《悪魔の十字路》へ
ウィルヘルミナの潜伏先は、ドナウ川沿いに存在する交易地・《悪魔の十字路》の近くである――ということにしてある。先に向こうでひと暴れしてもらい、そのように印象づけた。
ジズとフリーダは馬車を乗り継ぎ南下していく。片道二週間ほどの旅程の後に現地で調査、討伐。終われば帰還し報告をまとめて、また次の任務を受けることになるのだろう。
乾いた冷たい風の吹き荒ぶ殺風景な道のりは退屈で、夜の野営のときに二人はぽつぽつと語らった。
ほがらかで人当たりの良いフリーダとの会話はそれなりに実のあるもので、ジズは「そういえば一人の人間とこうも長く接するのも、三十年ぶりくらいか」などと思った。
……人間でなければ、よく会話する相手はいるのだが。
「それで、強いの? あなたのいまの相棒は」
「戦えば、まちがいなく僕じゃ殺される、ってくらいにはな」
夜間。
野営しているフリーダが寝静まったのを見計らい、用を足しにいくフリをして場を離れたジズは月明かりの落ちる黒い森でウィルヘルミナと会話していた。
髪が黒いため夜闇に溶け込むジズとはちがい、雨雲のような灰にけぶる長い髪を垂らす彼女は森の中でも輪郭がはっきりしている。金色の瞳も、らんらんと獣のように輝いていた。
そんな目立つ容姿の彼女と、リスクを負ってまで密会する理由はひとつだ。
「まあその話は飲みながらでもいいだろ。とりあえず、血を」
「ん」
差し出したジズの右前腕に、ウィルヘルミナは唇を近づける。夜の冷気にさらされてサっと鳥肌よぎる腕の上に、熱い吐息をかけてから牙を立てた。
吸血鬼のルール。主吸血鬼は眷属からの血の供給が七日七晩絶えると死ぬ。
これを回避すべく吸血をさせるため、ジズはわざわざ密会していた。なにせ彼女が死ねば、眷属であるジズも死の呪詛に辿られて命を落とす。
二人は運命共同体だった。不本意ながら。
「で、フリーダだけど。正直アレは、相当な使い手だよ。放っておけばきっと十年もしないうちに審問会の最上位である特級代行者になる」
「ふぉこまで言ひ切ふの?」
「血を飲みきってからしゃべれよ馬鹿」
「……んく。そこまで、言い切るの?」
「ああ。あの人は《身問十六法》第三法である槍術・《不隙間の型》を極めてる。野営の最中に人狼盗賊団の襲撃に遭ったとき、技の一端を見たんだが……」
重量のある剛槍をまるで枯れ枝であるかのように軽々と振り回し、変幻自在の軌道で払いと突きを正面に張り巡らし縦横無尽に動き回る。
まさに隙間あらずといった技の冴えは、歴戦の吸血鬼や審問官を見てきたジズをして『当代最高峰』と呼ぶのに一切の躊躇いを抱かせない。『対吸血鬼戦では、用法が明快な既存武装ではダメージを与えてもすぐ再生される』というセオリーを覆すだけの技量をただの槍で成し得る、傑物と言えた。
「たぶん人間だと思わない方がいい。あれは、槍術の化身だ」
「ふうん。あの齢でそこまでの域に達するなんて、並ならぬ才能があったのでしょうよ」
口許の血をハンカチで拭いながら、ウィルヘルミナはどうでもよさそうに言った。
ここで強さの理由を動機にあるとは見ず才能と言い切るあたりが、やはり人間を人間と見ていない化け物の考えだ、とジズは思った。
「それで、眷属。その女のこと、殺す?」
そしてまた、爪の端のささくれをかりかりと引っかきながらこともなげにこんなことを言う。
ジズは心底からのため息を発した。
「話聞いてたか? 僕じゃ殺される、って言っただろう」
「それは正面から挑んだときの話でしょうよ。毒でも盛れば始末できるはずよ」
「なんで殺さなきゃいけないんだ」
「どこに殺さない理由があるのよ?」
ばりっ、とささくれが第二関節まで鋭くめくれて血がにじんだ。もっとも、その指を伸ばしてジズを示すまでの間に、怪我は治っていたが。
「相手は吸血鬼に強く恨みを持つ凄腕の異端審問官。あなたの身の上がバレたら殺されるし、それはイコールで私にとっても生命の危機なのよ? 獅子の爪の下に自分の心臓を置いて穏やかに暮らせるほど、私鈍感じゃないんだけど」
「知るかよ。僕は人間は殺さない」
「その選択が『自分がまだ人間である証明』になると思ってるわけ? お生憎様、爪と牙のある生き物は草を食む生き物にはなれないのよ。けっしてね。けれど草食む生き物の後ろ蹴りで死ぬことだってある」
「なにが言いたいんだよ?」
「分を弁えなさい。あなたは吸血鬼よ。人の血に魅了される、人とは別種の生き物なの」
ここで「お前のせいで成ったんだ」と詰るところからはじまるやり取りはもう四十年も繰り返して飽き飽きしていた。
悪く言えば化け物にされたが、良く言えば復讐の機会を与えられたと言えるからだ。もちろん、そもそも復讐しなくてはならない状況をつくったのはウィルヘルミナだが……。
