40話 精霊王
「……うぉー!! ……着いた!!」
善の声が、大空間に反響した。
個別の試練を終えた直後、床が反転し、まるで巨大な滑り台に放り出されるように一気に下降した末の着地だった。石床に叩きつけられる寸前、重力がふっと緩み、最後は尻餅ひとつで済んだ。
「……うぉっ、着いたか」
衛はすでに体勢を整え、軽く肩を回している。表情一つ変えないあたり、さすがというべきか。
「うわぁぁーーーー!!!」
一方、勇希は遅れて転がり込み、情けない声を上げながら床に伸びた。
「ちょ、ちょっと待って、心の準備ってものが……!」
「やっほーーい!!!」
天だけが、最後まで純粋に楽しんでいた。着地の勢いでふらりと身体が揺れ、そのまま前につんのめる。
「危なっ……」
反射的に、善が腕を伸ばした。
「大丈夫か。無理するなよ」
肩を支えられ、天は一瞬きょとんとした後、へにゃっと笑う。
「えへへ……ありがと」
近すぎる距離に、善は視線を逸らす。
その様子を、少し離れた位置から見ていたクラウディアは、無意識に精神感応通信を起動しかけ――すぐに眉をひそめた。
(……まだノイズが残ってるわね)
代わりに、衛と勇希と目を合わせる。
(もう付き合っちゃえよ)
(そうだな)
(うんうん)
声なき会話が、即席で成立した。
やがて全員が体勢を整え、視線は自然と正面へ向かう。
巨大な石扉。
圧倒的な存在感を放ち、静かに待ち構えている。
「……おそらく、ここが五十階層だ」
善は息を整えながら言った。
「精霊王は、この奥だろう」
衛は無言で頷き、天は期待に目を輝かせる。
勇希は盾を握り直し、緊張を隠せていない。
そしてクラウディアは――懐かしさと覚悟が入り混じった、複雑な表情で扉を見つめていた。
善は一歩前に出る。
「……行くぞ」
扉の向こうで、何かが待っている。
それを、全員が本能的に理解していた。
♢
五十階層。
精霊王の間。
扉を越えた瞬間、空気が変わった。
冷たいわけでも、熱いわけでもない。
ただ――澄み切りすぎている。
呼吸をするたび、肺の奥まで洗われるような感覚があり、同時に、ここが「人の立ち入る場所ではない」ことを否応なく理解させられる。
広間は円形。
天井は高く、どこからともなく淡い光が降り注いでいた。
柱も、玉座もない。
中心に立っていたのは、ただ一人。
ローブに身を包んだ僧正のような男。
年齢は測れない。白髪だが老いを感じさせず、瞳は深く静かだった。
その視線が向けられただけで、背筋が自然と伸びる。
『……来たか』
声は穏やかだった。
だが、空間そのものが共鳴するように震え、言葉の一音一音が胸の奥へ沈んでいく。
『運命の四英傑よ――
いや、“エゴイスト”と呼ぶべきか…』
天が小さく息を呑む。
勇希は無意識に手を合わせ、衛は剣から半歩だけ距離を取った。
クラウディアは、言葉を失ったまま視線を伏せている。
精霊王は、静かに続けた。
『安心せよ。今の私は、戦える状態ではない』
ローブの奥から、かすかな“空虚”が滲み出ている。
善は、それを肌で感じ取った。
強大な存在であるはずの精霊王から、“欠けている”感触がする。
『これは仮初めの姿だ。力は奪われ、吸い上げられている』
その言葉が落ちた瞬間、場の空気がさらに重くなる。
善は一歩前に出た。
「……聖騎士団のシリュウから頼まれました」
自分の声が、思ったより低く響く。
「『精霊王様に会え。世界の真実は、そこにある』と」
精霊王の瞳が、わずかに揺れた。
懐かしむような、そして痛みを含んだ色。
『そうか……あの男が』
一拍。
長い沈黙が落ちる。
『ならば、話そう』
精霊王は視線を上げ、天井の光を仰いだ。
空気が、張り詰める。
精霊王は、ゆっくりと息を吐いた。
その吐息に合わせるように、広間の光がわずかに揺らぐ。
『まず……ダンジョンについて話さねばならぬ』
善の背筋が、ぴんと張る。
『そなたらが踏破してきた、初級、中級の階層――
あれらは元より、試練ではない』
勇希が思わず声を漏らした。
「……え?」
精霊王は、静かに首を振る。
『あれは“ぬるま湯”だ』
言葉は穏やかだが、断定だった。
『冒険者を育てるためのものではない。
挫折させぬための檻だ』
空気が、冷える。
『死なぬ。だが、強くもならぬ。
成功体験だけを与え、疑問を抱かせぬための構造』
天が、思わず口を押さえた。
『人は、痛みを知らねば考えぬ。
考えねば、神に疑問を抱かぬ』
精霊王の瞳に、微かな苦味が宿る。
『それが、“神”の望んだ世界だった』
一拍。
『――だが、我らは諦めなかった』
その言葉に、クラウディアが顔を上げる。
『上級ダンジョンの中に、ただ一つのイレギュラーを仕込んだ』
精霊王は、指先で宙をなぞった。
『ラビリンスコア』
その名を聞いた瞬間、善の脳裏に、いくつもの死線が蘇る。
『攻略手順も、推奨レベルも存在しない。
踏み込めば、必ず“自分の限界”と向き合う構造』
精霊王の声が、わずかに低くなる。
『それを越えた者だけが、
超級ダンジョンへ至る道を“視認できる”』
勇希は、唾を飲み込んだ。
『この仕掛けを作るにあたり、
我は一人の人間と、密約を交わした』
善は、すでに理解していた。
「……聖騎士団の、シリュウ」
精霊王は、静かに頷く。
『あの男は、理解していた。
神の与える“安全な強さ”が、
いずれ世界を滅ぼすことを』
一瞬、精霊王の声が震えた。
『ラビリンスコアを突破した者に、
希望を託す』
『神の箱庭の“外側”へ至る資格を与える』
『それが、我とシリュウの密約だった』
長い沈黙。
精霊王は、視線を落とす。
『それでも――』
精霊王は、善たちを真っ直ぐに見据えた。
『そなたらがここに立っていること自体が、
密約が果たされた証だ』
空間が、静かに脈打つ。
『希望は、まだ潰えていない』
精霊王は、かすかに笑った。
『だから語った。
ここで語らねば、永遠に失われる真実だからだ』
善は、ゆっくりと拳を握り締める。
――冒険者をぬるま湯に沈める世界。
――それでも、希望を仕込んだ者たち。
そして。
『そして』
その声に、微かな怒りと悲しみが混じった。
『“神”を名乗っている、あの男について』
善は、無意識に拳を握り締める。
ここに来るまでに積み重ねてきた疑問、違和感、恐怖。
それらすべてが、この先にあると直感していた。
――世界の真実は、もう目の前だ。
精霊王は、静かに語り始めた。




