60話 地の国テラリウム②
【地の国 テラリウム/天】
地の精霊祭当日。
朝のテラリウムは、いつもと同じ景色のはずだった。
丘陵に広がる放牧地。牛や羊の鈴の音とユーカリの匂いと鉱山都市ならではの岩と石の匂い。
——けれど、今日は違う。
街の入り口に立った瞬間、思わず足が止まった。
虹だ。
七色を模したアーチが、石造りの門を跨ぐように架けられている。
布、ガラス片、塗料、鉱石の粉。
ドワーフの手仕事と、人の発想が混ざり合った即席の虹。
今回の精霊祭のキャッチフレーズは
『空に掛かる橋、天地を繋ぐ』
伸びていく色彩が地下と地上を埋め尽くす。
「……ちゃんと、できてる」
胸の奥が、きゅっと締まった。
この街は、合理性の塊だ。
人は地上で食糧を作り、ドワーフは地下で鉱石を掘り、道具を作る。
無駄を削ぎ落とした結果、色は必要とされなかった。
だからこそ——
今日は、そのモノクロの世界に、色が溢れている。
街路の壁には絵が描かれ、鉱山の入口には布の装飾が揺れている。
風に乗って、笑い声と音楽が流れてきた。
「レインボーチーズドッグ、最後尾こちらでーす!」
屋台から漂う、焼けた生地とチーズの香り。
熱に溶けた七色のチーズが、びよんと伸びる。
「他の店舗でも販売してますので、そちらもよろしくお願いしまーす!」
地の国は酪農の国だ。
濃い乳のコクと、塩味の効いた生地。
見た目だけじゃない、ちゃんと“美味しい”。
「はふ……はふ……!」
振り向くと、クラウディアが小さな身体で、熱々のチーズドッグにかぶりついていた。
「……やけどするよ?」
「だって美味しいんだもの!」
満足そうな顔を見て、思わず笑ってしまう。
午前の広場では、子どもたちの声が弾んでいた。
「輪になってー! 手を叩いてー!」
小さな手拍子。
歌はアカペラ。
単純で、覚えやすくて、身体が勝手に動く。
——ああ、これだ。
子どもが真似して、親が覚えて、街に広がる。
狙った通りの光景に、胸が熱くなる。
「さて、午後が本番だよ。軽く合わせようか」
ギターを肩に掛けたカエデさんが、穏やかに微笑んだ。
見た目も所作も女性なのに、声は低くて落ち着いている。
「お前らと組むのも久々だな」
ドラムセットの向こうで、テッショウさんが腕を鳴らす。
鉱石みたいに硬い拳。
「よっしゃあ、バチコイだぜ!」
ベースのクロムが、豪快に笑った。
「あの……私が最初のボーカルで、よろしいんでしょうか?」
モリアナさんの声は、相変わらず控えめだ。
「火付け役なら、モリアナが適任だよ」
カエデさんが即答する。
「……その後に、真打の天だ!」
午後。
広場が、息を呑んだ。
「行くぞテメーラァァァ!!
死ぬ気で声出しやがれーー!!」
一曲目。
ラップとデスボイスが炸裂する。
地響きみたいなドラム。
歪んだギター。
観客が一斉に跳ねる。
「モリアナーー!!」
「カエデさーーん!!」
最前列は、もはや戦場だった。
聞けば、彼らは昔バンドを組んでいたらしい。
その頃からの“濃い”ファンが、今も残っている。
熱が、十分に温まったところで。
「……よろしくね」
マイクが、私に渡される。
「……任せて」
モリアナさんと、短く視線を交わす。
——この熱、受け取った。
「みんな、行っくよーー!!」
ポップで、青くて、夏の匂いがするロック。
元の世界で、学祭でやりたいねって話していた曲。
声を張るたび、身体が軽くなる。
音に、色が乗る。
アンコール。
最後は、バラード。
分かりやすいくらい、恋の歌。
歌いながら、浮かぶ顔。
(……善に、会いたいな)
好きが、静かに、でも確実に加速していく。
次を、欲しがっている自分がいる。
観客は、余韻に浸り、静かに拍手を送った。
夜。
広場には、ジャズが流れていた。
柔らかく、後夜祭の空気を作り出す音。
少し離れた場所で、打ち上げが始まる。
「今日は楽しかったよ、天ちゃん」
カエデさんが言う。
テッショウさんは無言で頷き、
「いいガッツだったぜ!」
クロムが親指を立てた。
「……ありがとうね、天」
モリアナさんの声は、昼とは別人みたいに静かだった。
「来客者、去年の三倍だって。大成功よ」
胸が、じんと痛くなる。
「こちらこそ……皆と出会えて、同じ目標を達成できて、本当に良かった」
私は、ずっとどっちつかずだった。
やりたいことが多すぎて、どれも中途半端だった。
でも——
今日は違う。
一つのことを、最後までやり切った。
それが、こんなにも胸に残るなんて。
別れ道。
「地の精霊祭、大成功じゃな」
いつの間にか、テラが立っていた。
「君に依頼して、正解だった」
「やっと会えたね、テラさん……いや、地の精霊テラ」
夢で話した、あの存在。
テラは、老人の姿から、ドワーフのような老人へと変わる。
「フォフォ……君は、一つのことをやり切った」
「その成功体験が、君にとっての礎となり、
自信となり、今、この大地に立っている」
天の腕に、温かな感触。
腕輪が、宿る。
「唱えて」
「……仮面解放」
世界が、重くなる。
それなのに——
足取りは、驚くほど軽かった。
「地の精霊の本質は『重力』、
重力道化師、
君なら使いこなせるだろう」
テラは、静かに言う。
「君は重さを知った。だからこそ本当の意味で自由になれる」
私は、深く息を吸った。
——ああ。
ちゃんと、地に足がついてる。
だからこそ、空を見上げられる。
虹のアーチの向こうで、夜空が静かに瞬いていた。
天のSNS風一言ポスト
地の国に色が灯った日。
一つのことを最後までやり切ったら、世界が少し軽くなった。
地に足つけて、空を見上げられる今が好き。