「もういい。あまり長く離れると怪しまれる。お前はまた距離を置きながら尾行して来い」
追っているつもりのフリーダは、吸血鬼に追われていることにはまだ気づいていない。
このままウィルヘルミナには目的地である《悪魔の十字路》で死闘を演じてもらい、程よいところで首を刎ねられて死んだフリをさせる。眷属吸血鬼だと見せかけるのだ。
眷属が死ねば主には伝わるため、再生力低下という自分の不利を悟った主が異端審問の前へ姿を見せることはない。つまり主はもう出てこないだろう……という見方をさせれば終わりだ。
「余計なことはするな。首刎ねられたら、即死んだフリをしろ。わかったな馬鹿」
「あなたこそうっかり心臓とか刺されるようなことあったら、しっかり死んだフリしなさいよ。人間ならそれで死ぬんだから」
最後の最後まで「お前は人間ではない」という呪いの言葉をかけてから闇にまぎれていく。腹立たしいウィルヘルミナの行いのせいで眉間に皴が寄るのを感じながら、ジズは野営地まで戻っていった。
焚火の横では毛布にくるまるフリーダが起きており、鍋を火にかけて湯を沸かしていた。
「長かったね。おなか、痛かったり?」
「しないです。お湯沸かして、お茶でも淹れるところですか」
「今日は冷えるからね。あと、石が焼けたらそこの石綿革袋に入れて懐炉にするとよく眠れます。でも直接肌に触れさせちゃ、だめですよ。低温やけどになるからね」
「知ってますよ。子どもじゃないんですから」
苦笑しつつ、ジズはフリーダのはす向かいに腰掛けた。ほがらかな空気の彼女といると、先ほどまで感じていた刺々しい気分が緩んでいくようだった。
とはいえ、ウィルヘルミナの言うことも理解はできる。フリーダの強さを目の当たりにした以上、どこかで油断して正体が露見でもすれば危険なのはわかっていた。
考えると自然と目は彼女の槍に吸い寄せられ、フリーダにもこれを感づかれる。
「そういえば新人君は、《槌形拳》の使い手だったね。《不隙間の型》にもご興味が?」
「いえ、槍や剣も試したんですが、どうも性に合わなくて。それに武器がなくとも五体で戦える《槌形拳》の方が、様々な状況で生かせると判断しました」
「そうだったんだ。まあたしかに、槍は狭いところでは振るいにくいし、突き刺したら再生力にものを言わせて無理やり止められることもあるからね」
「そういうときの対処法もあるんですか?」
手の内を探るつもりではないが、訊ねてみた。フリーダはくすりと笑い、「ナイショ」とだけ言った。
「というか、飲み食いしてるときに話すようなことじゃないよ。血腥い話になるから、ね」
「なるほど」
「ただまあ、私がそれでも槍を選んだのはね。もともと、槍術の一門だったからかな」
「流派に属していたんですか」
「うん。一族そのものが槍の使い手でね。結構これでも、有名だったのです。でも吸血鬼との戦いで、ほとんどみんな死んじゃって……また話が血腥くなっちゃったね」
ぱんぱん、と手を打ち払って話を切り上げ、フリーダはポットで紅茶を淹れる。
カップに注いでもらいながら、ジズは彼女の話の重さにうつむいていた。フリーダもまた別離を経験して此処に居る。吸血鬼を殺すという、復讐を支えにして生きている。
「……追っている吸血鬼は、見つかりそうですか?」
四十年追いつづけてもまだ家族の仇である奴――カミラを見つけられていないジズは訊ねた。フリーダは予想通り、首を横に振る。
「いまは、まだ。でも少しだけそのことに、安心してる私もいるの」
「なぜです」
「まだ殺し切れるか、自信がないから……」
はにかんだ顔で頬を掻く彼女の力量で倒せないとなると、どれほど高位の吸血鬼なのだろう。
かつて戦い、勝つまでには至らなかったユージン、ヨハネ、エリザベート、ヴラムスをジズは思い出す。ぎりぎりで引き分けた者もいれば、必死で逃がしてもらうことになった者も居た。
しかしカミラについてウィルヘルミナは、「あいつらよりも上の使い手よ」と語った。
そうなると自分にもまだまだ実力が足りていない。ジズは《槌形拳》のため鍛えぬいた己の拳をぎゅっと握った。
「僕もまだ、仇の吸血鬼を討てるか自信がないです」
「そう? 新人君の《槌形拳》、年齢にそぐわないくらい、練り上げられてると思うけど」
「それを言うならフリーダさんもですよ」
「照れるなぁ」
「ははは……そうだフリーダさん、これまで討伐したという主吸血鬼との戦いの内容とか、訊いてもいいですか。これからの戦いの参考にしたくて」
実力が足りないなら、積み重ねて磨くしかない。過去は変えられないが、動機を糧にこの先を変えることはできる。
努力しよう、とあらためて決意したジズに、フリーダはにっこりと笑ってくれた。
「いいよ。じゃあ私が討伐した三体の主吸血鬼……ヨハネ、エリザベート、ヴラムスの、どの戦いから話そうかな」
「え」




