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大好きだった。だから婚約を壊した

作者: あいあメル
掲載日:2026/07/02

 星が明るく輝く夏の夜。

 王宮では大舞踏会が開かれていた。


 輝くシャンデリア、磨き上げられた大理石の床、会場は賑わっていた。


「ローザリンデ、この場を借りてお前を断罪する」


 会場が静まり返った。


 声の主を、皆が見る。


 そこにいたのはエドワード・シュトゥック第一王子。

 公爵令嬢ローザリンデ・アルデンブルクの婚約者。


 エドワードの傍には、一人の男爵令嬢がいた。


「ローザリンデ、お前はユーディットに嫌がらせをしていた。教科書を破いたり、階段から突き落としたりと、さまざまな嫌がらせをしていただろう」


 エドワードはユーディットの肩を抱き寄せる。ユーディットが強張る。

 それを無視して、エドワードはローザリンデのことを指差す。


「まさか、ローザリンデ様がそんなことをされるはずないだろう」

「いや、息子から聞いたところによると、学園は険悪な雰囲気になっているらしい」

「そうなのか。では、本当に……?」


 ローザリンデといえば、扇子の下でニヤリと笑っていた。


「お前のような性格の女と結婚するのは懲り懲りだ! 婚約を破棄する!」


 ざわめきが大きくなる。


(まだだめよ。まだ笑っちゃだめ)


「ここに宣言する。私は真実の愛を見つけた! その者と結婚する」


(勝った)


 ローザリンデの世界の色彩は、一気に鮮やかになった。

 シャンデリアの輝きは強まり、大理石の光沢は滑らかになり、参加者の着るドレスは美しさを増した。


 その時、エドワードが高らかに笑った。


「……と、僕が本当に言うと思ったか? そんなことで婚約破棄を認めると思ったか?」


 その瞬間、ローザリンデの笑顔が凍りつく。


「ローザリンデ。僕は絶対に、君との婚約を破棄しない。僕は君を愛している」


 ローザリンデの瞳から、涙が一筋流れ落ちた。


 ♦︎


 ローザリンデとエドワードが婚約したのは、十歳の時だった。


 王宮の一室。バルコニーの見える部屋。

 両親同士が難しい顔で挨拶をしているのを横目に、ローザリンデは言いつけの通りに大人しく座っていた。


 立派に整えられた服を着て、ちょこんと座る。


 退屈だな。そんなことを思いながらも、今日は大人しくしなさいという両親の言いつけを守る。


 両親の言うことを聞く真面目で、少し引っ込み思案な少女。それがローザリンデだった。


 今日も両親の言うままに大人しく座っている。それがすべきこと。そう思い込んでいた。


「ねえ、一緒に抜け出さない?」


 だから、突然耳元でそう言われた時、ローザリンデは驚いて一瞬固まってしまった。

 声のする方を見てみると、目の前には、太陽のような笑顔を浮かべた一人の少年がいた。


「え、え?」

「いいから、行こ!」


 そう言って少年は、ローザリンデの手を取って駆け出した。光の差す庭の方に、彼は走って行く。

 どうしたらいいのかわからないまま、ローザリンデも手を引かれて走り出す。

 

