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僕が死ねば、彼女を殺せる。  作者: 留龍隆
ルール:吸血鬼は老いない。

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24/29

閉ざした記憶


        †


 街から遠い、暗い洞窟の中で朝日が差し込むのを見る。

 今日は七日七晩以内に眷属の血を吸うルールを遵守するための、約束の日である。

 この三十四年間、毎週、前日になるとウィルヘルミナは不安だった。

 もし明日、決めた場所にジズが来なければ――それだけで二人はおしまいである。眷属の血を断ったウィルヘルミナはルールの呪いに蝕まれて不死性を失い果てるし、呪いは血と命を共有するジズにまで伝染する。主の死は眷属の死であり、そうなればジズは永遠に目的を果たせない。


 だから必ず来ると、そう思ってはいるものの。

 自分の生が無為なものだと感じたら、いつかジズだって自分の命を投げ捨てるかもしれない。


「……、」


 だとしても、なにも言えない。ウィルヘルミナは彼の復讐より彼の命を優先したのだ。

『もうこれ以上、彼からなにも失わせてはいけない』。

 その考えがなにより彼を傷つけると理解していたのに、結局その場になってウィルヘルミナは、彼を失うことに耐えられなかった。


 ……あのとき。カミラの人質にされたジズを見て、ウィルヘルミナは憎悪を上回って恐怖した。


 自分が傷つくことは怖くなかった。死を恐れずに済む主吸血鬼の身だ、腹を裂かれようと頭を割られようと――フリーダの技だけは、もうごめんだが――耐えられた。散弾銃の前に飛び込むことも怖くはなかったし、あそこでカミラを仕留められるならほかのすべてを擲ってもよかった。自分が傷つくことは、常に織り込み済みだった。


 けれど、ジズだけは、だめだった。

 それはあの日決めた生き方に反するし、その生き方の中でウィルヘルミナは変わってしまった。変わってしまった彼女にとって、ジズを失わせるわけにはいかなかった。

 結果、彼自身から『自分にはなにも残っていない』との言葉を突きつけられ、愕然とする。

 自分のエゴで、ウィルヘルミナは彼から、最後に残った命の使い道さえ奪ってしまったのだと。


「…………それでも……」


 湿った洞窟の中、ウィルヘルミナは膝を抱える。

 死なせたくなかった。死んでほしくなかった。

 すべてを奪った元凶たる身で願ってはいけないと思いつつ、彼女は彼に縋っていた。

 生き方を決めたあの日から、彼女はずっと、彼のことだけを思っていた。



        †



 すべては、ウィルヘルミナの母・ローラの命をカミラが奪ったことからはじまった。


「なにをしているの」


 買い物から帰宅したばかりのウィルヘルミナは、震える声で問う。

 黒髪を振り乱し、息を荒げるカミラが、家のリビングに立っている。

 血走った眼をした彼女の足元には、胸をナイフで刺された母が転がっている。

 自分と同じ、雨雲の色をした髪を床に広げて。天をあおぐ、半ば閉じた瞳が薄濁りしている。


「なにを、しているのっ!」


 激昂したウィルヘルミナの前で、カミラはため息をついた。

 深く、地の底まで届きそうなため息だった。

 彼女がそこにどのような意思を込めていたのか、ウィルヘルミナにはわからない。わかりたくもない。


 ――母・ローラにとってカミラは親友だった。

 幼い日から、少し年上だったというカミラに様々なことを教えられたのだという。十代を共に過ごした、と母は語っていた。

 やがてカミラは生まれ育った村の外を知りたいと言って一度は出て行ったが、早くに病魔で夫を失ったローラの苦境を知るとこれを支えに帰ってきた。生まれてきたウィルヘルミナの名付け親となり、ローラに針仕事や周囲の助けとなる生業を斡旋し、以降は住む場所こそ違えども家族同然に暮らしてきた。


 変わってしまったのは、ローラが夫と同じ病魔に侵されていると知ってからだ。

 最初はそれほど、変化を感じなかった。しかし病魔がためにかつてできたことが少しずつできなくなっていくローラを見る眼に、滲んでいく色があった。

 あれは、落胆、だろう。

 身勝手なその感情を其れとウィルヘルミナが理解したのは、結局ローラが命を落としたこのときだった。

 カミラは、胸を刺され血に染まる母を見下ろしながら言った。


「どうして救われてくれなかったのかな。この私が、助けてあげると言ったのに……」


 伸びた糸切り歯、床に広がっていく血だまりを見る顔の舌なめずりしそうなおぞましさに、ウィルヘルミナは彼女の転化を悟る。

 異端になったのだ。

 不滅にして不死の吸血鬼として、カミラはそこに居た。


 同時に、ウィルヘルミナも。

 母を喪失し家族同然と想ってきた相手の裏切りに、地の底に落とされたような絶望を感じた。

 心臓が、造り替えられるのを感じた。

 破裂しそうな、体外まで聞こえていそうな拍動を一度だけ轟かせる。それきり、心音は鳴りを潜めて本当にゆっくりとしたものになる。

 見る間に指先まで血の気が失せていく。一時、蝋の質感を思わせる肌になった己に、根本から異なる生命になってしまったことを感じ取る。

 その、転化の気配を、カミラも感じ取った様子だった。


「『それ』があなたの絶望なんだね。ミナ」


 名を呼ばれて怖気が走る。名付け親にして母の親友だった女は、いまや滅ぼすべき敵だった。

 カミラは黒髪を指先で梳る。


「間が悪いね。もう少し早く成っていてくれたら、こんなことにならずに済んだのに……そうだよ。そもそもミナ、どうしてあなたはローラが病に落ちたというのに、そこで絶望しなかったの? この私は、悩みに悩んだあげくとうとう吸血鬼にまで成ったのに……」


