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僕が死ねば、彼女を殺せる。  作者: 留龍隆
ルール:吸血鬼は眷属を傷つけることができない。

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18/29

招かれざる運命


        †


 客間に残されたジズとウィルヘルミナは、なんとも言えない気分でソファに腰かけたままだった。部屋の奥のカーテン向こうには、見えていないだけでいまも研究成果たる吸血鬼が居る。

 不死の研究――考える者があったとしても宗教・ならびに異端審問の存在が禁忌として封じてきたはずのそれが、大戦の戦況悪化により許されてしまったのだ。この光景を目の当たりにする可能性は判じていたものの、いざ実際に目にするとさすがに気が滅入る。

 お茶菓子をかじるウィルヘルミナの横で、ジズは背もたれに深く身を預けた。


「ご気分を害されましたか」


 スピルスドルフが二杯目の茶を注ごうと、ポットを手に近づきながら言う。ジズは手を掲げてもう結構、のジェスチュアをしてから「少し」と答えた。


「もしやあなたは彼女の眷属なのかしら?」


 自分のカップには茶を要求しつつ、ウィルヘルミナは軽く訊ねる。スピルスドルフは硬い顔つきを崩さないままで「いいえ」と否定した。シャツの襟を少し引っ張り、噛み痕の傷口を見せる。


「私は、彼女の娯楽用の吸血対象としてお仕えしているにすぎません。長い付き合いではございますが」

「どれくらいの?」

「三十年ほどになりますか。転化する以前からの知己、幼馴染なのです」

「なるほど」


 吸血鬼である以上外見の年齢はあてにならないが、印象としてジズは『若々しい』と感じたのを思い出す。実際に若いわけではないから、仕草と中身のギャップがそう感じさせたのだろう。

 スピルスドルフの外見から察するに、セリーヌと彼は実年齢としては同年代に相違ない。考えていると、スピルスドルフは執事のようにソファの横に控えた。ウィルヘルミナは目だけで彼を追い、焼き菓子をさくっと嚙み砕きながら言う。


「人間牧場に関わる吸血鬼、私も幾人か見てきたけれど。こうまで羽振りが良い奴を見たのは久々よ。並びそうなのは、あのエリザベートくらいかしら」

「バートリ家のエリザベート様でございますね。私も氏については存じております、セリーヌと彼女は知己でしたので」


 だいぶ無残な最期をお迎えになったようですが、と彼は付け足す。フリーダの言を信じるならエリザベートは彼女の槍術の餌食となったわけなので、この言われようも仕方のないことだ。ジズの横で、ウィルヘルミナがぶるっと震えた。


「セリーヌは転化してすぐ、この人間牧場を手に入れました。もとより資産家の娘でございましたので――エリザベート様と知り合ったのもその伝手です――まあ、転化のあとも政財界に取り入ることが可能でした。この廃城はそうして吸血鬼研究の以前からも、国の暗部として様々な用途で使用されてきたのでございます」

「様々な、用途」

「お聞きになりますか?」

「結構よ。どうせ、ろくでもないことしかしていないのでしょうよ」

「たしかにおっしゃる通りでございます。しかし、その積み重ね無くして今日のセリーヌの立場はなく、吸血鬼と人の共生は実現できません」

「本気で思っているんですか? 共生が、できると」

「部外秘に触れぬよう語るなら、少なくともセリーヌは人を手にかけておらず、私と共生することはできております。闇商会であるあなたがたよりは清廉と言ってよいのではないかと」

「ご存じ? 他人をそしる言葉には大抵、自分が言われたくない言葉が入っているものよ。自分たちの手が汚れている自覚があるのではなくて?」


 ウィルヘルミナの悪口雑言に、スピルスドルフはただ返す。


「なにかお気に障ることでもございましたか」

「あなたたちの研究に意義を感じられないだけよ。なるほど、戦場は一旦押し返せるかもしれない。でも人間の帰還兵だって暖かく迎えられるばかりではないというのに、ましてや吸血鬼が、まっとうに社会に受け入れてもらえると思うのかしら? 人間でない者が、人間として扱ってもらえるものかしら?」

「たしかに独立戦争後、帰還兵がシェル・ショックや神経症に悩まされたり、傷痍軍人への市民の目線が英雄でなく殺人者へ向けるそれであったり、難しい部分はございます。しかし重要なのは、人間社会のために吸血鬼がなにかを成した事実です。現に人狼部隊の投入とその末路は世論を動かしつつあります」

「友軍に入り、弾除けに使われたというあれですか」


 行きの列車で聞いた噂をジズは思い出す。


「可哀想な話でしょう」


 眉ひとつ動かさず、平坦にスピルスドルフは言った。

 無慈悲にボードゲームの駒を動かして、自軍のため犠牲を強いているような顔だった。


「感情は非合理的ですが、感情への訴えかけというのはじつに合理的です。その点、彼らは上手くやりました。戦後に人狼たちは特区を得るなり恩賞をもらうなりできるよう努力を始めるでしょう。権利は血の上にこそ成り立つと彼らは判断したのでございます」

「あなたたちも同じように考え、他人の血の上に権利を打ち立てようとしていると? お笑い種ね」

「生きとし生ける人すべてが、他者の血を啜って生きているという点では吸血鬼と変わりないものでございます。ハーカー様、あなたがたも法に縛られぬ無法の輩でしょう。法がそれまでの歴史で流された血の集積であるとすれば、あなたがたはその血を啜って生き永らえているに過ぎない」

「話をすり替えないで。結局、あなたたちは自分の手が汚れていると言われる都度、相手の罪をなじることしかできないわけ?」

「できないというより、それ以外をする必要がございません。私とセリーヌの行いは社会において完全に適法であり、契約書面の条項に則り権利を行使しているにすぎませんので。あなたがたこそ、難癖をつけて貶めようとするしかできないのでしょうか」