「あ、こら待ちなさい!」


 そんな声が後ろから聞こえる。


「やだ〜」


 そう言って目の前の少年は走り続ける。

 息があがる。肺が痛い。

 けど、なぜだろう。それ以上に心臓が熱い。


 バルコニーに出た。

 暖かな風が顔に吹き付ける。緑の匂いが鼻をくすぐる。


 色とりどりの花が二人を出迎えた。


 その日、灰色だったローザリンデの日常は、終わりを告げた。

 そして、ローザリンデはエドワードの婚約者になった。


 エドワードはじゃじゃ馬……、いや行動力がある少年だった。


「ねえ、今日は街に行きましょう!」


 ローザリンデはため息をついた。こうなったら、もう止められない。


「さあ、着替えて行くわよ!」

「はいはい、わかったよ! ちょっと待って」


 地味な服に着替えても、エドワードの高貴さは隠せていなかった。


「もっと地味にしなきゃ」

「……どうやって?」


 ローザリンデは顎に手を当てて考えた。


「わからないわ!」

「何だよ、それ! もっとちゃんと考えて!」

「だってカッコイイのは、どうしようもないでしょ?」


 エドワードが顔を下に向ける。


「君はすぐそうやって……」


 エドワードはローザリンデの手を取ると、すぐにくるりと後ろを向いた。

 そのままローザリンデの手を引っ張るエドワードの頬は薄ら赤くなっていた。


「ほら、エドワード、これ綺麗じゃない?」

「先週も似たようなの買ってなかった?」

「全部違うの! もう、エドワードは女心がわかってない!」


 頬を膨らませるローザリンデ。買い物はいつも、こんな感じだった。


「あ、これ似合うと思うな」


 そう言ってエドワードが手に取ったのは、貝殻でできたブレスレットだった。


「ほら、どう?」


 そう言ってローザリンデの手首に当ててみる。


「やっぱり似合う」


 そう言って太陽のような笑顔を浮かべた。


 ただの政略結婚。でも、ローザリンデはエドワードに恋していた。


 二人で色々なところに出かけた。


 ちょっとジメジメしている路地裏。景色の綺麗な塔のてっぺん。そばに行くだけで冷たく感じる河岸。


 彼といると、どこでも輝いた。


 意外だったのは彼が本を好きだと言うことだろう。


 出かけて疲れた翌日は、よく一緒に図書室に篭った。


 ちょっとかびっぽい空気、高い天井から差し込む光、奥から二番目の席。

 ページを真剣にめくるエドワードの横顔。


 落ち着いた、ゆっくりと流れて行く時間が、ローザリンデは好きだった。


「夢があるんだ」


 エドワードが呟くように言った。

 いつになく真剣な調子だった。

 ローザリンデはページをめくる手を止めて、エドワードの方を見た。


「色々なところに行って、それを元に本を書くんだ。心躍る冒険譚をね。きっと最高の物語になる」

「応援するわ」


 そう言ってまた本をめくろうとすると、エドワードの非難するような視線を感じた。

 エドワードが膨れっ面をしていた。


「何言っているんだ。ローズも一緒に行って、一緒に本を書くんだ!」


 そう言ってエドワードはローザリンデの方に顔を近づけた。

 鼻先が触れそうな距離で、真剣な目でローザリンデのことを見つめる。


「約束!」


 そこには冗談は混じっていなかった。


「ええ、約束する」

「うん」


 そう言って、エドワードはにっこりと笑った。


