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僕が死ねば、彼女を殺せる。  作者: 留龍隆
ルール:吸血鬼は老いない。
22/29

再会する切っ先

 攻撃の指先を伸ばすため、ユージンは右足を進めてきた。

 対するジズは右半身を少し後ろに引く。戦闘態勢のようにも見えるが、実際のところは逃げのための姿勢だった。

 かつてユージンと戦った頃より戦闘経験こそ増したが、ジズは右腕を失っている。もしユージンも鍛錬をつづけておりあの頃より強くなっていたなら、勝ち目はほとんどない。そこまで考えての態勢だった。


 ユージンは指先――鋭利な鉈のように断ち切る斬撃の拳術を放つ指だ――を少しずつこちらに向けようとしていた。殺意あふれる目はジズの首からわずかたりとも逸れない。


「あの日受けた屈辱の借りを返しておこう。ここで貴様を、殺す」


 人生とはやはり、なんの脈絡もない。

 必死に生きていても、唐突に途絶えてしまうこともある。

 であるなら意味ある死にざまを求めるのが普通だ。それで、なにが悪い。

 心の内でジズは、自身の主に――――ウィルヘルミナに、毒づいた。

 そのとき、不可解なことが起きた。


「命の取り合いしそうな剣呑な空気ですねぇ。まぁまぁご両人、そうカッカせず。一杯お酒でも飲んで、忘れやしませんか?」


 思いがけない第三者の声に、二人はばっとそちらを見る。

 暢気な声を出し、そこに居たのは手ぬぐいを頭に巻いた糸目の若い女だった。置き型の看板をごとごとと店内から出すところで、そのついでにジズたちへ声をかけてきたらしい。

 それだけならば、日常の一幕だ。常人の単なる日常動作だ。

 しかしいま、臨戦態勢に入り周りのすべてを鋭敏に感じ取る超感覚を発揮していたはずのジズとユージンの感覚器をかいくぐり、日常を体現したのなら……それは『異常者』だ。


 ユージンは先に動きを止めている。ジズはどうするか迷い、女が、着ているチュニックの肩に流れ落ちるダークブロンドの髪をかき上げつつ動くのを目で追った。


 ……隙も存在感も無い女だった。

 鍛錬の旅に百年を費やしたジズがそう思うのだから、間違いない。声を掛けられるまでのあいだもずっとそこに居たはずなのに、ジズもユージンもまるで気づけず意識の外に置いてしまっていたのだ。

 彼女の一挙手一投足は何気なく、ともすれば次の瞬間懐に入られていたっておかしくない。


 ジズも、ユージンも、彼女に先制権を取られている。

 命……までもが握られている、かもしれない。相当『やる』。

 そう思わせる、妙な気迫が彼女にはあった。


「ああ、もしやお酒より血の方がいい?」


 そんな彼女からするりと放たれた言葉だったので、ジズは否定もできなかった。態度から完全に虚を衝かれたことがまるわかりで、すなわちそれは吸血鬼であることの肯定だった。


 よく観察すれば彼女は、店の窓ガラスを横目で見ている。うかつだった。ジズの立つ位置はその窓ガラスに反射しており、けれど夜の訪れに伴いジズは『映らなくなっている』。吸血鬼のルールによるものだ。

 このジズの間抜けた様子にあきれた顔で、なんならあきれ過ぎて毒気を抜かれたか、ユージンはそのまま指を下ろした。


「……ままならぬわ、人生は。なぜこのような辺境にお前のような化け物が居る? 女」


 ユージンの問いに、彼女は腕組みしてあっけらかんと言った。


「化け物だなんてそんな、あたしはただの酒場の女主人ですよ。リッキーとでも呼んでちょうだい。まぁともかく殺しあいなんて、おやめになってくださいよ」


 リッキーに招かれるまま、仕方なくユージンとジズは卓を囲むこととなった。


        †


 明かりのともった店内で、丸いテーブルを挟みジズとユージンは酒をもらった。ユージンは見た目こそ少年なので酒がなんとも似合わないが、早い時間でほかに客もなくリッキーは彼を人外と知って出している。なにも不都合はなかった。

 ユージンは口を湿らす程度にウイスキーグラスを傾け、じろりとジズを睨み上げる。


「あの主吸血鬼はどうした。気配も近くに感じられぬが」

「いまは別行動している」


 ジズはそっけなく言った。

 三十四年前にカミラを取り逃したあの日から、ジズはウィルヘルミナと絶縁して七日七晩のルールの期限ごとに血を渡すためだけに会う、という生活をしている。いま奴がどこでなにをしているかなど、知りもしなかった。


