〝円刃連鎖〟
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「くそ……それにしても異端審問に吸血鬼がいるなんて、本末転倒というか……教会はなにをやってるんだか……」
吸血鬼はジズに襟首をつかまれ、ぶら下げられたままぶつくさ言った。
抵抗を防ぐため両腕を縛り、ついでに切り落とした足も止血だけはしてやったが血が足りないのか顔は青い。そのわりに、舌はよく回った。
「あとどれくらいで着く?」
ジズが問うと、機嫌を損ねないようにか慌てて吸血鬼は答える。
「もう間もなく、この坂を越えたところの、炭焼き小屋に拠点を構えている」
「そうか」
「ちなみにどこに流すつもりだったの? その子どもたち」
興味と、追うべき《奴》に繋がる情報を求めてだろう。ウィルヘルミナが問う。
吸血鬼は斜め上を見つめながら、思い出すように言った。
「最終的な買い手は、人間牧場だ。そこの業者が、ドナウ川沿いにある交易地に来るんでね。各地で俺たちは人さらいをやって、そいつに売りつけてる」
嫌な施設の名が出たので、ジズは眉間に皴が寄る。娘をさらったなら、『交配』も目的だ。
吸血鬼にとって眷属の血は延命の薬だが、他者の血液は愉悦のための美酒である。連中にはブロンドの女しか吸わないとか、色白で肥えたのだけ好むとか、御大層な趣味を持った奴が大勢居る。そうした連中が好みの血を持つ人間を飼育するのが、人間牧場という場所だった。
人間牧場に対してなにも思わないのか、人でなしのウィルヘルミナは軽い感じで男に返す。
「ドナウの交易地っていうと、《悪魔の十字路》ね。私の得物もあそこで仕入れたけれど……人身売買もあったのね、あそこ」
「国境近くの土地なら、ザラにあることさ。なんなら娘を売りに来る親だってごろごろいたね」
「ハ。そういう輩は生活苦でしょうよ。あなたは人を売って得たお金でなにがしたかったの? 生きるだけならどうとでもできるでしょうに」
「ユージン、俺の主は、爵位を買って領主になりたいって言ってた」
まあ適当に遊んで毎度使い果たしてるから目標にはいつまで経っても届かないがね、とつづけて笑う。
やがて坂を越えたところで、吸血鬼は視線をふいと横にやった。
「着いたぜ。そこの小屋だ」
視線の先には、森の中に建てられた小屋がある。おそらく使われなくなって長いのだろう、古びて傷んだものだが、天井も高く中は広そうだった。
「もう俺を殺すかね?」
開き直っているのか、吸血鬼は諦め半分の顔で言う。信用しきれない表情だったので、「ここに居ると確証を得てからだ」とジズは返す。
ウィルヘルミナと共にドアの横に並び、吸血鬼を片手にぶら下げたまま呼吸を整える。落ち葉を踏みしめ近づく音くらいは向こうも察しているはず。敵が待ち構えている可能性を考慮して、挑まねばならない。
数瞬して、互いに息が揃ったタイミングで蹴り開けた。蝶番が跳ねて金具が転がり飛ぶ。左右の部屋の角と頭上にはなにもいないのを即座に確認する。
明かりもついていない暗い室内の奥に、息をひそめて嗚咽をこらえたような音がした。
闇に目を凝らす。金属製の檻が、意外に広い小屋の最奥にあった。
「……たっ、助けが……?」
檻の中で身を寄せ合う人々のうちひとりが、恐々とジズたちの方に歩み寄る。
その十代前半と思しき子どもはジズの手に吸血鬼が縛られているのを見て、怯えつつも歓喜し、また怯えた。
「それは、ヨーゼフ……! やった、助かる! でも奴がすぐに戻ってくるかもしれない、早く! 早くっ、たすけてぇ!」
ガチャガチャと、子どもは檻を揺さぶる。どうやらこの眷属吸血鬼はヨーゼフと言うらしい。
子どもは怯えようがひどく、惑乱に近い。さすがにこの子の前でヨーゼフを殺すのはまずいと思い、ジズは檻の人間を解放するのを優先した。ヨーゼフをウィルヘルミナに投げて預ける。不満そうに、彼女は受け取った。
そして檻に近づいていくジズの背を。
ウィルヘルミナはしばし、見ていたのだろうが――
「待って眷属! 『六人』いる!!」
叫びに反応して足を止める。