 成長して、十三歳になり貴族の通う王立学園に入学しても、エドワードとローザリンデはずっと一緒にいた。


「ローズ、今日もまた、放課後待ってるね」


 日が優しく差し込むクラスで、エドワードはローザリンデに声をかけた。


「ええ、わかったわ。エド。生徒会の活動があるから、少し遅れるわ」

「わかった。それなら、少し図書室で本を読んでから帰るよ」

「待っててくれて、ありがとね」


 そう言ってローザリンデはにっこりと笑った。


 いつも一緒にいて、一緒に帰る二人は、いつの間にかおしどり夫婦として学園で有名になっていた。


 それはローザリンデのちょっとした自慢だった。


 けど、二年生になってすぐのことだった。


 ローザリンデはいつものように、生徒会室で仕事をしていた。いつもの時間だった。ノートに書き込むペンの音、少し赤色が混ざっている太陽の光。


 ガラガラという音がして、乱暴にドアが開いた。


「ローザリンデ様、いらっしゃいますか?」


 ローザリンデは非難げな目で、声をかけてきた生徒を見る。

 公的な場なのに礼儀知らずな。


「エドワード殿下が倒れました」


 ローザリンデは慌てて立ち上がった。


「エドが倒れたの?」


 書類を慌ててまとめ、筆記用具を仕舞おうとする。うまく入らない。


「はい、今保健室で治療を受けているはずです。ちょうど呼びに……」


 最後まで聞こえなかった。


 荷物は諦めて、そのままにした。椅子を引いて駆け出した。

 生徒会長が何か言ったがした気がしたが、振り向かなかった。


 廊下を駆け抜ける。廊下を歩いている生徒の視線が集まる。


 構うものか。


「エド!」


 保健室の扉を乱暴に開けて中に入る。


「どうしたの、ローズ」


 エドワードは枕にもたれて半身を起こして、中央のベッドにいた。

 顔色は悪くない。血色だっていつも通りだ。

 いつもの制服姿だ。包帯を巻いたりしているわけではないし、どこも怪我しているわけではなさそうだ。


 エドワードはローザリンデの取り乱した様子を見てクスクスと笑った。


「無事なんだね……よかった」


 ローザリンデは思わず力が抜けて、開きかかった扉にもたれる。


「ちょっとふらついただけさ。この通り、元気さ」


 そう言ってエドワードは、ベッドにいたままにっこりと笑って力こぶを作った。


「一応この後王宮の専門医にも診てもらう予定。でもきっと、どうってことないさ」

「……ちゃんと結果教えてね」

「わかったー」


 軽い返事だった。


 その日の夜、ローザリンデに王宮から使者が来た。


 緊急の呼び出しだった。


 嫌な予感がした。


 王宮に到着すると、王宮の端にある一室に案内された。

 重い扉が閉じられる。部屋の中では蝋燭の炎がゆらゆらと不安げに揺れている。

 部屋の中央に、白衣を着た王宮医が座っていた。


 人払いがされた後、王宮医が口を開いた。


「単刀直入にいいます。エドワード殿下に嫌われてください」

「は?」


 何を言っているのだ。そんなことできるわけがない。

 エドワードを愛しているし、エドワードは——。


「エドワード殿下は心蝕病です」


 蝋燭の炎が揺れた。


「珍しい病気です。魔力器官を損傷する病気で、特定の感情により、症状が進行します。仕組みとしては、特定の感情が魔力器官を過剰に励起して、それが器官自体を焼くのです。殿下の場合このままだと死に至ります」


