31話 免疫
地下迷宮に足を踏み入れてから、五階層までは――拍子抜けするほど順調だった。
石壁は冷たく、靴底に伝わる湿り気は一定。足音は規則的に返り、敵影も罠も“読める範囲”に収まっていた。
陣形・前衛四重奏が噛み合っている証拠だ。
善と衛が前線で圧をかけ、敵の意識を正面に縫い留める。
その背で、天がマークと追尾弾で動線を壊し、勇希が盾で綻びを塞ぎながら、氷の術を“仕込み”として積み上げていく。
勝つための手順が、呼吸のように回っていた。
――だからこそ。
五階層を越えた瞬間、背筋に走った違和感は、やけに鮮明だった。
ふっ、と。
迷宮の奥から、微かな風が吹く。
冷たいだけじゃない。どこか、粘つくような湿度を含んだ風。肌を撫でるのではなく、指先で“探られる”感覚。
「……今、風が吹いたよな?」
善が足を止めた。
声は落ち着いているのに、瞳だけが忙しい。索敵スキルを展開した瞬間、眉間の皺が深くなる。
「――敵の位置が……いや、それだけじゃない。通路の構造そのものが変わってる……!?」
天もスケッチブックを覗き込み、思わず声が裏返る。
鉛筆で引いた線が、現実と噛み合わない。さっきまで“右に曲がる廊下”だったはずの場所が、今は真っ直ぐ続いている。
「ええ!? せっかく書いたマップ……これ、もう意味なくなってる……!」
紙の上で、彼女の指先がわずかに震えた。
努力が一瞬で無にされる感覚。焦りより先に、悔しさが滲む。
「偶然じゃねえな」
衛が低く唸った。
鼻先に感じる風の向き、湿り気、音の反響――それらを、剣士の直感が“意図”として捉えている。
「罠も、敵の配置も……意図的に動かされてる。っていうか……こっちを見てる感じがする」
勇希も周囲を見回し、静かに頷く。
守る者の目は、空気の変化に敏感だ。音が消える場所、温度が歪む場所、気配が“抜ける”地点。
「うん。気のせいじゃない。……このダンジョン、反応してる」
その言葉が落ちた瞬間、空気が一段重くなる。
まるで迷宮が――「やっと気づいたか」と笑ったみたいに。
そして、答え合わせのように。
通路の奥、霜を纏った巨体が、岩を軋ませて姿を現した。
フロストゴーレム。
氷結属性に特化した魔力の塊。表面は白く凍りつき、動くたびに粉雪のような氷片が舞う。息の白さすら呑み込む、冷気の塊。
「来たぞ!」
善の声が鋭くなる。迷いはない。
状況の“嫌さ”を噛み締める前に、正解を選びに行く。
「陣形変更!陣形・無限四重奏! 勇希、前を頼む!」
「了解!」
勇希が一歩前に出る。盾の縁が、淡く光を帯びる。
胸の奥がざわつく――あの日、聖騎士団に突きつけられた“無力”の感覚が、喉の奥に残っている。
でも今は、立ち止まれない。
「オーラプロテクト……まずは防御。魔法が効くかどうかは、試してみないとね」
ゴーレムの拳が振り下ろされる。
風圧が頬を裂き、床が鳴る。勇希は反射で盾を押し出した。
――重い。
腕が痺れるほどの衝撃。だが、膝は折れない。
守れる。守れるなら、次がある。
「氷結拘束!」
ダメージは入らない。氷の身体に氷は通りにくい。
それでも、脚部の関節に薄い霜の鎖が絡み、動きが鈍る。
「なるほど……」
勇希は息を整えながら呟く。
恐怖の中に、確かな手応えが混ざる。
「ダメージが通らなくても……足止めならできる」
その一瞬を、衛は見逃さなかった。
居合の構え。
抜刀と同時に、赤い熱が刃に走る。冷気と炎がぶつかり、視界が白く弾けた。
「分かってきたじゃねぇか! ――赤牙・一閃!!」
切り裂かれた氷の欠片が、鈴の音みたいに散る。
「追い打ち行くよ!」
天がスケッチブックを閉じ、魔法陣を空中に描いた。
指先から走る光が、冷たい闇の中で鮮やかに浮かぶ。
「魔法弾!」
複数の魔力弾が一点に吸い込まれるように収束し、胸部――魔力核へ集中する。
ぱきん、と。
氷の奥で、何かが砕ける乾いた音。
