54話 火の国アルディス②
火の国拳闘大会は、精霊祭の前夜祭として行われる。
それはただの競技ではない。
この国に生きる者たちが、一年分の熱を吐き出す“儀式”だ。
日中から、街は異様な熱気に包まれていた。
石畳に反射する陽光、屋台から立ち上る油と香辛料の匂い、鉄を打つ音に混じって聞こえる歓声。
観客席では酒樽が次々と空き、誰かの勝利に、誰かの敗北に、人々は遠慮なく声を上げる。
――ここは、火の国だ。
リングに上がるたび、胸の奥が焼けるように熱くなる。
だが、不思議と恐怖はなかった。
俺は、勝ち上がっていた。
予選、準々決勝、準決勝。
対戦相手は皆、『気』を扱う拳闘士だったが――
アルドバーンの怒鳴り声が、常に耳の奥で燃えていた。
『いいぞ! ワン・ツーだ! 距離を制するんだ!』
『ボディが空いとる! 腹を焼け!!』
マウスピース越しに、荒い呼吸を整えながら応える。
殴る。かわす。受け流す。
拳が肉に沈む感触、骨を震わせる反動。
それらすべてが、今の俺には“正しい”。
準決勝の相手を沈めた瞬間、ゴングの音が遠くに聞こえた。
――勝った。
リングを降りると、すぐにタオルが差し出される。
「衛」
シェリルだった。
今日の彼女は、いつものつなぎではない。
落ち着いた色合いの私服に身を包み、髪もきちんと整えている。
鍛冶場にいるときとは違い、年相応の、いや――それ以上に、眩しい。
「凄かったよ。……次、決勝だね」
「ああ……それと」
一瞬、言葉に迷ってから、視線を逸らす。
「今日の服、似合ってる」
間。
ほんの一瞬、空気が止まった。
「……もう、こんなときに!」
そう言いながら、彼女は耳まで赤くなっている。
『今の、不意打ちボディブローは完璧よ』
精神感応通信越しに、クラウディアの声が弾む。
『女性はね、些細なことで落ちるものなの』
……余計なお世話だ。
だが、悪くはなかった。
♢
夕方。
決勝戦が近づくにつれ、空気が変わった。
観客席のざわめきの中に、嫌な“視線”が混じる。
「やあ、シェリルさん。ごきげんよう」
振り向くと、借金取りの男が立っていた。
脂ぎった笑み。
目が、値踏みするように彼女の身体を舐める。
シェリルは、露骨に距離を取る。
「君のところの従業員も頑張ったがねえ……相手が悪い」
男は、リングの方を顎で示す。
「決勝の相手はフラン。この国一番の『気』の使い手だ。
強化型に特化していてな。タイマンじゃ、負け無しだと聞く」
胸の奥で、何かが冷えた。
だが、シェリルは一歩も引かない。
「衛は、勝ちます」
その言葉に、男は小さく笑った。
「ふふ……じゃあ見せてもらおうか。“奇跡”とやらを」
不快だった。
心の底から。
♢
ゴングが鳴る。
――決勝戦。
俺の前に立つ男、フラン。
長身、長い手足。
立っているだけで、圧がある。
俺が“剣”なら、
こいつは――“槍”だ。
開始と同時に、フランは動いた。
『気』を込めたフリッカージャブ。
鞭のようにしなる腕が、空間を裂く。
速い。
重い。
これ一本で、ここまで来たのか。
『パリィだ! 教えただろう!!』
分かっている。
だが、手数も圧も、段違いだ。
拳がかすめるたび、視界が揺れる。
息が荒くなる。
「衛……」
観客席のどこかで、シェリルの声が震えた。
♢
最終ラウンド前、インターバル。
汗が、床に落ちる。
――強い。
これまで戦ってきた中でも、別格だ。
ふと、記憶が重なる。
聖騎士団のフールー。
あのときも、距離を支配され、弾幕に封じられた。
今の俺なら、
火炎息吹も、
火炎弾もある。
だが――
それに頼る気は、なかった。
目の前の敵を、
“拳で”倒したい。
そして、脳裏に浮かぶのは、
悲しそうにうつむくシェリルの顔。
その腐敗した未来を
――壊す。
最終ラウンド開始。
世界が、研ぎ澄まされる。
フランの呼吸。
踏み込み。
重心。
すべてが、“波”として見えた。
(……今だ)
超前傾。
一気に踏み込む。
俺の間合い。
ジャブ。
当たる。
そのまま、全身の『気』を込めて――
ストレート。
衝撃。
次の瞬間、
フランの巨体が、リングの外まで吹き飛んだ。
「場・外!!KO――!!」
歓声が、爆発する。
『やったな衛!! このバカ弟子が!!』
『……うるうる。感動したわ』
フランは、ゆっくりと立ち上がり、
黙って手を差し出してきた。
握る。
――強い。
「いい拳だ」
短い言葉だった。
♢
リングを降りると、シェリルが駆け寄ってくる。
「衛……ありがとう」
借金取りの男が、深く息を吐いた。
「……済まなかったな。
熱い試合だった。年甲斐もなく、久々に拳を握ったよ」
賞金を受け取ると、彼は自らの手で借用書をビリビリに破いた。
筋は、通す男らしい。
「もう会うことはないだろう」
去っていく背中を見送りながら、思う。
――終わった。
「帰ろうか、シェリル」
「……うん」
彼女は、そっと身を寄せてきた。
その手を引きながら、歩き出す。
――この手は、離さない。
そう、胸の奥で誓いながら。




