76話 神砕き
――空が、裂けた。
最初に異変を感じたのは、音だった。
低く、重く、耳の奥を直接揺さぶるような振動音。
次の瞬間、聖山エーテリオンの真上、蒼穹に亀裂が走る。
まるで世界そのものに爪を立てたかのように、空間が引き裂かれていく。
ハーヴィーの詠唱は、すでに終わっていた。
「究極召喚――ヨルムンガンド」
その名が告げられた瞬間、重力が一段階、増した。
召喚術とは、本来存在しないものを、イメージの力で現実に引きずり出す魔法。
そして今、具現化されようとしているのは――精霊王の完全体を模した存在。
裂け目から、まず現れたのは影だった。
次に、鱗。
次に、うねるような巨体。
そのサイズを、言葉で表すのは難しい。
ただ一つ確かなのは――聖山エーテリオンに、巻きつけることができるほどの大きさだということ。
転生エルフであるハーヴィーが、北欧神話を意識して名付けた切り札。
かつて魔族の王を討ち、英雄と讃えられた男の、最後の奥の手。
ヨルムンガンド。
世界を囲む蛇。
終末を告げる獣。
「……とんでもないサイズ感だな」
衛が、思わず呟いた。
「でも……」
天が、槍を強く握る。
「これさえ倒せば」
「ああ」
勇希が頷く。
「召喚獣は倒されると、召喚主にフィードバックダメージが入る。僕も使えるから分かる」
善が前へ出る。
「これだけの規模だ。倒せば……本人も、ただじゃ済まない」
善は叫んだ。
「――さあ、ラストバトルだ!!」
風が、一気に渦を巻く。
「最終陣形・無限交響楽団!!」
それは、対ボス戦用陣形――無限四重奏の応用。
ゾーンの力で、四人は“個”であることをやめる。
楽器ではない。
四人で、一体の獣となる。
「俺たちは、四人だけじゃない!」
善は叫ぶ。
「クラウディア! 応援だ!!」
――世界が、応えた。
『世界中のみんな、スキル応援を儀式台へ!』
クラウディアの声が、精神感応通信を通じて、世界へ放たれる。
『あなたの応援が、あなたの祈りが、世界を変えるの。お願い』
次の瞬間――
世界中で、光が瞬いた。
街で。
村で。
戦場で。
誰かの家で。
応援のエフェクトが、星のように灯っていく。
「護……」
シェリルが、唇を噛みしめる。
「……勇希、生きて帰ってきて」
アリスの願いが、震えながら流れ込む。
「小僧ども…クラウディア…ぶちかましてこい」
ハーネスからも激励の応援が流れる。
それらすべてを受けて、儀式台の応援カウントが――跳ね上がる。
「重力道化師
……はあッッ!!」
天が、魔法槍マギア・グレイブを振り抜いた。
ヨルムンガンドの胴体に衝撃が走る。
殴りつけた周囲の空間が、鉛のように重く沈む。
だが、獣は止まらない。
対象が、あまりにも巨大すぎる。
「でも……」
天は歯を食いしばる。
「効いてないわけじゃない!! 何度でもやればいい!!」
ヨルムンガンドが、大きく首を持ち上げる。
ブレス攻撃の、溜め動作。
「来るぞ!」
衛が叫ぶ。
「火炎息吹!!」
炎の壁が展開される。
「みんな、僕の後ろへ!」
勇希が前に立つ。
「《オーラプロテクト》全開!!」
次の瞬間――
世界が、爆ぜた。
灼熱と衝撃が叩きつけられ、聖山の斜面が抉れる。
巨大なクレーターが生まれ、岩と炎が舞い上がる。
だが――耐えた。
回復術を回しながら、反撃のターンへ移行する。
勇希は、盾ヴィス・パルマの下部から柄を引き抜く。
ハンマーモード。
「……迷いはない」
勇希の声は、驚くほど静かだった。
「全力あるのみ!!」
ブレス直後、露出した頭部へ――
ハンマーが、叩き込まれる。
「《空間布石陣》!!」
善が糸を張り巡らす。
空中に現れる、無数の足場。
「善、助かる!」
勇希が叫ぶ。
「道、使わせてもらうよ!!」
ハンマーを構えた勇希は、糸の上を駆ける。
軽い。速い。恐れがない。
「魔法印!」
天が追い打ちをかける。
「追尾弾!!」
さらに、間合いへ踏み込み――
「せぇえええい!!」
直接攻撃による重力デバフが、獣の動きを縛る。
その瞬間を、衛は逃さない。
「閃光!!」
レーザーが走り、誘導された熱が――起爆する。
そして、善が飛び込む。
「天!『行って、帰ってくる』」
「OK!かましてきなさい!!」
天はそれだけで理解し、親指を立てる。
「雷神降臨」
雷が、善の身体を包み込む。
視界が白く弾け、世界が“遅く”なる。
斬
斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬
ゾーン・オーバークロック状態の雷神降臨がヨルムンガンドの身体を蹂躙する。
山を一周周って、勢いで空中に舞った善を天がキャッチする。重力操作できる天には善1人くらい軽い。
「はい、おかえりなさい」
天が電気を放出し、ヒーリングをかける。
「……ただいまー。ありがとう天」
堅牢な結界の奥、
ハーヴィーにダメージフィードバックが届く。
皮膚が裂け、血が滲む。
怒りと苦悶の表情を浮かべ、数100年ぶりの“痛み”という人としての“触覚”に苦しんでいた。
「……ぐ、…なんて奴らだ」
究極召喚は強力な反面、ダメージフィードバックで命を落としかねない。
「次の攻撃で…今度こそ消し炭にしてくれよう…」
ハーヴィーは再び詠唱に戻った。
世界配信は、熱狂の渦に包まれていた。
応援のカウンターは、止まらない。
『溜まったわ!!』
クラウディアの声が、確信を帯びる。
『勇希。あなたの召喚術で、決めなさい』
『これまでの冒険の――答え合わせよ』
世界中の応援が、勇希へ集束する。
胸の奥が、熱い。
「……これなら」
勇希は、息を吸う。
「僕でも……究極召喚で、対抗できる」
善を見る。
「ねえ、善」
静かな声。
「あの時、心が折れた僕に……『問いかけ』をして救ってくれたね」
一歩、前へ。
善の懐で、呪いの本が光り輝く。
「今度は、僕の番だ」
勇希は叫ぶ。
「世界を壊す『魔王』善に問う!!」
「君の答えを、示せ!!」
衛と天は2人を見つめる。
衛は覚悟の眼差しで。
天は勝利の確信で。
善は、迷わなかった。
呪いの本を掴み、
自分の心に誓いを立てる。
「了解だ、『勇者』」
風が、渦を巻く。
「俺たちは、神を喰らって先へ進む」
「生きることは食べること」
「食べることは――殺すことだ」
二人の声が、重なる。
「「究極召喚――フェンリル」」
現れたのは――
聖山を超え、神の箱庭大陸すら凌駕する、巨大な狼。
白銀の毛並み。
星を映す瞳。
終末を喰らう顎。
勝負は、一瞬だった。
フェンリルの顎が、ヨルムンガンドを――噛み砕いた。
鳴り響く破壊音。世界中の熱狂。
こうして。
神・ハーヴィーとの最後の戦いは、
確かに――幕を下ろした。




