44話 風の国シルフィード序章
【風の国 シルフィード/善】
「……ここが、風の国シルフィードか」
思わず、そんな独り言が漏れた。
石畳の道を吹き抜ける風は、ひんやりとしていながら、どこか湿り気を帯びている。鼻をくすぐるのは、湿った土の匂いと、どこかココナッツに似たハリエニシダの甘い香りが、風に乗って紛れ込んできた。
懐かしい――と言うには、俺はこんな街に来たことはない。だが、胸の奥に引っかかる感覚があった。
まるで、映画や本の中で何度も見た景色が、現実になったような感覚。
赤茶けた煉瓦の建物が連なり、ところどころに煙突が突き出している。歯車を組み込んだ看板が軋む音を立て、馬車が通るたびに蹄の音が石畳に跳ね返る。
産業革命前のイングランドや、アイルランドの田舎町を思わせる街並み。だが、そこに魔法灯や、羽根飾りのついた看板が混ざり込み、この世界独自の色を作っていた。
風が強い。
だからこそ、この国は「風の国」と呼ばれるのだろう。
「……異世界に来たと思ったら、さらに異世界だな」
苦笑しながら、肩に掛けた荷を直す。
精霊王の術で飛ばされた時、森の参道に立っていた。苔むした道と、古びた看板。
“シルフィード市街地まで三キロ”
そう書かれた板切れに、どこか安心してしまったのを覚えている。
歩いているうちに、空気が変わった。
湿った土と木の匂いが薄れ、代わりに、人の営みの匂いが濃くなる。
革、鉄、油、香辛料、焼き菓子。
それらが混ざり合い、「街に来た」と五感に叩きつけてくる。
その中心に、ギルドはあった。
大きな建物ではない。だが、人の出入りが激しく、扉の向こうからは金属音とざわめきが溢れている。
ここが、冒険者の拠点。
中に入ると、空気が一段階、濃くなる。
汗と鉄の匂い。革鎧の擦れる音。依頼書をめくる紙の音。
受付カウンターの向こうでは、職員が慣れた手つきで手続きを進めていた。
事情を説明すると、話は早かった。
他国ギルドカードを身分証代わりに、少額の支度金を無利子で借りられる。宿舎の使用許可も問題なし。
「……これで、当面の拠点は確保できたな」
胸の奥で、少しだけ緊張がほどける。
金と寝床。これがないと、どんな世界でも生きていけない。
――さて。
ここからが本題だ。
精霊と接触し、ハーヴィーを止めるための“糸口”を掴む。
そう思った、その時だった。
「ここがシルフィードのギルド!?
うわぁ、みんな冒険者って感じでギラギラしてる!
ねえねえ、ここって観光名所どこなの?」
やけに高いテンションの声が、背後から響いた。
振り返る。
金髪。尖った耳。
淡い緑を基調とした、風に揺れるような衣装。
どう見てもエルフだ。
だが――雰囲気が、想像していたエルフと違う。
落ち着きも、神秘性もない。
あるのは、純粋な好奇心と、観光客じみたテンション。
(……クラウディアに、ちょっと似てるな)
そんなことを考えた瞬間、目が合った。
「あ、そこの君、冒険者?」
嫌な予感がした。
「いま丁度、エルフの里の依頼出したんだけど、受けてかない?」
……捕まった。
その言葉と同時に、脳裏に、精霊王の声が蘇る。
――奴の名は、ハーヴィー。
――外界、風の国出身のエルフだ。
胸の奥が、ざわりとする。
エルフの里。
風の国。
そして、ハーヴィー。
偶然にしては、出来すぎている。
(……何か、ある)
俺は一度、深く息を吸った。
パンと煤と風の匂いが、肺に満ちる。
「……エルフの里の依頼、受けましょう」
そう答えると、彼女はぱっと顔を輝かせた。
「そうこなくちゃ!」
胸を張って、名乗る。
「わたしはスカイア。よろしくね!」
風が吹き抜ける。
その瞬間、俺はまだ知らなかった。
この出会いが、神と呼ばれる存在の“過去”へと繋がっていくことを。
だが――
物語は、確実に動き始めていた。
Y(やったこと/起きたこと)
・シルフィードの街に到着。ギルドで事情説明、支度金の貸与と宿舎の確保に成功。
・ギルド内で騒がしいエルフの少女と遭遇。
・エルフの里への依頼を持ちかけられる。
・依頼主の名はスカイアと名乗った。
・エルフの里への依頼を受諾。
⸻
W(わかったこと/気づき)
・外界でもギルドカードは身分証+最低限の信用として機能する。
・シルフィードは産業革命前の西欧風だが、活気と観光性が強い街。
・精霊王が語った「ハーヴィーは風の国出身のエルフ」という情報と、エルフの里の依頼が不自然なほど噛み合っている。
・この依頼は偶然ではなく、精霊(あるいは精霊王側)からの導線である可能性が高い。
⸻
T(次にやること/仮説)
・エルフの里へ向かい、ハーヴィーの若き日の評判、風の国における彼の立ち位置、精霊王との関係が変質する前の兆候を探る。
・スカイアの正体を見極める。単なるミーハーなエルフか、意図的に演じているのか。
・「理想から歪んだ英雄」という像が、どこから崩れ始めたのかを掴む。
・風の精霊と接触できる可能性を最大化する行動を取る。
・世界は広がったが、問題の核心はむしろ一点に収束してきている。「神」を倒す前に、彼が何を信じ、何を守ろうとして壊れたのかを知らないと、自分はきっと納得できない。
・今回の依頼は、“戦うため”じゃなく、“知るため”の一歩だ。




