13話 天という少女①
勇希の料理で満たされた空気は、ゆっくりと温度を下げていた。
味噌と出汁の香りがまだ鼻の奥に残り、椀の底に残った具を箸でさらう音だけが、静かな余韻の中に溶けている。
その中で――
天が、そっと手を挙げた。
「……ねえ」
その声は大きくなかった。
けれど、なぜか全員の耳に、はっきりと届いた。
「私、善くんたちのパーティに移籍したい」
一拍。
椀を置く音も、椅子が軋む音も、誰の呼吸も――
その瞬間だけ、世界が止まったように感じられた。
善は驚きで目を瞬かせ、衛は箸を持ったまま固まり、勇希はゆっくりと天を見た。
言葉より先に、空気が張り詰める。
天は、視線を逸らさず続けた。
「……いいよね、涼介先輩」
名を呼ばれた涼介は、少しだけ目を細めた。
その表情は、驚きよりも、どこか納得したようなものだった。
「そらまあ……ええよ」
肩をすくめ、ふっと笑う。
「パーティ移籍なんて、珍しい話やないしな。
行ってきなさい、天ちゃん。キミは――強い子や」
天は、一瞬だけ唇を噛みしめてから、小さく頷いた。
「ありがとう。……先輩、槍の教え方、上手かったよ」
「はいはい」
涼介は照れ隠しのように手をひらひら振る。
「ほな、元気でな」
別れはあっさりしていた。
だが、その背中には確かな信頼があった。
形式上の手続きに問題はない。
ソレスティアとルナリスのギルドは中立で、移籍自体は珍しくない。
それでも――この一言は、天にとって覚悟の表明だった。
「じゃあ……これからよろしくね、天」
善が一歩前に出て、手を差し出す。
天は、その手を見つめたまま、ほんの一瞬だけ間を置いた。
それから、しっかりと握り返す。
「よろしく……善」
その手は、思っていたよりも温かかった。
⸻
ギルドを出ると、夕方の風が肌を撫でた。
石畳の隙間から立ち上る土の匂いと、遠くの屋台の香ばしい匂いが混じる。
「さて」
善が歩きながら切り出す。
「上級ダンジョンに行く前に、天の『気』を目覚めさせたい」
迷いのない声音に、全員が自然と頷いた。
「出戻りになるけど、一度ソレスティアに戻ろう。
ハーネスさんのところだ」
「君たちの強さの秘密……『気』か」
新が腕を組み、考え込む。
「俺も一緒に行っていいかい?」
「もちろんです」
善は即答した。
「新先輩が来てくれるなら心強い」
こうして再び馬車を手配し、一行はソレスティアへ引き返した。
⸻
猟師小屋の前に着くと、木の軋む音と一緒に、懐かしい声が響いた。
「おう、久々だな。……なんだ、ずいぶん賑やかになったな」
「ご無沙汰してます、ハーネスさん」
善が頭を下げると、その肩越しから――
小さな影がひょこっと顔を出した。
「善ったら、可愛い子連れてきたじゃない」
「……妖精!? 初めて見た……かわよ……」
天の目が、ぱっと輝く。
クラウディアは満足そうに胸を張った。
「ふふん。見る目あるじゃない」
「よし」
ハーネスが手を叩く。
「じゃあ始めるぞ」
空気が、少し張り詰めた。
「まずは……そこの新からだ。手を出せ」
「はい! お願いします!」
新が差し出した手を、ハーネスが握る。
――次の瞬間。
「……ぐあああっ!?」
新の全身が跳ね、膝から崩れ落ちた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「問題ない」
ハーネスは淡々と言う。
「レベルを上げすぎてから『気』を刺激すると、こうなることがある」
天は思わず一歩後ずさった。
「……今の見た後でやるの、正直すごく怖いんだけど……」
「大丈夫だよ」
善が即答する。
「俺たちの時は筋肉痛で済んだ。丸一日、地獄だったけど」
「安心して、天ちゃん」
クラウディアが肩に止まり、耳元で囁く。
「私がついてるから。男子どもには指一本触れさせないよ」
天は、胸いっぱいに息を吸い込み、吐いた。
「……お願いします、ハーネスさん」
握手。
――何も起きない。
沈黙。
「……ほう」
ハーネスの目が、僅かに見開かれた。
「これは驚いたな。
キミは、この中の誰よりも『気』の才能がある」
「え……?」
天は拍子抜けしたように瞬きをする。
「今日はこのまま続ける」
「両手を合わせて、念じろ」
言われた通りにすると、空気がわずかに震えた。
「見えるな。オーラが」
「……うん。色が……」
淡い光が天の周囲に揺れ、感覚が研ぎ澄まされていく。
「強化型、放射型、精神型……全部反応してる」
「さらに『問い』だ」
「力が欲しいか」
「……欲しい」
「守りたいか」
「……うん」
「知りたいか」
「……全部」
その答えに、ハーネスは小さく笑った。
「バランス型だな。善と同じだ」
天――魔法戦士。
万能型。
ブースターランスを手に、前線で戦いながら即応魔法を叩き込む存在。
「おおーー!!」
善、衛、勇希の声が重なった。
「ただし、今日は安静だ」
ハーネスが釘を刺す。
「ギルド宿舎まで歩くくらいにしておけ」
夕暮れの街を歩きながら、天は自分の手を見つめた。
新しい力の余熱が、まだそこに残っていた。
いよいよ――
上級ダンジョンだ。
善のメモ
Y
・天がパーティに加入
・ソレスティアへ戻り、ハーネスさんのもとで『気』の覚醒を実施
・新先輩と天の『気』適性を確認
W
・天は強化・放射・精神の三系統すべてに適性を持つバランス型
・天は詠唱を省略し、イメージを即座に現象化する戦い方が向いている
・新先輩はレベルを上げすぎた状態で『気』の覚醒を行い、負荷に耐えきれず倒れた
・『気』の覚醒はレベルよりも「質」と「タイミング」が重要
・自分たちの強さはやはり、この大陸の常識(レベル制)とは別物と再確認
T
・ギルド宿舎で天の回復を待ちつつ、上級ダンジョンへ向けて今後の作戦を立てる
・新先輩の回復は時間がかかりそうなら上級ダンジョンは4人で挑む準備
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