ゴーレムの動きが止まり、崩れ落ちた。
――沈黙。
迷宮が、ほんの一瞬だけ“息を潜めた”ように感じられた。
善はその静けさがいちばん怖いと知っていた。
勝ったのに、勝ち切った気がしない。次の一手が、もう仕込まれている気がする。
「……見えてきたな」
皆が息を整える中、善が低く言う。
床に指で簡単な図を描きながら、頭の中の仮説を形にしていく。
「このダンジョン、多分『免疫』を持ってる」
「免疫?」
天が首を傾げる。鉛筆が、紙の端を掻く音だけがする。
「同じ戦い方を続けると、それに“適応”するってことだ」
善は頷く。
「さっきの風――あれが合図だ。俺たちの戦い方に合わせて、敵や構造を変えてきてる。対策してくるんじゃなくて……“慣れてくる”」
衛が歯を鳴らす。
「つまり……こっちの得意分野を潰しに来る、と」
「そうだ」
善は短く肯定した。
「まだ序盤だ。これからもっと露骨な悪意が来る。……油断は禁物だな」
言葉の裏にあるのは、“知ってるから怖い”という感情だった。
努力したこと、学んだこと、それ自体が――敵に学習材料を与える。
成長が、殺意の燃料になる。
♢
地下十階。
幸い、この階層にはキャンプ地が設けられていた。
岩壁が広がり、天井は高い。奥には湧き水が細い音を立てて流れ、どこかの裂け目から微かな外気が入り込む。湿った石の匂いに混じって、木の葉が擦れるような香りがした。
焚き火を起こすと、火の爆ぜる音がやけに安心できる。
闇の底で、暖色の輪ができるだけで、人は少しだけ“人間”に戻れる。
「ここで一息つこう」
勇希が言った。声のトーンが柔らかい。
守ること、戦うこと、その両方で張り詰めた神経を、いまだけ緩めたかった。
「今回は役割をシャッフルしない? 罠も採取も、全員できた方がいい」
皆が頷く。
“免疫”の話を聞いた後では、同じ得意だけで固めるのは危険だ。
罠担当は善と天。
採取担当は勇希と衛。
善が罠を仕掛けながら、淡々と説明する。
縄の張り、餌の位置、風向き。彼の手元は、迷いなく正確だった。
「デカシャモは警戒心が薄い。こういう単純だけど確実な罠が効く」
「すご……」
天が身を乗り出す。
火の光が、彼女の瞳をきらりと反射させる。
「凝りすぎじゃない? 職人技みたい」
善は照れもせず、ただ「まあな」とだけ言った。
こういう時、彼は“好き”が表に出る。
♢
採取組は、森に似た小区画へ。
湿った土の匂い、遠くで水滴が落ちる音。ダンジョンの森は、外よりも静かだ。静かすぎて、逆に怖い。
「……あの二人、進展してるかな」
勇希がぽつりと言う。
言った瞬間、自分で照れたのか、視線を逸らした。
「いや、多分善が大真面目に分析してるだけだぞ」
衛が即答する。笑い混じりだが、どこか温かい。
その時、ふわりと耳の内側に声が割り込んだ。
『そうそう。もどかしいのよねー』
精神感応通信。
クラウディアの声。軽いのに、妙に近い。
「聞いてたのかよ!」
衛が反射でツッコむ。
『――そういえばさ』
声が少しだけ意地悪くなる。
『衛と勇希はどうなの? この世界に来てから、運命の出会いとか。好きなタイプとかさ』
沈黙。
森のざわめきだけが続く。
先に折れたのは衛だった。照れ隠しの笑いを混ぜる。
『ダンジョン攻略ばっかしてたから、出会いは皆無だなあ』
『好きなタイプ? ……「くっ……殺せ」って言いそうな、セクシー系女騎士お姉さん』
『わかりやすっ』
クラウディアが即ツッコむ。
勇希も、苦笑混じりに続けた。
声がいつもより少し小さい。
『僕も出会いはないよ』
『好きなタイプは……「どうしたんだい? 少年」って声をかけてきそうな、セクシー系ダウナー魔法使いお姉さんかな』
また沈黙。
そして、クラウディアのため息。
『あなた達、見た目は良い線いってるんだから、もう少し自信持ちなさい』
