閉じた感情
二メートル半といったその柄、店内だというのに流麗な槍捌き。
異様に自分を委縮させるこの強さの正体に、ようやくジズは思い至る。
「あんた……祖母か曾祖母に、フリーダという女がいなかったか」
「祖母をご存じで? これ、祖母の槍なんですけど」
彼女はあっけらかんと言う。その抜けた表情に、血筋を感じた。
『リッキー』とは愛称であろうから、本名を推測するなら……おそらくは。
「だったらあんたの本名は、フリーダに由来するわけか」
「えーえ。たしか『平和』を意味するとかなんとか、そんな話を寝物語で聞きましたかねぇ。でも『フレデリカ』なんて名前はお堅いんで、どこでもリッキーで通してもらってます」
フレデリカ・フォンというらしい酒場の女主人は、平然とユージンに腕を返してやっていた。
身体を再生しつつ、ユージンはこの槍術の化身には勝てないと判じたらしい。忌々しそうにジズを細い目で睨み、店の扉へと戻っていく。
「次に会えばそのときこそ殺す。……儂がヨーゼフを見捨てた? ぬかしおる。儂とあれは、『共倒れは無しだ』との見解を一致させ、そのように生きてきたのだ」
ジズの言葉への返答を紡ぎつつ、ユージンは荒々しく扉を押し開けた。風が吹き込み、彼の茶髪がなびく。輪郭線が髪に隠され、表情が見えなくなる。
「あれが潰えても儂は生きる。そのように、生き方の取り決めを為しておったのだ。……あれは、いまも……」
儂の相棒だ。
そう言い残し、去った。隙間から入ってきた風がやむと、フレデリカは槍を物干しの役目に戻しつつ「主吸血鬼は再生時に血も体に戻るから周りが汚れやしない、って本当だったんですねぇ」とぼやいていた。
ジズは静かにスツールに腰掛け直し、残っていた酒をあおった。
――生き方。
己で決めた、生き方。
あの非道で醜悪としか思えなかったユージンにすら、そんなものがあったというのか。
否定したい気持ちがあったが、そのプライドに触れたからこそ彼は、格上が居て危険なこの場でもジズに飛びかかってきたと言える。
変えられない生き方のために、死に方を選ぼうとした。
「……くそ」
「なんかずいぶん気が立っておいでですねぇ、ジズさん」
酒のボトルを持ってきながら、フレデリカは言った。
名乗った覚えのない己の名を呼ばれ、少しだけ冷静さを取り戻したジズは、彼女に「すまない」と告げた。
「フリーダさんから、僕のことは聞いていたのか」
「ええ。恩人だから、こういう容姿の奴が来たら力になってやれ、と。『女吸血鬼を探していて』『雨雲の髪をした女を知ってて』『私の槍に反応したら、そう』だと。うかがってました」
「彼女は、いまどうしている?」
「さすがに寄る年波には勝てなくて、療養所に居ます。そろそろ祖父のところに逝くかもしれないとか、よくぼやいてますけど」
ともあれ、生きているらしい。
自分を知る人間がまだ、居る。そのことにジズはなぜか、寂寥と懐古を合わせたような感情を抱いた。
フレデリカはジズのグラスに酒を注ぎ足しながら訊ねた。
「それで、ウィルヘルミナさんは別行動なんです? さっきの方との話ぶりですと」
「ああ。まあ、……そうだよ」
言い淀むジズは、浮かんだウィルヘルミナの像を心の中から消した。
「ですか。まぁあたしにゃ事情はよくわかりませんが……さっきの方もそうですけど、人と人との関係性ってぇのは、はたからじゃわからないもんですよねぇ」
「そうかな」
「うちをご覧くださいよ。『吸血鬼に恩返しを』と考える祖父の結婚相手が、異端審問会最強の女傑ですよ?」
「……それは、たしかにはたからじゃ結びつく理由がわからないな」
言われてみれば、異様な状況だ。いくらジズたちを逃がしてくれたといっても、彼女が異端審問として吸血鬼に対し相当な憎悪を燃やしていたのは行動から明らかである。
