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僕が死ねば、彼女を殺せる。  作者: 留龍隆
ルール:吸血鬼は老いない。

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七日間の、死闘の果て


       †


 追って、殺して、殺された。

 カミラははじめのうちあしらうような動きであり殺す気はなさそうだったが、次第にウィルヘルミナに合わせ本気で殺しにかかってきた。

 カミラの適応力と戦闘勘はすさまじく、その後どんな吸血鬼に会っても「カミラほどではない」とウィルヘルミナは感じており、実際その見立てに間違いはなかった自負がある。


 ともあれ、殺意で塗り固めた時間は気が遠くなるほど引き延ばされた。

 雪原の中を追いすがり、ウィルヘルミナは途中拾った錆びついた斧で斬りかかる。殺される。へし折った枝による杭で突き刺しにいく。殺される。荒縄で首を絞めにかかる。殺される。すり潰した毒草を塗り込んだ手で目玉を抉ろうとする。殺される。


 塗り重ねられる殺害と殺害。

 母の親友だった、自分にとっても肉親同然だった相手との殺し合いは精神的に削られた。

 カミラの側もそれは同じであるらしく――そのことがまた、一層、苛立たせる――何度となく「やめよう」「無駄だよこんなこと」と諭された。


 しかしもはや合理ではないのだ。己の絶望がなにであるか、母にとっての絶望がなにであったか証明するための戦いであり、カミラを殺すことだけが目的だった。無駄というならもう、ウィルヘルミナの吸血鬼としての生そのものが無駄なのだ。

 けれど、言って通じる相手ではない。カミラはもうずっと、きっとウィルヘルミナが生まれる前から、そのように生きている。彼女の人生は最初から最後まで、なにかを得て・それを維持する人生なのだ。


 そのように考えながらまた挑んで、血と臓物を散らす。

 もう、残る時間はあとわずかだった。

 六度の日を見送り、七日目の夜が訪れている。カミラがウィルヘルミナよりどの程度早く転化したかは不明だが、少なくともウィルヘルミナの転化は夕食時のことである。その時間より遅いということはあり得ない。


 あと少しだった。

 いまやカミラを殺しきることだけが、ウィルヘルミナの唯一の希望だった。

 けれどその希望は、儚くも閉ざされる。

 山を下りていくカミラの行く先に、一軒の民家が見えた。小高い丘の中腹にある、二階建ての小さな家である。

 ウィルヘルミナの本能にはすでに吸血鬼のルールが刻まれている。他者に所有された領域である家の中には、住人の許可がなければ立ち入ることができない。夜半であるいま家の周囲に人影はなく、カミラが眷属に仕立て上げることのできる人間はいない。

 だから、大丈夫だと思った。残り時間がわずかだという気のゆるみもあり、ほんの少しだけ、安心してしまった。

 次の瞬間にカミラは窓に飛びついている。


「助けて……助けて! 熊が!」


 彼女が得ること・維持することにかける執念を、甘く見ていた。

 カミラは己の命の維持のため、芝居を打っていた。ウィルヘルミナを殺しつづけたことによる返り血を、あたかも自分の流した血であるかのように振る舞う。

 カミラが窓越しに向き合う幼い娘が、青い顔で震える。その後ろに居た男性が、慌てて奥の部屋から銃を取ってくる。そして娘の母親であろう女性が、善意から窓を開ける。


「早く奥へ、――『入って』!」

「だめ!!」


 ウィルヘルミナの制止は間に合わない。笑みを浮かべたカミラは窓辺から躍動して室内に飛び込み、母親の首をひねり潰しながら娘を奪い取った。


 眷属を、生み出そうとしている。


「お、おまえっ!」

「ありがとうね家主さん。助かったよ」


 凄絶に笑うカミラは、母親を足蹴にして娘を盾にしながら、猟銃を持ってきた一家の父親に詰め寄る。一歩ごとに彼の苦悶が増していくのが見える。なまじ散弾銃であったために、娘を巻き込まずに撃つことはできなかったのだ。

 撃てずに歯を食いしばった彼の、引き金にかかる指をへし折りながら散弾銃を奪い取った。引き金を絞る。


 一発。腹部に食らって臓物をこぼれさせる彼を前に、カミラは一息ついていた。

 彼女の左腕で、ぬいぐるみのように抱えられた娘は父母の死に頭が追い付いていない。震えることさえできていなかった。


「カ……、ミッ、ラァァァァァ!」


 自分のため平然と他者の命を奪ったこの女を、もうウィルヘルミナは人間と認められなかった。存在を、この世から消してやると誓った。

 駆け込みながら、窓辺にあった暖炉に刺さる、火かき棒を引き抜く。


 同時に、視線をめぐらした。足元。リビングの床を覆うカーペット。カミラと娘の足も、ここに載っている。

 破れかぶれに見せかけることで、足元を掬ってから火かき棒を叩き込むという戦法を隠す。まだカミラは娘を眷属にできていない。ここが最後の勝機だ。

 そう考えつつ走り、火かき棒を振りかぶってから――勢いよく屈んでカーペットの縁を握る。

 思い切り天へ向けて拳を突き上げ、ひっぺがす。

 幕のように持ち上がったカーペットの向こう――カミラは冷静に身をかわしている。


 即席の狙いなどものともしない。

 自己の生の維持のため、彼女は最適解を出していた。

 だが……腕の中に居た娘は? どこだ?

