78話 ハーヴィーの人生
洗脳催眠により、世界が反転した。
ハーヴィーの脳裏に、押し殺していたはずの過去の記憶が、堰を切ったように流れ込んでくる。
最初の人生の名は、仁。
日本で生まれた。
裕福ではない農家の家。土と汗と、季節に振り回される暮らし。
特別な才能も、特別な夢もなかった。
ただ、生きていた。
だが、時代がそれを許さなかった。
成人して間もなく、戦に駆り出される。
軍隊教育は辛かったが、図書室の本が読めたのが唯一の幸いだった。
守る理由も、恨む相手も分からないまま、命を賭ける場所へ連れて行かれた。
剣の重さ。
火薬の匂い。
叫び声と、血と、土。
命は――驚くほど、軽かった。
仁は、あっけなく死んだ。
次に目を覚ました時、彼はエルフだった。
長命の種族。
魔力と理に愛された存在。
名は、ハーヴィー。
真面目な性格は変わらなかった。
そして、才覚があった。
60年。
人間なら一生分にも等しい修行を、彼は基礎として積み上げた。
気を理解し、操り、熟練の域へと至る。
だが――
里は、退屈だった。
争いのない平穏。
変化のない時間。
永遠にも思える停滞。
彼は、外の世界を知りたかった。
シルフィードの街で冒険者登録を済ませ、郊外を歩いていた時のことだ。
悲鳴。
剣戟の音。
一台の馬車が、山賊に襲われていた。
ハーヴィーは、迷わず介入した。
鍛えた気と魔法で、山賊を撃退する。
だが――
馬車の中にあったのは、解放された感謝ではなかった。
鎖。
怯えた目。
番号のように扱われる人間たち。
奴隷商人の馬車だった。
その中に、彼女がいた。
フリーダ。
助ければ終わり、ではなかった。
彼女の体に刻まれていた『隷属紋』は、魔族由来の秘術。
商人を倒したところで、解放はされない。
ハーヴィーは、その場で選ばなかった。
剣を振るう“正義”ではなく、生き残るための選択を。
金を稼ぎ、買い戻す。
それが、この世界で通用する唯一の現実だった。
約束を交わす。
商人は、信用と貸しで動いた。
世界は、どこも同じだ。
冒険者として金を稼ぎ、フリーダを買い取り、解放した。
それが、始まりだった。
この世界には、彼女のような者が無数にいる。
だから――戦った。
フリーダは前衛に立ち、剣と魔法で戦う。
ハーヴィーは後衛で、精神魔法と召喚術を操る。
二人は、強かった。
何より、互いを信じていた。
風、水、火、地。
各大陸のダンジョンを踏破し、精霊の力を得る。
そして――
精霊王の住む大陸、超級ダンジョン。
魔族の王討伐依頼。
戦争だった。
今は地図から消えた第六の大陸――魔大陸。
ハーヴィーは、究極召喚を行使した。
世界を喰らう蛇が、魔族の王と大陸そのものを蹂躙した。
魔族の王は、最後に呪いの言葉を残した。
「次は、お前の番だ。
いずれ世界を、貶めることになるだろう」
勝った。
だが――奴隷は、消えなかった。
世界は、何も変わらなかった。
ならば、作ろう。
奴隷のない国を。
鎖国し、外を遮断し、守られた楽園を。
それが、ソレスティアとルナリス。
建国から、ほどなくして――
フリーダは、静かに息を引き取った。
寿命だった。
彼女は笑っていた。
「幸せだった」と言って。
ハーヴィーは、最後まで手を握り続けた。
――それから、500年。
記憶が、欠け始めた。
約束が、ぼやけた。
なぜ守るのか。
何を守ろうとしていたのか。
忘れていった。
残ったのは、「楽園を守る」という目的だけ。
恐怖だけ。
精霊王を支配し、隷属させる。
人の欲望と悪意を恐れ、ぬるま湯の世界を選ぶ。
外の世界が、怖かった。
寿命が尽きた後、箱庭の民が蹂躙される未来が見えた。
だから――
やられる前に、やれ。
滅亡術式。
世界を一度、更地にしてから、箱庭を拡張すればいい。
こうして、聖騎士団は生まれた。
――そして、今。
ハーヴィーは、聖域で石板を抱きしめていた。
手が、震えている。
涙が、止まらない。
フリーダの手紙。
悠久を越えた言葉が、ようやく彼の心に届いたのだ。
忘れていた、名前。
忘れていた、約束。
忘れていた、自分が人だった理由。
神は、泣いていた。
それは――
救済でも、許しでもない。
ただ、遅すぎた想い出しだった。