 詰る物言いでカミラは迫る。

 自分が正しく、ウィルヘルミナが間違っていると言いたげな声音だった。


「母親に死が迫り、どんどん衰弱していく。この様に恐怖しなかった? 絶望しなかったのかな? 親不孝な娘だね。ミナは」

「なんで、殺したの……お母さんを」


 カミラの謗りに応えず、ウィルヘルミナは問いかけた。

 だが、問いを発しつつも彼女はすでに理解していた。自身も転化したことで、吸血鬼とはどのような生態でどのように在るべきかはわかっている。この一瞬で、本能に刻まれている。

 それでもカミラの口から、聞きたかった。

 母の親友は悲嘆にくれた面持ちで言う。


「殺す気なんてなかったんだよ。わかっているんでしょう? 私はローラを眷属にしようとしただけ。眷属になれば生き永らえると説明して、この私の血を飲ませて、ローラの血を吸おうとしただけ。でも血を与えようと取り出したナイフをめぐってもみ合いになって……ああ、悲劇だね。どうしてこうなってしまうのかな……」


 本当に悲しそうに、カミラはうつむいた。肩を震わせた。

 わかっていた。きっと、そうだと思った。ウィルヘルミナも転化したことにより、眷属をつくる方法を理解している。歯の用法が食物を千切りすり潰すためと誰に言われずともわかるように、吸血鬼の命を繋ぐ方法が眷属の血にあり、また眷属は己と共に生きる限り不死であることも本能に刻まれている。


 だからカミラは、ローラを眷属にしようとしたのだ。

 病魔から解き放ち、永遠を共に生きようとしたのだ。

 でもローラはそれを拒んだ。


「ローラはどうしてわかってくれなかったのかな? 死ななかったら、いいじゃない……」


 心底理解できないという顔で、その、理解の断絶こそが悲しいという顔で、カミラは両手で顔を覆い床に崩れ落ちた。

 本気で悲しんでいる。

 殺すつもりなど、本当にかけらもなかったのだろう。

 事故である。

 でも。


「……お母さんは、私を残して逝くことに絶望しながらも、私が居ることに希望を持っていたのよ」


 ウィルヘルミナの語りに、カミラの肩の震えが止まる。

 なおもウィルヘルミナは、母の親友に向けて言葉を紡ぐ。


「お母さんは、ごめんね、って毎晩言ってくれたのよ。ありがとう、って毎晩言ってくれたのよ。だからお母さんが絶望しきってしまうことはなかったし、だから私も絶望なんてしなかったの……お父さんが死んでしまったときも、同じだったと言ってた。悲しくて苦しくて後を追いたくなってしまいそうだったけれど、私が居たから。私と生きたかったから、絶望しなかったって」


 きっと、だから母は、絶望を抱え込んでも吸血鬼になどならなかった。

 いまもそう。カミラの誘いを、断った。


「『先に死んでしまうけれど、ごめんね』って。毎晩言ってくれたのよ……『一緒に生きてくれて、ありがとう』って……毎晩、言ってくれたのよ」


 だから母は、吸血鬼になることを選ばなかった。

 不死と化せば、いずれウィルヘルミナが母の肉体年齢を追い越していく。数十年もすれば老いさらばえ、母は娘を看取ることになるだろう。

 それを拒んで、母は人のままの死を望んだ。

 これをして、カミラは「間が悪い、もう少し早く成っていてくれたら」と言った。ウィルヘルミナがもう少し早く吸血鬼と化していたら、娘も永遠を生きるのだからローラも拒まなかっただろう……という見立てだ。

 でも、きっと。


「お母さんは絶対、私に吸血鬼になんてなってほしくなかったはずよ」


 涙があふれて止まらない。

 ローラはウィルヘルミナが吸血鬼になり、カミラがローラを眷属にすることで三人が共に生きられる未来……など、絶対に望みはしない。

 なぜならそれは、ウィルヘルミナが絶望していることを前提に存在する未来だ。ローラが夫の死を前にしても折れなかったときのような希望もなく、本当に心から絶望してしまったということだからだ。


 母は娘の絶望など、なにがあっても望みはしない。

 自分の命が懸かってさえ、望まない。

 嗚咽をこぼしながら、ウィルヘルミナはひざまずく。床に転がる母の亡骸に寄り添う。

 その胸に突き立っていた刃を震える手で抜き放ち、血濡れた切っ先をカミラに向ける。

 ――ローラがなにを大切にしていたのかを理解してくれていない、その断絶が悲しい。


 この人は母の親友だった。だが母の本当に大切なものをなにひとつ、理解していなかった。

 この人が悲しんでいるのはすべて自分のためだ。自分が哀れだと思って泣いている。

 許してはおけなかった。


「お前を、殺、す」


 短く、けれど確たる意思を込めてつぶやいた。

 吸血鬼のルールも本能に刻まれたいま、ウィルヘルミナは自身が七日七晩にわたり眷属の血を摂取できなければ息絶えることを知っている。

 だがそれはカミラも同じだ。互いに眷属を持っていない。転化したのは、わずかにウィルヘルミナがあと。

 つまり七日七晩にわたって追い、眷属をつくらせず彼女を殺しつづければ、七日目にカミラは死ぬ。自分より少し早く吸血鬼になったことが仇だ。

 襲いかかり、彼女の命が途絶えるまで追いかけつづけることを誓う。血の臭いが染みついて消えなくなることを覚悟する。


 痛みを超えた心の痛みを、努めてウィルヘルミナは無視することにした。


 結局、その癖が数十年にわたってつづく己の悪癖になるとは、この時には思ってもみなかった。


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