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第13話「王都、石畳の匂い」

 王都に近づくほど、空の色は変わっていった。

 灰色の雲がゆっくりと流れ、遠くに黒鉄の尖塔が突き上がる。環状に巡らされた城壁、その内側に折り重なる屋根。馬車の窓から吹き込む風は、干した布と焼きたてのパン、鍛冶の火の匂いを運んでくる。


 「……大きい」

 アリシアが思わず息を呑んだ。

 カイルは顎を上げ、城門の彫像を見上げる。

 「門番の槍の構え、隙がない。ここの訓練は相当だ」

 リーナは静かに目を細めた。

「魔力の流れが街道から城へ向かって吸い込まれてる……大規模な結界ね」


 特使の馬車は検問をすり抜け、城下地区へ滑り込んだ。石畳に車輪が叩きつけられるたび、俺の膝にはじんと衝撃がのぼってくる。

 王都――初めて踏む場所。胸の奥が落ち着かず、ノートの背表紙を指でなぞった。


 「到着だ。今宵は迎賓館で休め。謁見は明朝、第一刻だ」

 特使は抑揚のない声で告げ、馬車からすっと降りた。


 迎賓館の扉が開くと、香油の匂いと暖かい空気が流れ出た。磨き上げられた床、壁には織物、廊の先に白い花の生けられた台。

 侍女たちが無言で頭を下げ、俺たちをそれぞれの部屋へ案内する。


 荷を置き、寝台の縁に腰を下ろす。

 ――落ち着け。ここで浮き足立てば、飲み込まれるのは俺たちだ。


 ノックの音。扉を開けると、黒衣の男が立っていた。年の頃は三十ほど、瞳は静かだが獣のように油断がない。


 「王都監察官ギデオンだ。非公式の挨拶だよ、継承者殿」

 「……噂、早いですね」

 「王都とはそういう場所だ。噂は風より速いし、風より冷たい」

 ギデオンは視線を滑らせ、室内のノートに一瞬だけ留めた。

 「忠告をひとつ。明日の謁見で“未来を書き換える”力の実演を求められても、安易に応じないことだ。君の背後に座るのは陛下一人ではない。見えない傘の下に十の影がいる」


 言い終えると、彼は影のように去った。

 扉が閉まる音がやけに遠い。

 ――十の影。貴族、宰相府、学術院、軍務局、教会、商会連合……想像の中だけでも敵は増える。


 夜半、四人で小食堂に集まった。

 「監察官って、味方?」アリシアがスープの匙を止める。

 「少なくとも“秩序”の味方だろうな」カイルが短く答える。

 リーナはパンを千切りながら俺を見た。

 「明日、力を見せるの?」

 「……線引きが必要だ。『過去の強化』は示す。『未来の改変』は、切り札にしておく」


 全員が頷いた。結論はそれしかない。

 席を立ちかけたとき、廊の向こうで衣擦れの音がした。艶やかな紺のドレス、金糸の外套。十四、五ほどの少女が、こちらをじっと見ていた。侍女も騎士も連れていない。

 「失礼。あなたが“記す者”?」

 声は澄んで、どこか挑む調子を含む。

 リーナが微かに目を剥いた。

 「王女殿下……?」

 少女は口元だけで笑った。

 「肩書きは明日。今夜は一人の好奇心として聞くの。あなたの記録が、民の明日を救えるのかどうか」


 俺は一瞬だけノートに触れ、閉じた。

 「救えるように使う。それが俺の選択です」

 「選択は常に代償を伴うわ」

 王女は踵を返し、香の残り香だけが廊に漂った。

 代償――その言葉は、寝床に入っても胸骨の内側をこすった。


 翌朝、王城。

 白大理石の回廊、金糸の幕、淡い光を跳ね返す床。謁見の間の扉が開くと、冷気にも似た沈黙が肌を撫でた。

 高御座、その左右に列をなす諸侯。手前の列に学術院の白衣、軍の紺、教会の灰。

 陛下は年老いていたが、瞳の芯は凍るほど澄んでいた。


 「遠路、ご苦労であった。継承者とやら」

 「冒険者リオ、謁見に預かります」

