宿願は成就しない
かすかな音も響き渡る、仰ぐほどに天井の高い、廃城の大広間。
かつては盛大に人を集めて贅を尽くした催しがあったのだろうそこに、いまは死体がひとつと――三人だけが、立って居た。
ひとりはウィルヘルミナ。手にした円刃連鎖は手元で高速回転して力を溜めており、いまにも獲物に食いつかんとしている。
ひとりは仇敵・カミラ。長い、豊かな黒髪を垂らしながら、右手には銃身を切り詰めた散弾銃を掲げる。
ひとりはジズ。彼は――カミラの左手に右手首を捕まれて吊り上げられ、喉元に向く銃口をにらんでいた。
左腕は千切れており、もはや抵抗の手段はない。失くした腕がどこにあるのかというと、彼の足元だった。
そこには死んでいる女吸血鬼が一人。
ジズの貫手が首を真正面から貫き、頸椎を砕いている。これがカミラの眷属吸血鬼だった。眷属を仕留めた直後に、散弾銃によって左腕を吹っ飛ばされた次第である。
腕と引き換えになったが、これでカミラの命に届く。
あきらめかけていたこのタイミングで訪れた――――千載一遇の好機だ。
「さあ、殺せ」
冬の冷たい空気の中を、ジズの声が低く這う。ウィルヘルミナに、自身の主に命じる。
彼女の円刃連鎖の操作精度はかなり向上していた。二十六年前フリーダに一方的に封殺された苦い経験から鍛錬にさらに身を入れ、いまの彼女は狙った箇所に寸分たがわず斬撃を打ち込める。もうかつてのように、眷属のジズを傷つけかねないからとルールによる硬直を強いられることはなくなっていた。
つまりあとは、カミラの首を刎ね飛ばすだけだった。
「早く。殺せ」
だがウィルヘルミナは動かない。
回転数を上げ大気を切り裂く刃の嵐を、手元にいつまでも留めている。見開いた目の中で瞳が小刻みに揺れ、食いしばった歯の根が軋む音すら聞こえるが、腕は動かない。
このざまを見て、カミラは笑った。吐息をこぼすような、嘲ったような、「っは」という笑い方だった。
ジズは痺れを切らして叫ぶ。
「早くしろ! 殺すんだ!!」
けれどウィルヘルミナは動かない。動けない。
とうとうこらえきれなくなったらしいカミラの笑い声だけが、残響を伴って広間に高く長く伸びる。
なぜ、こうなった。どうして、ここまできて――いくつもの偶然の重なりでやっとこいつを追い詰めた、好機を得たはずのこちらが、追い詰められているんだ。
宿願の成就を、こともあろうに自分の主に邪魔されることとなってしまったジズは絶望と怒りに唸り声を上げた。
……なぜ、どうして。僕の願いは邪魔されるんだ。
この状況に至るまでを思い返し、ジズは歯噛みしていた。
†
――A.D 1916 Dec.10th
世界大戦の勃発で、人探しは困難を極めていた。
異端審問に属すのをやめて、潜り込んだ商業連合の通行証を用いることで各地を回ってきた二人だったがここにきてさすがに身動きが取れなくなる。
やはり表稼業には表稼業としての限界があり、いくら国家が資本主義に傾く時代になったとはいえ普通の商売では土地をまたいだ活動はできなくなっていた。
これ以上を求めるなら、闇に戻る他にない。そう考えた二人は商売の中でも後ろ暗い、地下競売や密輸といったものの護衛として――もちろん人間のフリはしたまま――職を得ていた。
職のかたわらでカミラの捜索をつづける、そんなある日に、所属先である闇商会の上役から振られた次の仕事先についてジズは問い返した。
「人間牧場からの出荷物を、護衛しろと?」
悪しきその施設の名は久々に聞いた。好みの血や外見の人間を手に入れるため、家畜の品種改良のごとく人間同士を掛け合わせる非道な施設である。ジズもカミラへの手がかりを求めて、異端審問時代に片手の指で足りない数を壊滅させてきた。
……まあ、その過程でなんの成果も無かったあたり、あの女は人間牧場に興味が無いのだろうが……ともあれそんな、人間を害する施設の手助けはさすがにやる気が失せる。
いかに闇に沈んで裏稼業に手を染めたとはいえ、その一線は超えたくなかった。
「人間を殺すような仕事は、僕はしませんよ」
上役の男は即座に舌打ちしてジズの言葉に返してきた。
「チッ。てめえのそのくだらねえ倫理観をわかった上で割り振ったに決まってるだろ。殺しはねえ、あくまで向こうからお出しされたモンを守れ。以上だ」
「なら、文句はありません」
「そもそも文句を言うつもりを出すんじゃねえよ馬鹿野郎。腕は立ってもホント、使いづれえ奴め……ああ、ついでにソコの情報を抜いてきてくれ。横流しすれば金になる」
「構いませんが。どこに情報が売れるんですか」
「それをお前が知ることになんの意味がある? 黙ってやれ」
上役の男は書類に目を戻す。ジズたち実働役への態度は、いつもこんなものだ。面倒なのでそれ以上訊かず、ジズはウィルヘルミナと共に国境線付近へ向かう列車に乗り込んだ。
闇商会の用意した身分証と偽造の商業記録紙で、一路、廃城を使っているというその人間牧場へ向かう。
道中でも、遠く離れた前線での戦況については号外が出たり電信で伝わってきたりしていた。