『それにね。タイプの人を好きになるとは限らないの』
声が、冗談から“本音”へ滑る。
『出会った瞬間に、「ああ、この人だ」って思う時が来る』
『たとえ、その恋が実らなくても……その想いは大事にしなさい』
『次の出会いの時に備えて、あなた達はもっと自分を磨いておくのよ』
衛が、素直に返した。
『クラウディア姐さん……俺、頑張るよ』
『僕もだ』
勇希の声も静かに重なる。
『ありがとう。頑張ろう』
『ふふ。頑張りなさい、男子ども』
――と、その時。
「おーい、デカシャモ罠かかったぞー!」
背後から、現実の声。善の声が森を切り裂く。
「こっちの罠からもゲットだよー!」
天の明るい声。
木立の向こうから、二人がひょっこり現れる。何事もなかったみたいな顔で。
衛と勇希は顔を見合わせる。
そして、チャット越しのクラウディアの気配も。
(――お前らは、はよくっつけ)
三人の心の声が、見事に重なった。
♢
夕食は、勇希の手料理。
焚き火にかけた鍋から立つ湯気が、肉の甘い匂いを運ぶ。
串焼きの脂が火に落ちて、じゅっと弾ける音がした。
「今日は『鶏もも肉のスープ』と『鶏の串焼き』だよ。葉野菜とネギも取れたから、合わせてみた」
「待ってましたー!」
クラウディアが即反応して、空中で小さく踊る。
「おいし〜」
天の頬が、ほんのり緩む。
「デカシャモ、ほんとクセないな」
衛が頷き、
「いくらでも食えそうだ」
善が笑う。
迷宮の奥にいることを、いまだけ忘れられる時間。
そして――“免疫”の恐怖も、焚き火の輪の中では少しだけ薄まる。
食後は簡易スチームサウナで汗を流し、団欒。
勇希はその傍らで燻製の準備をしていた。煙の香りが、明日への保存になる。
善がぽつりと口を開く。
「新しい陣形、陣形・前衛四重奏……上手くいってるよな」
「ああ」
衛が頷く。
「他にも試せそうなの、ありそうだよな」
天の目がきらっと光る。
「うん。組み合わせ次第で、もっと幅出せそう」
迷宮は、確かに牙を剥いている。
しかも学習し、慣れ、適応してくる。
――でも。
彼らもまた、変化し続けていた。
次は、十一階層。
呼吸するダンジョンの“免疫”が、本気でこちらを殺しに来る。
善は焚き火の明かりで、短くメモを残した。
火が爆ぜる音の合間に、ペン先が紙を引っ掻く音だけが、小さく響いた。
善のメモ
Y
・超級ダンジョン地下1〜5階を陣形・前衛四重奏で進行
・ダンジョン内で「呼吸」の風が発生し、敵配置・構造が変化
・フロストゴーレム出現 → 陣形・無限四重奏へ切り替え
・勇希の氷結拘束はダメージ無効でも足止めとして有効
・各自の攻撃連携で撃破
・善が「ダンジョンが戦闘内容に合わせて変化する=免疫機能を持つ」仮説を立てる
・地下10階でキャンプ
役割をシャッフル(罠:善&天/採取:勇希&衛)
デカシャモを素材に食事・燻製作成
・陣形・前衛四重奏の有効性を確認
⸻
W
・超級ダンジョンは固定攻略が通用せず、戦い方への適応・対策が必要
・ダメージが通らなくても、拘束・遅延などの役割分担が重要
・陣形変更が状況対応の鍵になる
・シャッフルにより、全員が複数役割を理解できるメリットがある
・パーティの連携と余裕は確実に向上している
⸻
T
・「呼吸」発生時を前提とした攻略方針を立てる
・今後、さらなる陣形バリエーションを検討する流れに
・11階層以降でダンジョンの変化パターンを見極める
・超級用の役割再定義(足止め・削り・決定打)を意識する
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
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「テンプレ外し、嫌いじゃない」
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