吸血鬼研究の成果
ゴンドラの横に居た管理者は突如として霧の中から現れた二人に困惑の色を隠せていなかったものの、闇商会から話は及んでいるらしくおそるおそる二人を乗せた。
霧を掻き分けながら進んでいく一本の索道は、やがて巨大な館の前に行きつく。
いや、館と思ったそれは、近づいてみるとおそらく廃城の一部だった。城へと続く道を閉ざすのだろう門扉を備えつつも住宅としての役割と、銃眼を備えた要塞の色を宿すデザイン。
城を目指す者をまず抑えるための関門がここなのだ。
「闇商会から? 妙に早いな」
この砦でも、当然困惑した様子の衛兵が対応に迷う。闇に依頼をするような連中なので、当然後ろ暗いところがある。よって予定外のことがあれば、敵対組織の差し向けた者ではないか?などと疑いが生まれる。
ジズとウィルヘルミナは闇商会からの身分証を示した。念のため伝えられていた符丁の問い、『人狼と人間との混成部隊の名はなんぞや?』にもきちんと答える(ちなみに答えは「そんなものは未来永劫ありえない」だ)。
通されて、門扉が開いていくのを見ながら、ジズはこの案件についてなんとなく察した。
前線についての戦況を元にした符丁。隣国付近の秘された土地にある施設。吸血鬼どもが交配や繁殖を進めていた、人間牧場。これだけ揃ってくれば想像がつく。
「国の大事にかかわることになるとは。長生きは、してみるものね」
皮肉った調子でウィルヘルミナは言った。
「長生きってほどでも……いや、まあもう七十年以上生きた、か」
父母の享年を合わせた年月さえ通り過ぎて久しい、と思ったジズは否定を取りやめる。また、『国の大事』ということも否定しなかった。
門扉を抜けたところから深い森を、坂に沿って一度下ってまた上る。戦時には城側が攻めてきた相手に対して高所を取るための仕掛けだろうこの地を往く間に、ジズは城の全容を眺めていた。白い石造りは経年によりくすんだ肌を晒し、近づくほどに圧迫感がある。金持ちがそれらしく設えた、単に城っぽい邸宅などとは違う。実戦経験が刻まれたがゆえの圧迫感だ。
しかし大門をくぐった途端に、そんな古めかしさと地続きの印象はがらりと変わった。
「ずいぶん作りこんだな」
ジズがぼやく。そこにあったのは、巨大な研究施設だった。
城に入ってすぐのホールからしてすでに所狭しと物が並べられて頭上まで視界を遮っており、それでいて動線は確保されどこか整然としているというのが、研究のための体裁を整えているとの印象を与えてくる。
檻に封じられた獣や人。知見がないため用途は不明ながら、確実によろしくない用途のためだろう薬品棚。物々しい空気をもっとも強めているのは、ジャケットを着てぱりっとした身なりの研究員すべてが腰に銃を提げており、『万が一なにかが起きたときのため』備えているのがありありとわかる点だ。
全体的な雰囲気は見世物小屋に近いが、統率と抑制の行き届いた場はそれらの持つ野卑で諦念と憎悪に満ちたものとは異なる。
「お早いご到着で。闇商会からいらっしゃった、ジズ・ハーカー様とウィルヘルミナ・ハーカー様でございますね?」
しばし研究施設を眺めていたジズとウィルヘルミナに、奥からやってきた人物が声をかけてくる。
ジズは男の、きびきびとした歩き方と肩幅の広いがっしりした体格に、一目で軍属の経験を嗅ぎ取る。年の頃は五十過ぎと見える、いささか目元の皴に老け込みの陰がよぎりはじめた男だった。
暗褐色のコーデュロイのジャケットで薄闇に紛れていた彼は、一礼してからダークブラウンの前髪を横に流した。落ちくぼんだ目をしており、あまり人相が良くない。ぎょろりと、見下ろすような目つきをしている。
だが『見下し』ではなかった。
一見して若く、かつ異端審問官の頃のように権威を纏っていないジズたちを相手にしても軽んじた態度が見えないところに、『外見で侮ってはならない』との経験を持つことがわかる。
静かに、彼は片腕を胸に引き付け会釈した。