バッ、と血が飛んで視界が暗くなる。
右頸動脈と喉仏を灼熱の痛みが襲った。
「チッ。浅いな」
つぶやくのは目の前に居た子ども。襤褸を纏い、伸び放題の茶髪を振り乱し、爛爛と輝く赤い目をした少年。
暗がりであることと、よもや監視者が檻のなかに居ようとは思慮の外だったという常識の隙。まんまとこれに引っ掛かったジズをあざ笑う彼は、檻からこちらに右腕を伸ばしていた。
異様なリーチを持つその腕は、再生力にものを言わせて関節を外し腱や筋を無理やり引き延ばしている。この腕を振り抜き、立てた中指の爪でジズの首を抉ったのだ。これまた慮外の、思考の隙を衝く一撃。
などと判断をする間にもこの主吸血鬼は鍵を素手で破壊して外に出てきている。狙いは――
「ユージン! そいつも眷属だ!」
「オーケー」
――ヨーゼフの指示により、ジズに定まる。
頸動脈へのダメージで脳の血流が不足して生まれた隙。頸椎をやられなかったとはいえ、回復するまではまだ戦えない。
首の再生中で固まっているジズに、ユージンの爪が振りかざされた。
「……だらしのない男」
ウィルヘルミナの呆れ声と共に、シャオン、と空気が切り裂かれる。
爪がジズの首に触れる寸前で、ユージンが鋭く後退した。自分に攻撃が迫るのを察知したのだ。
ジズを迂回して、円弧の軌跡を以て襲い掛かったその得物。ウィルヘルミナがマントの内に隠す武装。
じゃらん、と鎖が鳴った。
シャオン、と回転の音がした。
それは掌大の、輪の形状をした幾数十枚の刃たちが奏でる音だ。
縁が薄く鋭く研ぎ澄まされており、本来は投擲して扱う東洋の武器――チャクラム。
その、真円と楕円を交互に連結した、円刃連鎖。
掴める部位が少ない形状であることと特異な軌道を描くことで取り扱いの難易度が異常に高い、鎖分銅の類型。振るうと鎖の摩擦によってチャクラムが回転して空気を裂き、シャオン、という独特の高音を発生させる。
かつて彼女が《悪魔の十字路》で購入してきた、交易地ならではの交雑武器だった。
「妙な武器を使うね、おねーさん」
少年の顔で、けれど年経た邪悪さの滲む表情で、ユージンは言う。
引き戻した円刃連鎖を自分の横へ鞭のように叩きつけながら、ウィルヘルミナは返した。
「対吸血鬼戦では、用法が明快な既存武装ではダメージを与えてもすぐ再生される。こうした異常な武器ほど、軌道も読まれにくく深手を負わせやすくなるものでしょうよ」
だからこそウィルヘルミナはこのような武装を選んでいる。極力その外見特徴を晒さないよう、分厚いマントに隠していた。
じかにその武装を晒すのは――殺す相手にだけと決めている。
この気迫を受け取って。ユージンは無造作に檻の鉄格子を数本折った。
「めんどくさそうな武器だね。ならこっちも距離をとって戦おうか、なっ!」
指の間に挟み、投げ矢のように一気にぶん投げる。ごリゴき、と響いた鈍い音はまた関節を外し伸ばした音だろう。
ジズも回復が間に合い、なんとかかわした。ウィルヘルミナも円刃連鎖を振るって弾き、金属音が辺りを引っ搔き回す。
「ごぇっ、」
けれどユージンの狙いは攻撃ではなかったらしい。ウィルヘルミナが横に投げ出したヨーゼフが、首をかすめて襟首に格子を喰らい、その勢いですっ飛んで背後の壁へ磔にされる。
状態はひどいが、ある意味でウィルヘルミナの間合いを離れたとも言える。いまのは攻撃ではなく、眷属を殺させないことが狙いだったのだ。
「あとで下ろしてあげるよ、待ってなヨーゼフ」
こきこきと指を鳴らし、ユージンはまた格子を数本折って手にした。奥に居る五人の子どもたちは、怯えきって動けそうにない。逃げろと言っても無理だろう。
戦うしかない。ジズは腰の杭を両手に抜いた。短く持ったそれの先端で、ユージンを示す。後ろではウィルヘルミナも円刃連鎖でじゃらりと音を立てる。
ジズは、投擲のために身を沈めながら、ユージンに向かって言った。
「いくぞ」
「来なよ、おにーさん」
振りかぶって、互いに激突が始まった。
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