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テンプレをぶち破れ、エゴイストがクソみたいな神を殴り倒して世界をひっくり返すまで。  作者: 強炭酸
4章 外界編

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56話 水の国アクエリアス①

【水の国 アクエリアス/勇希】


 その日は、店の定休日だった。


朝の港町は、普段よりも静かだ。

潮の匂いが空気に溶け込み、濡れた木桟橋が陽に温められて、ほんのりと甘い香りを放っている。遠くで波が岩に砕ける音と、鳥の鳴き声だけが、ゆっくりと時間を刻んでいた。


「今日はね、特別案内だよ」


アリスはそう言って、軽く手を振った。

探検家スタイルの服の上から白衣を羽織っている。そのせいで、身体の線が強調されるでもなく、逆に――隠されているはずなのに、どうしても意識してしまう。


(……落ち着くんだ)


視線の置き場に困りながら、勇希は彼女の背を追った。


「ここが、農学アカデミーの温室プラント」


扉をくぐった瞬間、空気が変わる。

湿り気を帯びた、土と葉の匂い。

鼻の奥がすっと冷えて、肺の中まで洗われるようだった。


ガラス張りの天井からは柔らかな光が降り注ぎ、規則正しく並んだ畝には、季節外れの作物が青々と育っている。瑞々しい葉が擦れ合い、微かな音を立てていた。


「魔法の補助で、恒温を維持してるんだ。だから、季節違いの作物も育てられる」


アリスは誇らしげに言う。

その横顔に、研究者の顔が重なる。


(……この人、やっぱり凄いな)


コックで、農学アカデミー学生で、巫女で――

そのどれもが中途半端じゃない。


「話はアクエリアから聞いてるよ」


不意に、彼女が振り返る。


「ぼくは精霊の巫女だから、水の精霊とコミュニケーションが取れるんだ」


視線が、温室の中央へ向く。


「そうだよね、アクエリア」


その名を呼ばれた瞬間、空気が揺れた。


水音がしたわけでもない。

だが、確かに“流れ”が生まれる。


そこに現れたのは、仮初めの姿を取った水の精霊だった。

両足で歩行する人魚のような肢体。淡い水色の髪が揺れ、表情はどこか眠たげで、落ち着いたお姉さんという印象だ。


「そうだよ、アリス」


声は静かで、感情の起伏が少ない。

けれど、その存在感は確かだった。


「勇希への試練は、あなたに――精霊祭に捧げる料理をかけて勝つこと。」


勇希の喉が、無意識に鳴る。


「私は水の精霊、その本質は『生命』。

生きる事は食べる事、食べる事は命を奪う事。

私に力を示してみなさい」


アリスは、ほんの一瞬だけ目を伏せ、それから強く頷いた。


「母さんから受け継いだ巫女として、負けられないね」


その言葉には、誇りがあった。


「でもね」


アクエリアが続ける。


「意地悪はしないで。きっちり敵に塩を送るスタイル、嫌いじゃないよ」


「もちろん」


アリスは即答した。


「全力の相手に勝ってこそ、意味があるもの」


彼女は勇希を真っ直ぐ見据える。


「ぼくは、アカデミーで学んで、料理のマーケティングも意識してる。何が流行るか、何が売れるか。ぼくのやり方なら、お店も繁盛間違いなし!」


自信に満ちた言葉。

その奥に、少しだけ焦りが混じっていることに、勇希は気づいていた。


(……抱え込みすぎてる)


でも、それを口に出せる立場じゃない。


「あの……どうかお手柔らかに」


そう言うのが精一杯だった。


二人の女性――いや、一人と一柱の精霊の会話に挟まれながら、勇希はただ、静かに拳を握る。



翌日。

仕事終わりの休憩時間。


厨房の奥で、油の匂いと湯気が落ち着いた頃、ディアムが声をかけてきた。


「どうだ、この国には慣れたか?」


彼はコックコートの袖をまくり、木椅子に腰掛けている。

目の下には薄く隈があり、酒の匂いが微かに残っていた。


「はい。皆さんによくしてもらっています」


勇希は頭を下げる。


「特にアリスさんには、先日、各所案内をしていただきました」


「そうか」


ディアムは、少しだけ目を細めた。


「話は聞いたよ。精霊祭に捧げる料理をかけて、アリスと勝負だそうだな。俺が審査員を務めるが……身内贔屓するかもしれんぞ」


冗談めかした口調だったが、視線は真剣だった。


「それは、ないと思ってます」


勇希は即答した。


「ディアムさんは、自分の舌に正直な人です。だからこそ、審査員として、僕も勝負の判定を預けられる」


少しの沈黙。


「……そうか」


ディアムは、ぽつりと呟く。


「あの子は今、農学やりながら料理もして、巫女もやってる。同時にたくさん抱えてる分、見えない部分もあるんだ」


それは、独り言のようだった。


「昔はな、『母さんのごろごろ野菜カレー』が一番だって言ってたんだ」


懐かしむように、遠くを見る。


「……懐かしいな」


その言葉が、胸に残る。

僕にとっての震災時のカレー。

彼女にとっての思い出がそうなのだろうか。


休憩終了のベルが鳴り、ディアムは立ち上がった。


「長話になってしまって、すまなかったね」


「いえ」


勇希は深く礼をした。



その夜。


部屋に戻ると、頭の中に澄んだ声が響いた。


精神感応通信チャット・ウィスプ


『勇希、アリスとの料理バトルはどう?』


クラウディアだ。


『僕は、最初から勝ちに行くつもりだよ』


勇希は、正直に答えた。


『何よりも、カレーは僕にとって特別な料理だから』


少し間を置く。


『でも……』


『それとは別に、彼女に惹かれているんだ』


胸の奥が、じわりと熱くなる。


『わがままかもしれないけど、勝負に勝って、気持ちを打ち明けて……彼女とも、付き合いたいと思ってる』


すぐに返事は来なかった。


『……そういう男子、嫌いじゃないわよ』


クラウディアの声は、呆れ半分、微笑み半分だった。


『でも、同時はやめときなさい。順番とタイミングが大事よ』


『だからさ』


勇希は、深呼吸して続ける。


『アリスとの勝負の一皿』

『アリスへ告白する一皿』


『二本立てで行きたいんだ』


しばらくの沈黙。


『……なるほどね』


クラウディアの声が、少し楽しげになる。


『作戦、深掘りしましょうか』


通信が切れる。


部屋に、静けさが戻った。


勇希は、天井を見上げた。


勝負の料理。

想いを伝える料理。


――どちらも、逃げられない。


だが、不思議と怖くはなかった。


鍋の中で、香りが立ち上るように。

自分の中で、何かが静かに煮え始めている。


(……やるしかない)


そう、心の中で呟いた。


水の国アクエリアスの夜は、静かで、優しく、そしてどこか熱を孕んでいた。

 

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