 死に至る。その言葉がローザリンデの頭の中で繰り返された。


「……その感情とは?」

「エドワード殿下の場合、愛のようです」


 空気が一層重たくなり、夜の闇が深くなった気がした。


「この場合の愛は恋愛感情ですね。エドワード殿下の場合、あなたの話をするときに魔力器官が悪化しました。早いところ治療しないと、近いうちに亡くなられるでしょう」


 ローザリンデは手元に視線を落とした。拳を握りしめる。

 けど、うまく力が入らなかった。指が震える。


「どうすれば治るのですか?」

「あなたへの愛情を失えば、徐々に回復するでしょう。回復しきれば、基本的に再発しません」


 いつの間にか、雨が降っていた。

 雨粒が地面を打つ音が聞こえる。


「そんなこと、信じられるとでも?」


 ローザリンデは声を荒げ、立ち上がって机を叩いた。


「私だけでなく、複数の医師が確認済みです。診断に間違いはありません」

「……エドは。エドワードはそんなこと望むはずがない」


 ローザリンデは再び座り込み、手元に視線を落とした。

 手のひらから血が滲んでいた。


「そうでしょうね。だからこそ、陛下より伝言があります。『国のためだ。迷惑をかける』と」


 愛するのなら、愛されてはいけない。殺したくないのなら、愛されてはいけない。


 単純だ。簡単だ。言うのは。


 雨が強くなって行くのがわかった。

 遠くで雷が鳴っている。


「あなたにできることは、エドワード殿下に嫌われることです。あなたがエドワード殿下のことを愛しているなら、あなたの手で実行してください」


 そこまでいうと、王宮医は立ち上がった。


「この件は他言無用です。では、この辺で失礼します」


 そう言って王宮医は扉を開け、部屋から出ていった。


 蝋燭から蝋が溶けて落ちていくのが見えた。


 立ち上がることは、できなかった。


「昨日はごめんね。今日は一緒に帰れるよ」


 王宮に呼び出された翌日の放課後、エドワードが謝りに来た。

 いつもと変わらない笑顔。

 いつもと変わらない仕草。


 思わず決意が鈍る。

 けど、決めたの。私、決めたの。だから……。


「ごめん、今日は少し用事があるの」

「何があるの?」


 エドワードが不思議そうな顔をする。


「……ごめん、でも一緒に帰れない」

「そう。まあ、わかった」


 エドワードが優しく、にっこりと笑った。


「じゃあ、また明日な!」

「ええ」


 そうして、その日は一人で帰った。


 馬車に乗る。


 いつもだったら、エドワードが目の前に座っている。


 そして、生徒会のことだとか授業のこととか、最近あった面白いことなんかの話が始まる。


 そうして、彼の話し声と笑い声で溢れる。


 空っぽの席を見る。


 馬車が石畳の上を走る音が、なぜか大きく響く。


 ローザリンデは思わず、空の席に手を伸ばす。


 手が空を切る。


 戻ろう。そう御者に言おうとした時、ローザリンデの頭の中に王宮医の声が響いた。


 ——あなたがエドワード殿下のことを愛しているなら、あなたの手で実行してください


 まるで切り裂かれた傷口から血が流れるように、太陽の赤い光が差し込んでいる。


 ローザリンデはそっと開きかけた口を閉じた。そして、そっとカーテンを閉めた。


 次の日も、そしてその次の日も、ローザリンデは一人で馬車に乗った。


 毎日のように、エドワードに「今日は一緒に帰ろう」と言われた。


 拒否した。


(もう言ってこないで。私のことを嫌って)


 けど、そんなことをエドワードは気にしなかった。


 だから他の男の子と出かけることにした。


「で、なんで僕たちがエドワード殿下を差し置いてデートに誘われているわけ?」


 侯爵家の馬車の中、目の前には幼馴染の子爵令息アルモンドと、こっそりついてきてもらった幼馴染の男爵令嬢ユーディットがいた。


「ごめん、理由は言えない」


 ユーディットとアルモンドは非難するような目で見た。


「あのさあ、本当に勘弁してほしいんだけど。殿下の取り巻きから、絶対この後チクチク聞かれるんだけど」

「本当にごめん。なんでもするから、許して」

「本当に信じられない。殿下、悲しんでるよ。殿下から睨まれる僕の身にもなってよ」


 悲しんでる。たった一言だ。でも、胸がどうしようもなく痛んだ。


「突然、教室で『一緒に買い物に行かない?』って言われた時、思わず耳を疑ったよ。殿下もいたのに」


 アルモンドが困った顔で言う。


「しょうがなかったの。あそこで言うしかなかったの」

「殿下の顔見た? あれ絶対怒っているし悲しんでいるよ。ローザリンデにも何か事情があると思ったから来たけど、理由を教えてくれないし、完全に貧乏くじじゃないか」

「……ごめんなさい」


 ユーディットの方を見ると、腕を組んでトントンと片腕を指で叩いていた。

 アルモンドは眉を八の字にして、眉間に深い皺を作っている。


「……本当にごめんなさい。けど事情があるの」

「ならその事情を話しなさい」

「それは言えないわ。」


 大きなため息をユーディットがついた。


「まあ、何かしら事情があるのは分かったよ。貸しひとつだからね」

「ええ、わかってるわ。……ありがとう」

「そしたら、今日はパーっと買い物しましょ!」


 アルモンドとユーディットはにっこりと笑った。

 ローザリンデもつられて笑った。


(これで噂が広がってくれたらいいんだけど)


