」
「へいへい、よろしいよ」
俺が投げやりに言うと、爺さんはまたもやにんやりと笑った。よく見ると、歯が黄ばんでいる。ちゃんと毎日、歯を磨いているんだろうか。
「それでは、鑑定させていただきます」
爺さんは俺の顔を、というか、俺の瞳をじっと見つめた。だんだんと爺さんの顔が、俺の方に近づいてくる。おいおい、そんなに直視するなよ。
やがて爺さんは顔を近づけるのを辞め、それから最初の姿勢に戻った。少し猫背気味の爺さんは、ただでさえ小柄なのにさらに小さく見えた。
「鑑定、できたのかよ?」
へらへらと笑いながら俺が言うと、爺さんは頷いた。さ、いくらって言うかな? 地球の重さよりも重いとか言っちゃうかな?
「で、俺はいくらだ?」
俺が訊くと爺さんはにんやりと笑い、それからはっきりと言った。
「1000円、です」
爺さんの告げた値段を、俺は頭の中で反芻した。1000円。千円。……せんえん?
呆然としている俺の顔を見ながら、爺さんはへらへらと笑っている。前歯の欠けているのが目立つ笑顔で。
「……1000円って、言ったか?」
万、もしくは億という単位を聞き逃したのかと思って、俺は訊き直した。しかし爺さんは俺の質問を聴いて、何故か満足そうに大きく頷いた。
「1000円、と言いました」
「マジで?」
「マジです」
おいおい何言ってんだこの爺さんは。バイトの時給なら良い方だが、人間の命の値段が1000円だなんて、安すぎるにもほどがあるだろ。
しかし、だ。俺は考える。俺は自分の命に、価値なんてないと思ってた。むしろ、マイナスなんじゃないかと思ってた。そう考えると、1000円の価値があるだけ、まだマシなのかもしれない。
「その1000円っていうのは、どこから出てきたんだ? なんで1000円?」
興味本位で俺は尋ねた。頭の中では、野口英世の顔がちらついている。
爺さんは困ったなあという様子で、首をかしげた。それから、言った。
「鑑定料がね、1人につき1000円なんですよ。だから、私にとってあなたは1000円の価値があります。お客様ですから。しかしあなたは、今まで会ったこともないような赤の他人だ。だから、1000円の価値しかない」
そこで一度言葉を切って、爺さんはにんやりと笑った。
「あくまで私にとっては、の話ですがね」
呆けている俺に、爺さんが語り始める。
「1万円札には1万円の価値がある。しかし、そうですねえ。……例えば、あなたが困窮しているとしましょう。明日のご飯代すらないくらいにね。そんな時、同じくお金に困ってる友達が、あなたに1万円をくれた。その場合、あなたにとってその1万円札は、1万円の価値しかありませんか?」
「…………」
「違う例え話をしましょう。あなたには、とても大切にしている壺があった。自分の大好きなお爺さんがくれた、大切な壺です。お爺さんが言うには、その壺は1億円の価値があるらしい。しかしあなたはその壺の本当の価値も知らず、ただただ大切にしていました。ところがある日、どこかの鑑定士がやってきて、『この壺は偽物だ。ガラクタ程の価値もない』と言ってきた。するとあなたにとってその壺は、途端にガラクタになりますか?」
「…………」
「答えは人それぞれでしょう。けれどね、もしも私がそう言われたとしても、私にとってはその壺はガラクタにはならない。お爺さんがくれた大切な壺です。大切な、ままです」
爺さんはそう言ってから、もぞもぞと身体を動かし座りなおした。
「もしも私の家族がこの店に鑑定に来たら、その時は私は1000円だなんて言わないでしょう。もっと、……それこそ、価値なんて付けられないかもしれない」
俺の顔を見て、爺さんはにんやりした。どうも、この笑い方は爺さんの癖らしい。
「価値なんて、人それぞれだということです。ある人にとってはガラクタでも、ある人にとってはお宝。その逆も然り」
そう言ってから爺さんは、複雑な顔をしている俺の眼を覗きこんだ。
「私にとってあなたは1000円。では、あなたの家族にとって、友達にとって、……あなたはいくらなんでしょうね?」
カビ臭い風が、俺と爺さんの間を通り抜けた。しばらく呆けていた俺は、やがて思いついたように爺さんに言った。
「爺さんのは極論だな。ってことは、なんだ? 爺さんにとって、お客様でも何でもない他人は0円ってことか? 他人の命には全く価値がないって? おかしいだろ、そんなの」
俺の言葉を聞いて、爺さんが声を出して笑う。嬉しそうに。
「言えたじゃないですか」
「あ?」
「あなた、自分のことをいくらだと思ってます?」
「え……」
「人の命に価値がないのは、おかしいんでしょう?」
爺さんの嬉しそうな顔を見て、素直に『やられた』と思った。揚げ足を取られて派手に転んだ気分で、俺は爺さんの嬉しそうな顔を見つめた。爺さんは猫背気味の背中をさらに丸めて、くつくつと笑っている。
「あなたにとって、あなたは0円。私にとっては1000円。他の人にとってはどうでしょう」
「……知らねえよ」
「価値は、その人自身で決めればいい。私にとってあなたは1000円。さっきまでは、ね」
湿気とカビのにおいを乗せた風が、勢いよく吹きぬける。『鑑定屋』の貼り紙が、バサバサと音を立てた。
「……俺の値段。今は、いくらなんだ?」
「それは秘密です。が、」
爺さんは嬉しそうに、貼り紙を貼ってある水色のゴミ箱をこつこつと叩いた。
「簡単にこの中に捨てるような、そんな価値ではないですね」
そう言って、眼を細めた。
爺さんに1000円札を渡すと、爺さんはそれを大事そうに懐にしまった。それから、
「私の鑑定。あなたにとって、1000円の価値はありました?」
俺はにんやりと笑う爺さんの眼を見て、笑った。