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僕が死ねば、彼女を殺せる。  作者: 留龍隆
吸血鬼は怪物ではない。

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29/29

明日


 追う者は追われることに気づけない。

『ジョルジェの時にそんなことになったな……』という思い出話を、先日のジズはフリーダと交わした。

 どうやら今回も、そうだったらしい。スピルスドルフはおそらく、ジズとウィルヘルミナのことをずっと狙っていたのだ。そして二人にとっての目的人物であるカミラの元に潜むことで、いざという時襲いかかれるようにしていた。

 最初に抱え起こしたのがウィルヘルミナでなくジズだったなら、そのまま自爆していたのだろう。相手がウィルヘルミナでは主である以上即殺とはいかないので、タイミングを見計らっていたに相違ない。


 二人が復讐を終え、弛緩した瞬間を。

 確実な、瞬間を。


「……ヴィル、ベル……゛ミ……、」

「しゃべらないで」


 名を呼ぼうとして、ジズは怒られた。

 だがしゃべらなければ、意識を保てそうになかったのだ。ちいさなウィルヘルミナの背に負われ、ジズはいまにも意識が落ちそうだった。

 ……カミラやスピルスドルフを巻き込んだ流水から逃れ、二人は坂を上っていく。背後では滝のようなごうごうという流れの音が聞こえてきている。堰を切ったことで流れ込んだ水が、徐々にルナプネを飲み込んでいく音だろう。