 そんな願いは虚しく、エドワードは諦めなかった。


「ねね、ローズ! 今日こそ帰ろう。話したいことが、たくさんあるんだ!」


 いつもの光景。教室に寂しい夕暮れの光が差し込んでいた。

 雲は切り裂かれたかのように、まばらに浮かんでいる。


「ごめん、用事があるの」

「いっつも君はそう言う! じゃあいつならいいの」

「それはわからない」


 ローザリンデは無表情のまま告げた。腕を組むエドワード。


「ねえ、いい加減にしてくれないかな。……なんで避けているのかくらい、教えてよ」


 ついに聞かれてしまった。

 教室中が聞き耳を立てているのがわかる。


「避けてなんかない。気のせいでしょ」

「気のせいじゃない! 避けてる!」

「気のせい!」

「気のせいじゃない!」

「うるさい、倒れるような軟弱な癖して! こっちは婚約しているのも嫌なの! ただの政略結婚なのに恋人気取りしないで!」


 貴族として健康な男と結婚したい。そう言った瞬間、エドワードは黙った。

 そして、視線を下に落とした。


「そう。ごめん」


 エドワードはにっこりと笑った。


(お願い、そんな顔しないで)


「今までうるさく言ってごめん。もうやめるね」


 そう言ってエドワードは教室の扉を開けて出ていった。


 ローザリンデは追いかけなかった。だってそんな資格がないから。彼を傷つけたのは自分だと分かっていたから。

 ただ黙って、その場に立ち尽くすだけだった。


 それからエドワードはローザリンデに話さなくなった。


 望んだ通りの結果が出た。


 けれど、どうしてだろう。


 なぜ、こんなにも世界が色褪せるのだろう。

 なぜ、こんなにも涙が止まらないのだろう。


 ♦︎


 そして一ヶ月が経った時、王宮から再び使者が来た。


 案内されたのは、前回と同じ部屋。


 今回は昼だったので、柔らかい陽の光が、部屋に差し込んでいた。


 前回とは違う王宮医と、そして数人の魔術師らしき人間が座っていた。


 人払いの後、王宮医が口を開いた。


「ローザリンデ殿」

「はい」


 王宮医がまっすぐローザリンデを見た。


「率直に告げます。エドワード殿下の症状は悪化しています」


 ローザリンデは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


「そ、そんな馬鹿な」

「事実です」


 ローザリンデは立ち上がって、そして何かを言いかけた。

 口を開いたけど、言葉が出ない。

 ローザリンデは再び座った。


 部屋の中の影が一層強くなった。


「あなたのやったことは報告を受けています」

「では、なぜ……!」

「それくらい、エドワード殿下はあなたのことを、好いているのでしょうな」


 ローザリンデは一瞬喜んだ。

 そしてすぐ、喜んだ自分を恥じた。

 じっと下を向く。


「……それでは、どうすればいいのですか?」

「それを話に来ました」


 そう言って王宮医は、隣にいた魔術師に目で合図をする。


 そっと銀の細い杖が差し出された。杖の先に、曇った乳白色の石が付いている。


「これは……?」

「記憶を失わせる魔具です」


 そこにあるのは、国宝になっている魔道具だった。


「……これで、どうするのですか?」

「殿下の中にある、あなたに関する記憶を消します」


 部屋の中の影が、さらに強くなった。

 暖かな陽が差しているはずなのに、気温が下がった。


「これは温情です。我々がやってもいい」


 そう言って王宮医は杖を差し出して、ローザリンデの方をじっと見た。


「……できません」

「では、我々がやります」

「それは……!」


 王宮医は片眉をあげた。

 ローザリンデは震える声を抑えながら、言葉を絞り出した。


「……最後のチャンスをください。婚約破棄してみせます。それが受け入れられたら、私のことを忘れようとしているのかもしれませんから」