 そのとき、自分の頭上から影が降ってくるのを感じた。

 カミラが娘を投げ飛ばし、天井に叩きつけていた。次いで、自分に散弾銃の銃口を向ける。


 選択を迫られた。

 落ちてくる娘を殺すか、殺さないかの二択。


 眷属候補を殺せばカミラはもう眷属をつくれない。火かき棒は容易く娘の喉に届く、殺すのはじつに簡単だ。あとほんのわずかにカミラを足止めすれば、殺しきることができる。

 けれど、殺すのか?

 なんの罪もない娘を。

 自分の、復讐のためだけに?

 ――この一瞬の迷いが、すべてを決した。

 リビングに入ってくる誰かが、ドアを開く音がした。

 ほかにまだ、住人が居たと知った。カミラの銃口がそちらを向く。

 ウィルヘルミナは住人を庇うよう、身を投げ出した。

 容赦なく、カミラの散弾銃に残っていた最後の一発が空へ迸る。

 ウィルヘルミナの脇腹をかすめ、後ろに居た少年を弾き飛ばした。

 肉を抉られた痛みに顔をしかめ、肩越しに顧みる。玄関横のガラスを突き破って屋外へ倒れていった彼の腹部は熟れた果実のように裂けており、明らかに致命傷だった。


 そしてまた、このとき。

 被弾したウィルヘルミナが激痛で反射的に動かした腕の軌道が、最悪の結果を示した。

 目の前に降ってきた、娘の首を、

 火かき棒の先端が、へし折っている。


「そんっ、な…………」


 もう声にもならない。状況は最悪への筋道を辿っており、もうすべてがどうしようもなくなっていた。

 カミラが笑う。

 先ほど自分が弾丸を撃ち込んだ……けれど腹部へのダメージであったためまだ息のあった、父親の男にまたがっていく。


「残念だったね。本当に惜しかったよ、ミナ。でもこれでおしまい」


 カミラは自身の口の端に人差し指を突っ込んで、真横に引き裂く。

 文字通り耳まで裂けた笑みのまま、カミラは父親の男に口づけし、文字通り相手の唇を貪った。ちぎれた唇からこぼれた血潮で『血の供与と交換』が成され、男の唇と腹部が再生する。

 眷属と化した。

 つまりカミラの命も、延長された。


「……うあ、あっあっっ、あああああああああぁああああああああぁぁあアアッッッ!」


 そして生き残った父親が絶叫する。

 自分が眷属吸血鬼と化した事実を本能に刻まれ、妻と娘と息子が血の海に沈んだのを見て、精神が耐えられなくなったに相違ない。

 家族の喪失、孤独の極みに己が居ると知ったのだ。

 ばたばたっ、と脚をもつれさせながら台所の奥に駆け込む。


「あー、あーあーあーあーぁっ、ぉごがぷッ、ぉぶぉ、ぁがゴぉっ、……ぉォ、ぉ、オ……」


 止める間もなかった。

 見えないキッチンの物陰からどぷどぷと流れ来る血液を見て、ウィルヘルミナは奥歯を噛み締める。

 この一家の父親は現実の辛さに耐えかね、自ら死を選んだ。

 刃を喉に突き立て、再生力に抗いながら自力で頸椎を切断したのだ。只人が死ぬより遥かに苦痛を伴う方法を、それでも選んだ。どれほどの痛苦が彼の精神を苛んだか、想像に余りある。


 そうさせたのは、ウィルヘルミナとカミラだ。

 こんな事態を、自分が引き起こしてしまった。

 また七日七晩、追わねばならない。

 けれどウィルヘルミナにはもう時間が残されていない。


「ぅ……かッ、ぉぇ……」


 …………先ほどからひどく、喉が渇く。えずいて、ウィルヘルミナは苦しんだ。

 吸血衝動に襲われて、荒く浅い呼吸が都度喉笛を灼熱で焼くような痛みを生んでいる。

 ひどい火傷に見舞われたひとがなによりも水を求めるような、そのような辛さが身の内から燃え滾っている。

 これか。

 これ、なのか。

 この飢餓感が、吸血鬼の暴虐の原因。人類から鬼と忌避され、共に生きることができない怪物と判じられる理由。


「終わりだね。私もさっき経験していたから、わかるんだよミナ。その状態になったらもう、血のこと以外なにも考えられないだろうね」


 カミラの声が遠い。

 血、血、生き血が欲しい。

 こう思うにつれ、剥がれ落ちていった理性の隙間から、自分の諦念があふれ出す。

 ああ、もう戦えない。もう殺せない。

 そも眷属の喪失で再生力が落ちたといっても、そもそもウィルヘルミナがカミラに致命傷を与えられたことはこの逃避行でただの一度もなかった。しつこさと耐久力で食い下がっただけで、カミラを殺せるという段階まで至ることはまるでなかった。

 眷属をつくらせないという唯一の勝機を失っては、もはやどうにもならない。

 この絶望を表情から読み取ったか、余裕そうにカミラは言う。


「あーあ。初めての眷属も失くしたし、私は次の眷属を探すよ。じゃあねミナ。ローラを失わせてくれたこと、忘れないよ。あなたさえ居なければ、きっとあの子は私を選んでくれたのにね……」


 この期に及んで一方的な感傷を述べつつ、カミラは姿を消した。


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