 人が通らなくなったことで雑草が繁り、すっかり道でなくなった道を。水に追われて上っていた。

 行く先にあるのは、小高い丘の中腹。あそこまで行けば、おそらく水害には遭わない。

 そしてそこにあるのは――


「開けた場所に、出た。処置するから」


 ――ジズの、もっともよく知る場所だ。

 かすんだ目でも、わかる。もう基礎の、本当に痕跡くらいしか残っていないが、わかる。

 ウィルヘルミナにはわかるまい。カミラとここに来た時、家を焼くまでに間取りをよく把握したとは考えづらいし、一度里帰りをしたあの時は別行動をしていた。

 それなのにここに連れてきてもらうことになったというのは……どういう、めぐりあわせなのか。

 背中から下ろされる。地面に横たえられた自分の身体が軽く感じる。

 視界の中、自分を見下ろすウィルヘルミナと目が合った。


「血を止める。無理やりにでも縫うから、再生力でがんばって」


 じっとりと、彼女の肩や首回りを濡らす液体がある。潰れた、かたちを保てなかったジズの体組織から漏れたものだろう。

 身体が熱く、軽く感じる。

 おそらく腕も、足もすでにない。

 表皮も多くが吹き飛んだのだろう。内臓も、どこかは焦げたか。

 自分の吐息で喉が焼けるようだ。

 把握すればするほど、

 もう。


「ヴィル……」

「しゃべらないで」

「無理、だ……」

「やめて」


 眷属吸血鬼は。

 欠損した部位を再生できない。

 人間よりは遥かに丈夫だし、部位さえ揃っていれば相当細切れでも再生できるだろうが……爆発で各部位は遠く吹き飛んだ上に流水から逃げるため、集めるには時間がなかった。

 ジズは、もう。


「ヴィル……」

「やめて……」

「たの、む……」

「……………………なにを」


 ジズは、ひゅうひゅうというだけになりつつある喉から、声を振り絞った。


「そご、で……死に、たい……」


 目線だけで、家の基礎部分が残る場を、示した。

 ウィルヘルミナは困惑した様子だった。が、すぐに、意図を察したらしい。


「……ここ、あなたの?」

「ああ」


 首肯することすらできず、ため息のような受け答えをした。

 彼女は胸が詰まった様子で、一瞬固まり。次いで、ジズをそっと抱え上げた。

 一歩ずつ、近づく。玄関口の、外との境界まで来る。

 ウィルヘルミナは足を止め、また、泣きそうな顔をした。


「私……」

「……『上がっで、ぐれ』……ヴィル、へ、……ナ……」


 ジズが、許可を出す。ウィルヘルミナは、おそらく肌に感じていたのだろう圧力が解けた。吸血鬼のルールによる他者の領域への侵入を許され、一歩ずつ、家に上がった。

 なにも残っていない。焼け残った石造りだけ見ても、ジズ以外にはなにもわかるまい。

 ジズを抱えたままウィルヘルミナは座り込み、傍にある、石くれを撫でた。

 じっと見て、ジズはつぶやいた。


「……こごに、玄関が……あっ、だ……」

「うん」

「そこ、の、……居間で、夕飯、を……父さん、も、母ざ、……妹……、も……」

「うん」

「こごは、階段、で………………」


 上を、見た。

 あの時は、父と母とが最上段に座り、自分と妹がその二段下に居た。

 天窓からいまにも降ってきそうな、星々を眺めたのだ。

 ……今日の、夜空は。

 百年前と、なにひとつ変わらなかった。

 ジズは涙が流れそうになった。しかし、もう乾ききった身体からは、なにも出てこなかった。

 絞り出せるのは、言葉だけだ。


「……もう……いい、んだ……」

「……なにがよ」

「お前は、自分、をっ……せめ、なぐて、いい……」


 もっと早く、言ってやればよかった。

 許せなかったが、それでも、大事な人になっていったのだ。

 彼女が自分を傷つけることに慣れ過ぎていると、もっと早く気づいてやれたなら。


「ごの、先。お前、が、なにを、選ん……でも……そごに、納得がっ……ぁるなら……。もう、どちらを、選ぶかは、大事じゃ……ない…………」

「うん……」

「僕、は……お前と、お前、の、……正直、な気、持ちと……在るごど、がっ、でぎれば……もう、いい」

「うん」


 意識が混濁していく。

 伝えたい言葉がごちゃごちゃになっていく。

 それでもなにも残せないよりはいい。ひとつ、ひとつ、ジズは吐き出していった。

 ウィルヘルミナはいつまでも、いつまでも、それを聞いてくれていた。

 だんだん、自分の声が遠く聞こえるようになっても。

 彼女はうなずきを返してくれていた。

 返してくれていた、はずだ。

 ……視界のかすみが、いくらまばたきをしても、取れない。

 端から濁ってきている。視野の中央、彼女の金の瞳だけが、まだ捉えられている。

 もう、時間が無い。

 お別れだ。

 ああ。

 もう、自分も、自分に関するものも、なにひとつ残らない。

 そう思うと耐えがたい恐怖があった。

 もう表情もつくれないが。もしまだ表情筋が動くなら、きっとまた情けない顔を晒しているだろう。

 思いつつ彼女の目を見る。

 これが、最期だ。


「……ヴぃ、る……」

「ジズ」


 頬に彼女の両手が触れている。

 夜空が一度視界から消え、影が落ちる。

 かさついて、皮膚の剥がれ下がった唇に、触れるものがある。

 口づけを落としたウィルヘルミナは、穏やかな顔で語りかけてきた。


「……生きてみる。この先も。あなたが、私の中に在るから」


 その、言葉に。

 ジズは、安堵した。



        †



 ――ぜんぶ嘘だった。

 生きてみる、なんて。

 もう、そんな気持ちは、一切なかった。


「…………うぅ、う……」


 動かなくなったジズを抱えて、ウィルヘルミナはうつむいた。

 腕も足も失い、焼け焦げて水分さえ尽きた彼と異なり、ウィルヘルミナにはまだこんなにも残っているものがある。水分は目からとめどなく流れ、手足だって健在だ。

 それでも、ウィルヘルミナには今度こそ、精神的にはなにも残っていなかった。

 だから彼に「私も死ぬ」と告げようかと思った。眷属の血を断てば死ねる身だ、それでいいのではないかと思った。


 でも死の直前の彼の目に恐れを見た。

 自分が、なにも残らない恐怖。

 目的こそ果たしたがそれで終わってしまうという恐れ。

 このままではなにひとつの満足もないまま、死なせてしまうと思った。

 だからウィルヘルミナは、「まだ生きていく」と伝えた。

 だって、彼も。


「嘘、ついてくれたものね……」


 妹を殺してしまったと明かした時、ジズは知っていたと答えた。

 でもそんなはずはない。見える位置ではなかった。先ほど、家の間取りを説明されたのでなお強く確信する。玄関から転がり出たジズの視線からでは、居間の中はほとんど見えない。

 そう伝えた方が、ウィルヘルミナの気が楽になると。そう思ってくれたのだ。

 家族の仇を相手に、それだけのことを思いやってくれるような相手と……この先また百年生きたところで、出会える気がしない。

 ジズ以上に自分とどう在るべきかを考えてくれる人間など、絶対に存在しない。

 そんな人間が息絶えた。

 もう、どうしたって生きていける自信はなかった。

『あなたが死んだら私は、殺されたようなもの』そう言いたかった。

 ジズが最後に言い残した、正直な自分の気持ちというならそれしかない。


 一人きりで生きるには――ただの一夜でも長すぎる。


 ……、

 …………、

 ……それでも。

 彼が憎むべき私を、大事に思ってくれたように。

 痛苦を、それだけではなかったと思えるように。

 生きることを。

 その、手段を。

 ウィルヘルミナなら――『使い尽くす』だが。


「……あなたなら、『選び尽くす』。でしょう?」


 いつか、彼とそんな言葉遊びでぶつかった。

 ああ、こんな細かいことまでまだ覚えている。

 彼が、自分の中に在る。

 だから――まだ、少なくとも明日くらいまでは、生きていけるはずだ。


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― 新着の感想 ―
めちゃめちゃ面白かったです。 たまたま見かけた作品で一気見しちゃいました。他作品も見させて頂きます。 キャラがみんな魅力的ですね。短い登場キャラでも一人ひとりの思いが見えて良かったです。
今作も完結おめでとうございます! 二人が和解できたので、身構えていたよりハッピーエンドで安心しました。 留龍隆さんの作品はただの鬱展開で終わらないので、絶望がいいスパイスです。 ウィルヘルミナとジ…
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