「……いつまでですか?」


 ローザリンデは俯いた。無限に時間はない。そんなことは当たり前だった。


「……次の大舞踏会までには」

「……陛下に確認します」


 ローザリンデは銀色の杖を横目に、立ち上がった。

 そして、振り向いて出口から出ていった。


 その夜、王宮から再び使者が来た。


 許可が下りたことを使者は告げた。


 そして、一本の杖を差し出した。


 そこには王宮で見た、銀色の杖があった。


 使者の言葉はなかった。けど、意味はわかった。


 震える手で受け取る。


 冷たい。


「確かに」


 使者は頷いた。そして、闇夜に紛れるように静かに去っていった。


 その晩、ローザリンデは眠ることができなかった。


 杖を取り出し、そっと持つ。


「失敗はできないわ」


 そんな呟きが夜の闇に溶けていった。

 月が輝き、光が窓から差し込んでいた。


 それからローザリンデは徹底的に工作した。


 殿下にはっきり見えるように、たくさん嫌な女を演じた。


 ユーディットにはたくさん迷惑をかけた。

 アルモンドにも協力してもらった。


 そして、舞踏会の日。


 星が明るく輝く夏の夜。


「ローザリンデ、この場を借りてお前を断罪する」


 そう言われた時、ローザリンデは笑みを浮かべた。


 けど、だめだったみたい。


「ローザリンデ。僕は絶対に君とは婚約破棄しない。僕は君を愛している」


 嘘。そんな。完璧だったはずなのに。

 ローザリンデは目を見開く。


 エドワードはそれを見て、苦笑いをする。


「あなたは嘘をつく時、左目をうっすら細める。あなたはやりたくないことをする時、左頬をよくかく」


 ——見抜かれていた。全て。だから、エドワードは治らなかった。

 ローザリンデはそれがわかってしまった。


 エドワードの瞳には、涙が薄らと宿っていた。


「君が嘘をついてまで僕を遠ざけようとした理由はわかっているよ。僕が心蝕病だからだろう?」


 事情を知らない貴族達の囁き声が聞こえる。


「なんと、あの病気なのか」

「何がトリガーなのか……まさか」


「僕の病の原因が君にあることも、知っている。けど、婚約破棄なんて許さない。僕には君しかいない」


 そう言ってエドワードは言葉を切った。

 そして、涙ぐみながらにっこりと笑った。


「王子失格かもしれない。けどこのまま死のうとも、君と一緒にいたい」


 そして、ローザリンデの方を見た。


 ローザリンデの頬を一筋の涙が伝った。

 ローザリンデは思わず、エドワードから視線を逸らした。


 パチパチ。

 どこからともなく、拍手が聞こえてきた。


「美しい話」

「なんて強い愛なの」


 事情を知らない貴族たちが称賛していた。

 その声は会場中に溢れた。


 その時だった。王が二人の方に歩いてきた。


 沈黙が場を支配する。


「ローザリンデ、そしてエドワード。二人で話してきなさい。お互いに、色々と言いたいことがあるだろう」


 わだかまりのあった恋人たちに理解のある親。

 傍目にはそう見える。


 拍手が再び起こる。


 二人の冷え切った関係は学園の生徒を通じて、社交界でも有名になっていた。

 それが回復するいいきっかけになる。


 そう思われているのだ。


 けど、ローザリンデには王の真意がわかった。

 胸に入れていた杖が、ずしりと重みを増した。


 エドワードに手を取られバルコニーに出る。


 ——初めて出会った日も、このバルコニーだった。


 月下美人が咲いていた。

 夜にだけ咲いて、朝には枯れてしまう白い花だ。


「いいかい? 君と別れる気なんてない。死ぬまでの時間が短いとしても、君と一緒に過ごして、夢を叶えたい」


 エドワードがローザリンデのことを見つめる。

 その目には悲しさと愛おしさが混じっていた。

 ローザリンデは目を逸らしてしまう。


(星空が綺麗)