 ユージンは鼻を鳴らし、どこか事情を察したような顔をした。


「『いまは』か。ふん」

「そっちこそ、眷属は連れてないのか」

「また殺されてはかなわんのでな」


 厭味を言い、ユージンはまたひと口飲んだ。ジズも左半身をユージンに向けたまま、ひと口を含む。

 リッキーはなにが面白いのかそんなジズたちを見てにこにこしており、けれど開店の準備を進める手は止めない。無垢材のカウンターの上を片付け、部屋の隅に下げてあった二メートル半ほどの物干し竿から清潔なリネンを取るとグラスを磨いたりナイフを拭いたりした。


 一瞬だったが、彼女が刃物を手にしたのを見てジズはひやりとした。ユージンも首をすくめたのを見るに、おそらく同じ思いを抱いたのだろう。

 得体のしれない強さを、感じている。自分を殺せる力を、感じていた。

 個人の強さをここまで恐れるのは、一体いつぶりになるだろうか。

 なんとなくその空気のままでいるのが嫌で、ジズはリッキーに話しかけた。


「……吸血鬼をそうと知ってて店にあげるか? 普通」

「いや、それが逆なんですよねぇ。『吸血鬼だと知ったから店にあげた』、が正しい」

「よくわからないな」

「あたしもよくはわかんない。ただこのお店ではそうしなきゃいけない、ってぇだけでしてね。まぁ実のところそのルールが適用されたのも今回がはじめてなんですけど」


 けむに巻くようなことを言うので、ジズはどう返したものか判じかねた。

 ユージンはこの曖昧な話ぶりでもぴんとくるものがあったか、片眉を上げて応じた。


「吸血鬼を、探しておったのか」

「そう! 鋭いですねぇお若そうな方」


 若いと言われてまたユージンは鼻を鳴らす。最初に出会ったときの言動を参考にするなら、彼は少なく見積もっても一五〇年は生きていることになる。若さには程遠い。それなのに己より遥かに若いリッキーにいいようにあしらわれているのが、気に食わないのだろう。


「で、吸血鬼を探していた理由は?」

「恩返しらしいです。なんかうちのおじいさんからの言いつけでしてね、吸血鬼を見つけたら親切にせよー、と」

「吸血鬼に親切にする? いくら国境線近くで異端審問会も遠かったとはいえ……そんな言いつけ掲げてたら、周りに迫害されるだろう」


 ジズが元異端審問の立場からの見識で言うと、リッキーはまた腕組みしながらふふんと笑う。細身だが手足が長いので、そういう恰好が様になる。


「そらそうでしょう、ですから、家の中でひっそりと継いできた言いつけなんです。吸血鬼の見分け方、さっきやってたような『夜なら鏡に映らない』とかも教えてもらいましてね……。いつか吸血鬼に会ったら恩を返してやれ、と、そればかりおじいさんは言ってました」

「それ、結局なんの恩なんだ?」

「当時祖父は行商人だったそうなんですがねぇ、馬車に轢かれそうになったんだとか。そこを庇って代わりに轢かれ、挽肉みたいになっちゃった吸血鬼が居たってぇ話で」

「馬車に轢かれて……なんだか、助けたとはいえ間抜けだな」

「すぐ再生したらしいですしその場から消えたそうですがね。おじいさんはずっとそのことを恩義に感じていて、でも時代が時代でしょ? 異端に感謝なんておおっぴらにゃできないから、こっそりとこの店のコンセプトとしてだけ継承したわけです。自分の恩返しをね……まぁほんとはおじいさん助けたの、女吸血鬼らしいんで。お客さんたちじゃおじいさんの恩返しにゃならないっちゃならないんですけど」