 話は平行線だった。スピルスドルフは自身の法的な潔白を心から信じておりまたそれだけを重視し、むしろ闇商会に属して法を無視した行いをしているジズたちを心から軽蔑している。

 反面、ウィルヘルミナは法や外部の決める基準でなく自分がどう思うかで生きている。だから自分が必要だと思えば人間を攻撃に巻き込むことすら辞さないし、逆にフリーダが語ったように気まぐれに他人を助けることもある。

 それらはおそらく、彼女の中で矛盾せず、彼女自身が自分に対して自分を許せるかという指標のもとに考え動いている証だ。彼女は他者の許しを必要としない。たぶん。


「気分を害したわ。予定の時間になったらここに戻る」

「左様ですか」


 ウィルヘルミナは席を立つ。スピルスドルフは会釈してこれを見送る。

 ジズもスピルスドルフと同じ部屋に居るのは御免だった。ウィルヘルミナが廊下に出ていってすぐ、追いかけるように彼も客間を出た。

 客間の外には長い廊下がつづく。城だっただけはあり、攻められにくいようにか構造は外観からよくわからないようになっていた。迷って元の部屋に戻れないなどとなったらみっともないので、ジズはドアの形状や周囲の装飾物をきちんと覚えて歩きはじめる。

 両側に点々と部屋があり、重く扉が閉じている。ガス灯が煤をあげながら燃えている静かな音がする。ジズは次第に奥へ奥へと招かれるように進んでしまい、幾度か曲がって突きあたったところの窓辺に、ウィルヘルミナを見つけた。

 ステンドグラスに縁どられた場で光を受けている彼女は、雨雲のような灰の髪を漂う隙間風に遊ばせながらじっと外を見ていた。


「お前がああいう態度を取るの、めずらしいよ」

「べつに。私はただ、責任の所在を明らかにせず『できるからやった』『国で適法だからやった』という物言いが気に入らなかっただけよ」

「そうか」

「あんなのを守らないといけないなんて、今回の仕事は不愉快ね」

「よくあることだろ」


 文句の一切出ない仕事など、闇に居る以上ほとんどなかった。大抵は状況か相手か自分のコンディションか、なにかしらに不都合や不具合があるものだ。それをいちいち不条理などと呼んで嘆いている暇もない。


「とはいえ僕も、多少疲れたよ。この仕事が明けたら仕事を鞍替えしたいような気はする」

「言うだけならタダでしょうね」

「言わないと何事もはじまらないんだよ、馬鹿」

「そんな歳まで生きててまだ夢想家気取りでいられるなんて恐れ入るわ。まあでも、……仕事はともかく生き方は、私には変えられない。決めたことだから」


 憎まれ口を叩きつつも決意を語り、ウィルヘルミナは背を向けた。ふん、と鼻を鳴らしてジズは窓辺を過ぎる。

 実際、職を変えたい気はしていた。異端審問に属した間もそうだが、闇商会でもカミラについて有力な手掛かりは得られていない。ここまで足取りが追えないとなると、なにか根本的に探し方が間違っている可能性もある。


 仕切り直したい気持ちがあった。七十年近く……正確には六十六年も追ってなおなにも見つからないことに、うっすらとしたあきらめと徒労を覚えている。

 金が出ると信じて鉱道を掘りつづける工夫たちも、きっと毎日このような気持ちにちがいない。


 ……本当に、この仕事で闇商会は降りるとしよう。ジズはそう決めた。

 それにしても広い城だ。構造的に考えるなら、おそらくはそろそろ儀礼や祝典に用いる玉座、謁見の間などもあっておかしくない。思いつつ時間つぶしに歩いていると、ジズはごそりと物音を耳にすることとなった。


 重く閉ざされた扉の向こうからだった。

 足音というか、忍び寄るときのすり足の音に似る。


 いろいろと厳戒態勢であるこの城の中でそのように秘された足音というのは妙に気になるもので、ジズは興味本位で扉に手をかけた。

 偶然、というものの恐ろしさを、そこで彼は骨の髄まで思い知ることとなった。


「……は?」


 人生というものには脈絡が無い。

 ジズが前触れなく家族を失いこのように成り果てたのと同じく、備えることも避けることもできずただ状況をぶつけられる。それが人生だ。

 頭ではよく理解していたこの一事を、ジズはそのとき、あらためて自分事として捉えなおさざるを得なくなった。


 扉の向こうは、はたして大広間だった。

 本来なら謁見や儀式に用いられる場、精緻なデザインの張り巡らされた異界と称すべき所。ここもいまは研究用の器材が運び込まれ、ひどく散らかった印象だった。

 しかしそれ以上に、ジズの視線を縫い留めたのは。

 広間の奥で腰掛けるセリーヌと、その正面に立ち尽くす女。


 黒く長く、濡れたような髪を腰まで垂らしている。ひたりと肌に貼りつくようなラインのドレスを纏い、優雅に袖先から細い指を伸ばしてセリーヌの頭を撫でている。

 身を屈め、女はセリーヌに覆いかぶさった。

 俊敏な獣の狩猟を見ているようだった。大きく開かれた口がセリーヌの栗色の髪を掻き分けるように進み、喉元に食らいつく。

 ごぶり、と嚥下した。

 セリーヌが震える。

 命のやりとりが、おこなわれている。

 ジズは扉を突き押した。

 ぎい、と軋んだ音の響きに黒髪の女が居住まいを正す。

 ゆっくりと、振り返る。冷めた翡翠の眼。彫の深い顔立ち。細い頤。血よりも赤い、唇。

 忘れられるはずもない。あの日と寸分たりとも変わらない。

 ジズの仇敵であるカミラが、無言でそこに居た。


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