 そんなローザリンデの様子を見て、エドワードは苦笑する。

 そして、エドワードも星を見る。


「あんな三文芝居まで、僕には見え透いていたよ。僕のことを本当に嫌っているなら、いくらでもやりようがあったはずだ」

「……」

「いいか、後で迷惑をかけた人たちに謝るんだぞ」

「……わかったわ」


 エドワードが星空を見るのをやめ、ローザリンデの方を向いた。

 ローザリンデも釣られてエドワードの方を見る。


 目と目が合う。


「ごめんね、分かってあげられなくて」

「……何が?」


 エドワードが切なげに微笑んだ。


「僕の病気のことだよ。王宮医から聞き出すのに時間がかかったんだ。でも、全て腑に落ちた。全て僕のためだったんだね」


 エドワードがローザリンデの右手を優しく握った。


 久しぶりに彼の温もりを感じる。

 剣の練習でゴツゴツした手のひら、勉強を頑張っているからできたペンだこ。


 エドワードのはるか後ろに、魔術師たちの姿がローザリンデに見えた。

 パーティー会場を抜けて、こちらにやってくる。


「最初は傷ついたけど、でも真実を知って、やっぱり君しかいないと思った。こんなに優しい人、他にいないよ」

「……優しくなんてないわ」

「いいや、優しいよ」


 エドワードは出会った時と変わらない顔で微笑んだ。


「ねえ、ローズ。好きだ」


 手がぎゅっと握られる。

 何故だろう、涙が溢れる。


「ごめん、変なこと言ったかな」

「……あっちを見てて。泣き顔を見られたくないわ」

「……ごめん、分かった」


 手を繋いだまま、振り向くエドワード。


「ねえ、昔語り合った夢を覚えてる?」

「ええ、覚えているわ」


 ローザリンデは、涙を拭うのをやめた。

 そして、溢れる涙に気がつかないふりをして、そっと胸から杖を左手で取り出した。


「物語を書く夢、覚えてる?」

「ええ、もちろん」


 エドワードがカラッと笑った。


 ローザリンデは杖をエドワードに向けた。

 けれど、手が震える。


「これから、一緒に色々なところに行こう。いつまで一緒にいられるかわからないけど。死ぬまで、一緒に」

「ええ、一緒に行きましょう」

「それで本を書くの。絶対に面白い本になるわ」


 ローザリンデはそっと杖を下ろす。

 繋がれた手が、離れるのを拒んでいる。


 エドワードは満天の星空を見上げていた。

 そこには雲一つない空が広がっていた。


「……それでさ、僕が死んじゃったらさ、続きを書いてよ。お願いしてもいいかな?」


 エドワードが星空を見るのをやめ、振り向こうとする。


「まだ見ないで!」


 慌てて、エドワードは振り向くのをやめた。そして、また星空を見た。


「ねえ、お願いだ」

「……分かったわ」


 ローザリンデの涙は止まらなかった。


「ねえ、約束だ。ずっと一緒にいよう。死が二人を分つまで」

「ええ、約束ね。分かったわ」


 魔術師の方を見ると、合図をしていた。

 ……分かってる。ちゃんと、分かってる。


「ローズ。ねえ久しぶりに好きって言ってよ」


 限界だった。


 手の震えは止まらなかった。

 それでも杖をぎゅっと握りしめ、ローザリンデは再び杖を上げた。


「……エド、愛しているわ。大好きよ」


 右手をぎゅっと握った。


 その温かい体温を覚えた。

 ゴツゴツした手のひらを覚えた。

 頑張り屋の指先を覚えた。


 そしてそっと繋がれた手を離すと、杖に魔力を込めた。


 全て消えて。


 初めて会ったバルコニーの匂いも、図書室でめくった本の手触りも、おしどり夫婦と呼ばれて揺れる馬車に乗った感触も。


 全部、全部、消えて。


 鈍色の煙がエドワードに向かって出た。


 エドワードはびくりとした。


 次の瞬間、エドワードは倒れた。


 慌てて駆け寄る。


「エド! 大丈夫?」


 魔術師たちが走ってくるのが聞こえる。


「エド!」

「……う、うう」


 エドワードの意識が戻る。ゆっくりと目を開ける。


「すまない。倒れてしまったみたいだ」


 そう言ってエドワードはゆっくりと立ち上がる。


「……エドワード様。少し混乱しているのでしょう。あちらにお付きの者がいます」

「どうもありがとう。あなたの名前は?」

「……ローザリンデです」

「そう、ありがとう。ローザリンデ嬢」


 エドワードはにっこりと笑った。あの時と同じ、太陽のような笑顔で。

 魔術師の集団がいつの間にか、周りに来ていた。


「エドワード殿下、少しお休みしましょう」

「そうする」


 そう言ってエドワードはバルコニーから戻っていった。


 ローザリンデは星を見た。

 雲一つない空の中、星は孤独に輝いていた。

 地面に落ちた涙に反射して、そっと。


たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。


最後まで読んでいただけたこと、とても嬉しいです。


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