「女吸血鬼?」


 その単語に反応し、ジズはカウンター向こうのリッキーの前に身を乗り出す。急な反応の違いに彼女も察したか、「探してるんです? 女吸血鬼」と問い返してくる。


「探している。黒髪に緑の目をした、二〇代くらいに見える女だ」

「ああ、じゃあたぶんちがいますね。おじいさん助けた女吸血鬼は黒髪じゃなかったそうで」

「そうか……」

「雨雲じみた灰色の髪に、お月様みたいな金の瞳。十代半ばくらいに見えたって言ってたかな。でもその外見のわりに酒臭くて――どうしました、おにいさん?」

「いや……なんでもない」


 追いかけている相手どころか、いま突き放したい相手の話だった。

 しかし、端々から察するに……フリーダとの一件に至る前、酔ったウィルヘルミナが轢かれたときの話と見える。

 あの女はひとを助けていたのか、と思い。

 彼女について本当にひさしぶりに、少しだけだが、心が動いた。


「いまの話に出てきた容姿、覚えのあるものであったな」


 ウィルヘルミナにしてやられたのを思い出したか、不愉快そうにユージンはウイスキーを喉へ流し込む。ふぅと香気を胃から鼻腔へ抜けさせながら、半目でジズを見た。


「だが貴様の反応は、先の所業を知らぬ者のそれだ」

「だから、なんだよ」

「相棒のことをなにも知らぬと見える。否、知ろうとしなかったのではないか」


 勝手にわかったようなことを言い、それが癇に障ったジズの反応を待ちはしない。テーブルの上に空になったグラスを置くと、スツールから飛び降りてカウンターに紙幣を投げ出した。


「一杯、馳走になった。これで儂は御暇しよう」

「もう? あなた目的の吸血鬼さんじゃなかったけど、べつに追い出しやしないですよ。もう少し飲んでったらよろしいのに」

「自分を殺せるかもしれぬ相手とこれ以上の同席は御免だ。儂にはまだ、やりたいことがあるゆえに。死ねんのだ」

「やりたいこと……ああ、『領主になりたい』ってやつか」


 ホフマンとのやりとりで、目的がないと死がちらつくものか、と思っていたジズは「それだけ長生きしてまだ欲があるか」という皮肉のつもりで言った。

 だがユージンは扉を開けて出ていきかけた身を止め、頬をこわばらせながらジズの方を見た。


「ヨーゼフが、語ったか?」


 その目は。

 うつろだが、妄執の輝きに満ちていた。


「お前が爵位を得て領主になるのが目的とか、言っていたよ」

「……そうか」


 この、視線を切るまでのわずかな時に見せた表情の変化は、単なる殺意や害意に満ちたものではなかった。

 まるで大切なものを失った己の孤独を自覚したかのような。ひどく遠く感じさせる顔だった。

 その顔つきが、ひどく癇に障る。


「なあ。お前はあの相棒のこと、知ってたと言えるのか」


 感傷的なその顔つきに、勝手な先の言動と合わせてひどく苛立ちを感じたジズは詰る。

 ユージンは開きかけていた扉を、少し戻す。

 ジズは言葉をひっこめなかった。


「あんなにあっさりと、荷物のようにヨーゼフの亡骸を見捨てたろう。そんな相手を、よく知るほど近しく接していたと言えるつもりなのか。お前は」

「……貴様になにがわかるとも思わぬ。愚者になにかを求めるのはそれこそ愚の骨頂というものだ……だが。だがな」


 扉を閉じ、ユージンはぎらりとジズをねめつける眼を見せた。


「儂とあれの間にあったものを、我らの間柄を――」


 左手をかざし、各所の関節を外し中指を鋭く伸ばして、ユージンがその場から跳躍する。


「――貴様ごときが、値踏みするな」


 殺意の一閃がジズの首を狙う。あのときよりも高速で振り抜かれる斬指の一撃は、彼がやはり鍛錬を怠らず生きてきたことを感じさせるものだった。

 右腕の喪失で戦闘力の落ちたジズには、せいぜい三手までしかかわせまい。どう避けても受けても、四手目には首を落とされる。


 横薙ぎの一手。避ける。

 振り上げの二手。いなす。

 打ち下ろしの三手。受ける。

 けれど決着の四手目より早く、ユージンの左腕が切り飛ばされていた。

 腕振るう勢いを殺せず、床にずだんと転がり落ちるユージン。

 その身を立て直す前に、喉元にリッキーの握る刃が突き付けられた。


「ぬ……」

「お客さんに大切なことがあって、それを蔑ろにされたってのぁわかりました。でもあたしの店でそれ以上の殺り取りは、やめといてもらいましょうか」


 はたして、ユージンに向けられる刃は。

 店の隅でリネンをひっかけられている、ただの物干し竿のように景色へ溶け込んでいた――黒光りする槍の穂先(・・・・)だった。


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