なぜ結婚したのか、と問いたくなったジズを先回りして、フレデリカは「理由は一言では語れませんし、なによりあたしの語りじゃ正確さに欠けますよ」と述べた。もっともだな、と思ったジズは小さくうなずいてからグラスの酒を飲んだ。
「聞きたかったら、ご自身でどうぞ」
フレデリカはテーブルの上にメモ書きを滑らせる。そこには住所が記されていた。
ジズが顔を上げると彼女はいたずらっぽくほほ笑む。
「異端審問会は解散しましたが、往時の祖母の情報網は依然変わりなく残ってます。もしよかったら、茶でも飲みながら祖父と祖母の惚気話にでも付き合ってやってくださいな。そしたら、お礼に……あなたの求める吸血鬼の居所を、調べてくれるかもしれません」
のんびりした語調を崩さず、フレデリカは言った。
メモを受け取り、ジズは即座に酒を飲み干す。居ても立っても居られなかった。扉の前へ歩いていき、はめ込まれたガラス越しに屋外を見据えた。
「すぐに出る。ありがとう、リッキー」
「はいはい。またのお越しを……次はウィルヘルミナさんにも、お酒飲んでいただきたいんで」
ひらひらと手を振るフレデリカに、ジズは固まってしまう。あいつと、もう一度まともに顔を突き合わせて酒を飲むなど……と否定する気持ちが沸き上がった。
しかし同時に、この扉の前で先ほど怒りをあらわにしたユージンと、彼の勝手な言動が癇に障った己を思い出す。
……自分の中でウィルヘルミナは、どういう存在なんだろう。
ジズの硬直に宿る、そんなさまざまな感情をフレデリカは汲み取った。
「きっと、あなたも一言では言い尽くせないんですね」
やわらかく告げられて、ジズはより強張る。
フレデリカはなおもつづけた。
「だれかと関わるのって単純じゃぁ、ないですよねぇ。行動も言動も、複雑怪奇でこんがらがってる……祖母のなれそめも、きっとあなたが聞いても理解しがたいでしょう。でも理由は、たしかにあるんです。あるはずの理由について理解不能だと考えるのを投げ出すより、あたしは、少しずつでも考える方がいいと思ってます」
のんびりと告げるフレデリカ。
ジズは、また言い淀みかけた。ウィルヘルミナについては、いつも発言を躊躇う。
――明確な言葉にすればなにか、自分の中で決定的になってしまうと感じたためだった。
だが、今度は正直に返す。
「……僕は、あいつについて考えるのはあまりに辛いし、疲れるから、してこなかったんだ」
なにも、知ろうとしてこなかった。
怪物に思いを至らせることなどできないのだからと、拒絶してきた。
「あいつにも理由があったのかもしれないけど、家族が死ぬ原因になったんだから、許せるはずもなかった。だからなにも見ないことにしたんだ。同時に、僕の中でのあいつに対する感情の……憎悪でない方の感情の、理由も。見ないことにしたんだ」
扉にはめ込まれた暗いガラスはジズを映さない。
でももし、姿が映っていたのなら。きっといまの自分はどうしようもなく情けない顔をしていると思われた。
「理解不能だと投げ出した、というより。『理解してしまってはいけない』と、そう思ったんだ」
泣き言を口にする顔が情けなくならないはずはない。
フレデリカは静かに聞き、ジズが言葉を切ってからも黙りこくっていた。
それから、ジズの心臓のあたりを見ながら言う。
「あなたは自分で思っているより、……いえ。わかったようなこと言っちゃいけませんね。祖母に、会ってあげてください。その旅の途中で、考えをおまとめになるといいです」
フレデリカの言葉に、ジズは目礼だけで応じる。外に出た。
どこかにいるはずのウィルヘルミナは、気配もつかめない。セリーヌとカミラの一件以降、極力顔も見ないようにしてきたのだから当然だ。
彼女はいつも、なにを考えていたのだろう。
いまさら、そんなことを思った。