戦火に追いやられた人狼の部隊が蜂起して友軍に加わったとか、それを国の軍隊が弾避けとして使い潰したとか。機銃掃射に巻き込まれて生きていた隊員がじつは吸血鬼だったとか、戦場で血を漁っている騒屍が居るとか。様々だった。
「でも国の暗部については、漏れ伝わってこないのね。華々しいキャッチーな話題だけつまんで載せてるだなんて、とんだお笑い種」
ウィルヘルミナは列車のコンパートメントで受け取った号外の新聞を、つまらなそうに車窓からホームへ放り捨てた。
闇商会に属していると政治家との繋がりもできるため、物流に乗って色々な話が耳を通り抜けていくものだ。たとえばそれは前線での死体漁りが横流しする背嚢装備の中に非合法な麻薬があったとか、政府の公表する戦線拡大とは前への進軍でなく敗走による横への広がりも含むとか、まあそんなつまらない現実の話である。
だがこの国は意外と政教分離がしっかりしているらしく、これら政に関わる方面の話題は異端審問会に属す間はまったく耳にすることがなかった。
「情報統制が利いてるってことは、国が自身をコントロールできてるってことだろ。出すべき情報とそうでない情報を取捨選択してるってことだ」
「表に出すべきでないものをそのままにしきれていないようにも感じるのよ」
「そこはそもそも人間が、黙っておけない生き物ってことじゃないか?」
「『なにを知っているか』で自分を語りたがるってこと? あは、そんなの愚かにもほどがあるでしょうよ」
「違うよ馬鹿。語りたがるのは『なにを感じているか』……だよ。きっとな」
雑談を交わしつつ、二人は目的地へと近づいていった。
†
国境線を少しだけまたぎ、友好を結んでいる隣国経由で目的の地方へ入る。国の境目といえばフリーダの故郷はどこにあるのだろうな、とジズは少しだけ考えた。
異端審問会の話も多少は闇商会に伝わってきているが、どうやら彼女は特級代行者になっているらしい。あれから二十年余りが過ぎたことを思うとさすがに実力にも陰りは見えているだろうか。対して、自分とウィルヘルミナは肉体が常に若くピーク時のままであるため、技を研鑽して経験を蓄積していけば理屈の上ではどこまでも強くなれる。種族的な優位と言える。
「いまなら私も、あの女に勝てるのでしょうけど」
同じくフリーダのことを考えていたらしく、ウィルヘルミナは自信ありげにマントの下の円刃連鎖を撫でた。シャンと鳴る鎖と円刃に、雑音は一切ない。扱いに熟達した証拠だ。
「種族の強さでズルしてるようなものだけどな」
「手段は使い尽くしてこそでしょうよ?」
「僕は手段は選び尽くすものだと考えている」
言いつつ、廃城への道を歩いた。この辺りはより戦線に近いからだろうか、村落にも流通を絞られたような活気のなさがうかがえる。ジズの故郷もこうした目に遭っていたのだろうか、と少しだけ考える。
村を取り囲む、死んだように静かな森を抜けると、霧立ち込める深い断崖に行きつく。目的の廃城は谷底まで徒歩で降りるという回り道をしてから、ロープウェイで登るようになっているらしい。
霧深い危険な崖は伝って降りるのに半日かかるそうだ。ジズとウィルヘルミナは、崖の傍に行って石ころを蹴り落した。
六秒ほどで、小さく底に当たる音がした。底は川ではないらしく、安心する。
「前に登った山でクレバスに落とした石も、これくらいの時間で音が聞こえた気がするな」
「じゃあ、慮外の高さというわけではなさそうね」
「行くのか」
「ええ。ちまちま降りるより疲れないでしょうよ」
ウィルヘルミナはジズの方を見ながら後ろに向かって一歩を飛び出す。
ふわりと浮かんだ髪が、一瞬にして天になびきながら彼女の身体の落下を追う。
ややあってから――――ゴヂャ、と湿った砂利を詰めた袋を落としたような音がした。次いで、ピゥと高い口笛で無事との合図。まあ、主吸血鬼であるウィルヘルミナの場合どんな致命傷でも即再生するのだから無事もなにもないのだが。
翻って、ジズは頸を折れば死ぬ。
着地の仕方が悪ければ、途中に張り出した木でもあれば、あるいは横風に煽られて崖に叩きつけられれば……などなど不安要素はいくつもある。しかしそれは滑りやすく霧で視認しづらい崖を伝って降りていく場合にも、考えられる要素だ。
だからジズも「歩きは気分的に疲れるし、面倒だしな」というただそれだけを回避するため、ウィルヘルミナのあとを追って崖に飛び出した。
内臓の浮く嫌な感触のあと、荒れ狂う風にもみくちゃにされながら落下していく。
目が乾く。
喉が渇く。
みるみるうちに地面が近づく。近づききった。触れた。地に足がめり込む。
足裏から電流のような衝撃が脳天まで貫き、膝や腰や胸の各所でこの衝撃が破裂したのを感じた。膝は皿が割れ腰椎は砕け、横倒しになった時に折れた肋骨が内臓を傷つけている。
が、頸椎は無事だ。げぽ、と血を吐いたらそれで収まる。
再生を終えたジズは待っていたウィルヘルミナと合流し、ロープウェイへ歩んでいった。