「私はスピルスドルフと申します。当施設の副所長でして、お二人に出荷物の護衛を依頼したのも私でございます。遠路はるばるいらっしゃったところ、玄関口でお待たせしてしまい申し訳ない」
「丁寧な挨拶、痛み入ります。こちらこそお声がけ賜るまで気づけず、不躾をいたしました。僕がジズ・ハーカーです。こっちが、同行者のウィルヘルミナ」
「ご多忙の中の副所長自らのご歓待、どうも」
厭味ったらしさのあるウィルヘルミナの物言いに、けれどスピルスドルフは表情を変えることもない。
ただ冷静に、ウィルヘルミナとジズの態度の変化を見ているようだった。
やがて彼は奥につづく廊下を示す。
「こちらへどうぞ。我が主がお待ちです」
それ以上のことは口にせず、彼は奥に待つ所長のもとへと案内をしてくれた。
研究施設の中は薄暗く、日光が差さない。常にガス灯の助けを借りている(こんな山奥だというのに、ガスの経路は敷設できているらしかった)この場についてジズの視線が問いを孕んでいると思ったのか、道中でスピルスドルフは語る。
「闇商会の所属ですから人間牧場についてはご存じでしょうが、我々の研究というのはそこを使っての……人体実験でございます。国営で進めておりますので、施設に費用もかけられるという次第です」
「なるほど」
言いつつ、あまり心穏やかではないジズだった。
人間牧場をそうと認識したまま使っているというのは、つまり……
「国と結びついた吸血鬼であるわたくしがいてこそ、実現できた国営施設なのです」
奥から、光るものの接近を感じた。
光の正体は大きな眼鏡で、ボリュームある栗色の髪の中に差し込まれたそれは顔つきのアクセントになっている。
猫目で勝ち気そうな眉が印象的な女性で、ロングスカートを穿いた脚でしずしずと歩んでくる様はどこか令嬢のような若々しさ、淑やかさをも感じさせた。
仕立ての良いブラウスの上からコルセットベストを着用して体型のメリハリを際立たせた彼女は、手套を嵌めたままの手でジズたちに握手を求めた。
「所長のセリーヌ・ポンデンブルクです。ここからわたくしたちを連れ出してくださるのは、あなたがたですのね?」
にっこりと笑う彼女は、依頼内容の詳細を語り始める。
†
つまり、そういうことだった。この人間牧場からの出荷物とは、なにを隠そうこのセリーヌとスピルスドルフの両名。
二人を逃せとの依頼をしてきたのは、国の上層だった。重要な研究を任せている二名をなんとしてでも無事な地域に届けてもらいたいのだと――そういう思惑なのだと、セリーヌが説明してくれた。
「もう少し遅い時間帯にいらっしゃると思っていたものですから、十分なご応対もできず申し訳ありませんわね」
スピルスドルフと同じようなことを口にして、セリーヌは部下に出させた紅茶を勧めてくる。
客間でテーブルを挟んで腰掛けたジズとウィルヘルミナは、素直にカップを口に運ぶ。向かいに座るセリーヌもカップに唇を落としたので、そのときジズは犬歯を確認した。
「お気になさっているのかしら? わたくしが吸血鬼であることを」
視線に気づいたらしい彼女は視線をカップから上向ける。
ジズは姿勢を前のめりにして、「少し」と答えた。
「でも、国が必要に駆られて吸血鬼であるあなたと組んだというのは、理解できます。今回の戦は大きくなり過ぎましたから」
「そのとおりです。いま国は、求めているのですよ……不死の軍団を」
セリーヌは愉快そうに告げた。ウィルヘルミナと話した「国の大事」は、大方予想通りだったらしい。
つまりは、吸血鬼の軍事利用。無尽蔵の再生能力持つ闇の存在を、ユニットとして兵力に加えようとの企み。
それを成すにあたって必要だったのが――秘された土地にある研究施設。研究材料としての人間多数。加えて吸血鬼に詳しい吸血鬼……。すべての条件を満たすのが、人間牧場を所有しているセリーヌだったにちがいない。