 声の余韻が消える前に、宰相が半歩進み出る。細身の体に毒を包んだような笑み。

 「陛下。されば、噂の力――適切に国家のために用い得るか、ささやかにお試しを」


 来た。

 俺はノートを開く。ページが薄く光り、ざわめきが波打つ。

 「『過去の事実を強める』力を示します。先頃の北方ダンジョンに関する記録――ここに、『石像の関節は脆弱である』と記しました」


 学術院の老博士が手を挙げ、従者が台車に石像の腕を載せてくる。

 「この模型は昨晩、我らが複製したものだ。脆弱であるとの報告は確認済みだが――おや?」


 俺が一行を書き足す。

 ――“その脆弱は、より顕著に”。

 音もなく、石の継ぎ目に髪の毛ほどの亀裂が走り、粉が零れた。

 広間が微かに息を呑む。軍務局の将が身を乗り出した。

 「戦術運用に価値あり――!」


 宰相が指を鳴らす。すぐさま別の台車が押し出された。壺、書物、農具、兵糧。

 「では、穀倉の記録は? 税収の見積りは? 敵軍の布陣は? 記せば国家は強くなる――そういうことだな?」


 喉の奥で何かが軋んだ。

 俺は視線を王へ向け、ゆっくり首を振る。

 「“過去の強化”は偏向すれば災いにもなる。飢える村の記録を忘れ、都の酒宴だけを強めたなら、それは……崩壊です」

 静寂。

 王の口元が僅かに動いた。笑みとも、皺とも取れる影。


 宰相の笑みは崩れない。

「ならば次。『未来』は――」

 ギデオンの忠告が耳の奥で鳴った。

 俺はノートに指を置く。

 「未来については、国家の安寧を害する恐れがある。王命においても、今ここでは行使を控えたい」

 場の温度が一気に下がる。数名の貴族が眉を吊り上げ、教会の司祭が俺を観察するように目を細めた。


 沈黙を割いたのは、澄んだ声だった。

 「陛下。昨夜、私はこの者に問いました。『民の明日を救えるのか』と。彼は『救えるように使う』と言いました。ならば、その意思をまず信じるべきです」

 王女が一歩進み、裾が白光を引く。

 王は掌を軽く振った。

 「よい。今日のところは下がるがよい。学術院は“記録院”を設け、継承者の記録が公に監査される仕組みを定めよ。宰相、過度な介入を慎め」

 「御意」


 謁見は終わった。

 退き際、列の端で白衣の若者がこちらを見た。白銀の髪、涼しい目元。胸元の徽章は学術院の“記録学”席次第一。

 「君がリオか。僕はセズ・ハルト。記録院の暫定監。王都での君の“記し方”を拝見する。――楽しみにしているよ」

 楽しみ――その語尾に、薄氷の匂いがした。


 迎賓館に戻る道すがら、肩の力が抜ける間もなく、城壁の陰から視線が刺さった。

 「尾行されてる」アリシアの囁きに、俺たちは足を緩めず歩を刻んだ。

 角を曲がる。露店の喧騒。果物の甘酸っぱさ。尾は二、三に増え、やがて消えた。

 ギデオンが先に部屋で待っていた。

 「よく持ちこたえた。だが次は来る。学術院、宰相府、教会、騎士団、そして――商会。『記録』は貨幣にも剣にもなる」


 夜。

 全員が寝静まったあと、窓から冷たい風。机の上のノートが、誰の手も触れていないのに音もなく開いた。

 闇の表紙から、細い光が一条。白紙に黒い文字が浮かび上がる。


 ――《夜明け、王城地下の記録庫へ。一人で来い。

  同じ“継承者”より》


 心臓が一拍、強く打った。

 同じ――継承者。


 唇を噛み、手帳を閉じる。呼吸を整え、寝台の脇で剣帯を確かめた。

 石畳の匂いに、夜の冷たさが混じる。

 王都は眠らない。記す者の呼び声も、眠らせてはくれない。


 ――行くしかない。これは、俺の選択だ。

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