「絶望が吸血鬼を吸血鬼たらしめる、ということはかねてより多くの吸血鬼に語られておりました。ゆえに研究として求められたのは、それの具体的な再現と汎用性ですわね。それらはクリアーされましたので、いよいよここを離れることとしたのです」
「吸血鬼の軍隊をつくるということですか」
「もう少し踏み込んで申し上げるなら、わたくしは『吸血鬼が社会に参画する』未来というものを目指しておりますの」
平然と、セリーヌはめちゃくちゃなことを言った。吸血鬼の社会参画? 食うか食われるかの関係でしかない吸血鬼と人間が、社会の中で共に暮らせるなどと考えているのだろうか。
ジズの考えが顔に出ていたらしく、それを読み取った風なセリーヌは微笑んだ。
「迫害があるから、証拠を残さぬよう食い殺すしかない。そのように追い込まれた吸血鬼も数多いのですよ?」
「迫害がなかったら、血をもらうだけで人間を殺さずに済ます。人間と共生できる、と?」
「そうでなければ軍隊に組み込むなど危なくて実現不可能です。まあ、殺した敵兵に食らいつくくらいは起こりうると考えておりますけれど……敵兵は人間の範疇ではありませんわ」
酷薄に笑って、セリーヌは部屋の奥を示した。スピルスドルフが彼女の意に沿って、部屋の奥を閉ざしていたカーテンをするりと開ける。
そこには漂白され、規格を統一された衣服纏う者たちが居た。
檻の向こうで整列する彼らの目のぎらつきは、血を求める吸血鬼のそれだ。
「ようやく形になったシリーズです。主吸血鬼が一人加われば、戦列の突破力は飛躍的な向上を見せることでしょう。時限式の爆弾でも体内に隠し持たせて突撃すれば……おわかりですわね。彼らが戦果を挙げれば、わたくしたち既存吸血鬼の立場もきっと向上いたします」
「……この吸血鬼たち、どうやってつくったのですか」
ジズは問いかけた。
眷属吸血鬼への変貌は主からの血の供与共有によって成されるが、主吸血鬼への転化はなんらかの『絶望』によって成立する。あのユージンも、ジョルジェも、例外はなく、だれもがそれぞれの痛みを抱えた結果主吸血鬼として覚醒するのだ。
つまり人工的に主吸血鬼をつくりだすとはすなわち、人間に『絶望』と呼べるほどの苦境を与えることにちがいない。たとえばウィルヘルミナなら、肉親のように育ってきたカミラの裏切りによって母親が死んだことが転化の原因だ。
セリーヌは笑いながら「製造法は部外秘ですわ」と答えた。
しかし彼女の背後、檻の向こうでぎらつく吸血鬼たちの目を見るに、おこなわれたことの凄惨さは疑いようがなかった。
……胸糞悪くなるジズだったが、任務は任務だ。早急に終わらせてしまおうと、頭を切り替える。
「して、仕事の話に移りますが。僕らが護送するのは、あなたとスピルスドルフさんだけでいいのですか」
「ええ、そうですとも。わたくしと彼、スピルスドルフの身柄を無事に中央都市に近い街へ移送いただく。それがあなたがたに課された任務です」
「でも所長と副所長が抜けるというのは、その。いいんですか?」
「ここでの研究はすでに終わっておりますの。あとは移送いただいた先の街で新たな施設を頂戴し、再現を始めるだけです」
「そうなんですか。では、研究資料なども今回の移送時の護衛対象でしょうか」
「いいえ? 資料の移送は結構です」
小首をかしげてセリーヌは言った。ジズが妙なことを言ったかのような反応だった。
ややあってからスピルスドルフが横から進み出て「所長はすべての資料を覚えておいでですので……」と小声で付け足した。
セリーヌはこのやりとりを見てようやく得心いったのか、「物覚えは良いほうですの。むかしから」と口にしてにっこり笑った。
「ではわたくし、これより来客がありますので出立は三時間後にしてくださいませ。どうか道中、よろしくお願いいたしますわ」
スカートの裾をつまんで見せて、セリーヌは去った。ちなみに、研究成果である吸血鬼たちは明日には前線に送られるらしい。




