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僕が死ねば、彼女を殺せる。  作者: 留龍隆
ルール:吸血鬼は鏡に映らない。

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10/29

異端審問会(3周目)


――AD.1890.Mar,29th



 異端審問会本部は、霧深い山の麓に存在する。

 ドナウの川の流れに沿い、カルパティア山脈を横断する途中にある名も知れぬ山。その下にある峡谷の陰に隠れるようにして構えている巨大な館がそうだ。

 ジズ・ハーカーはこのかび臭い館の奥にある薄暗い授与室で、新人の異端審問官として迎えられようとしていた。

 長く、階段上まで伸びる緋色の絨毯の上にひざまずき、司教より聖水を振りまかれる。聖句が唱えられる。肩に儀礼剣の腹を載せられる。


 美しく、鏡面のように磨かれた剣身に、けれどジズの姿は――映り込んだ。

 吸血鬼が鏡に映らないルールは、じつは夜間のみのことである。真実を覆い隠す闇に乗じるための性質だと、吸血鬼のあいだではまことしやかに語られている。


「ジョナサン・ハーカー。きみの今後の活躍に期待している。異端との戦いは過酷だが、たとえきみが死してもその名、その姿を我らは永久に記憶に刻む。共に戦おう」

「はい」


 名乗った偽名への呼びかけとともに、十字架の鎖がジズの頭上からかけられた。

 ……『記憶に刻む』などよく言えたものだ、とジズは内心で舌を出す。

 司教から十字架を授かるのはこれで三度目だ。

 眷属となって十代で老化が停滞した(なお主吸血鬼は『成った』時点で止まる)ジズは、老けない事実を怪しまれないよう数年置きに異端審問会へ入り直すようにしている。

 前回は任務中に吸血鬼と相討ちになったふりをしたため、よく見ると授与室壁面の戦死者慰霊碑に『ジョン・スミス』とかつてのジズの偽名が彫り込まれていた。だというのに司教はまるでジズの顔に気付くことなく、完全に流れ作業で十字架を与えている。


 とはいえ、前回ジズが会ったのは十年前。覚えていなくても無理はないのかもしれない。

 その後、司教の横に進み出てくる者が居る。


「ではこちらが、きみの任務に同行する上級審問官だ。くれぐれも、彼女の言うことに従うように」


 修道女のような、身体のラインに沿った黒い肩衣スカプラリオを纏っている。頭巾ウィンプルに頭髪を納めているが、夜目の利くジズには薄闇のなかでもわずかにのぞく髪色がわかった。淡いブロンドである。

 背丈はジズより指一本分ほど高い程度で、女性としてはかなり長身だ。整った鼻梁と細められた紺碧の眼が印象深い。

 表情がとてもおだやかで、細く長い眉は垂れた角度を生まれてこのかた変えていないのではないかと思えた。


「フリーダ・フォンです。よろしく、新人君」


 にっこりしてゆったりと喋る彼女は、おそらく二十代と見える。

 生きている時間だけならば四十年以上が経過してしまったこと、異端審問官に属している期間が彼女の人生より長いことを思うと、新人扱いにはなんだかむず痒いものがある。

 しかし、なんといっても異端審問会は吸血鬼の情報が多く集まるのだ。多少年下扱いされる程度、たいしたことではない。

 フリーダは小首をかしげて、ジズに問う。


「新人君の目標、訊いておこうかな?」

「ある吸血鬼を殺すことです」


 間髪入れずの受け答えに、彼女は少しだけ驚いた顔だった。けれど細めた目のまま笑んで。


「そっか。私と同じだね」


 と、言った。


        †


 上級審問官との任務を七回まで達成し、その後に査定を通ると新人を脱する。新人の査定の通過率は五割といったところだ。

 だがそれは査定が難しいからではなく、任務中に命を落とすことが多いためである。また、付き添いの上級審問官も新人に足を引っ張られて死にやすい、という。剣呑な話だ。


「さあ、七度挑む任務の初回だね」


 こう述べるフリーダはじろりと行く手にそびえる山を見つめる。二人はいよいよ異端審問会本部を離れ、任務の討伐対象である吸血鬼のもとへ向かう途中だった。

 周囲を見回してジズが落ち着かない様子を見せていると、フリーダはこれを緊張の現れと見てか、微笑みながら付け足す。


「安心していいよ、新人君。私と一緒に任務に挑んだひとの査定通過率は、八割越えです」


 フリーダは言って、背負っていた得物を掴んだ。

 身の丈を大きく超える黒い槍は、長さ二メートル半といったところだ。柄の表面が使い込まれた風合いで、穂先の両刃も輝かんばかりに磨かれている。彼女はその槍の石突――穂先の逆端にあたる部位――を、ずんと小径の地面に突き立てた。かなりの剛槍と見える。

 しかし、ジズは任務に怯えているわけではない。彼は少し、気まずそうに言った。


「あ、いえ。査定に通らず息絶えるとかを案じているのではなく」

「ではなく?」

「……男女で、連れ立って歩くことに少々抵抗があって」

「……私の親世代みたいなこと、言うんだね? 掟の厳しい、地方の出とかなのかな」


 きょとんとしたフリーダを見て失言だったな、とジズは思う。

 そう、三十年もの月日でかつての頃より個人の自由度が上がったこの国では、いまは男女で旅をすることもめずらしくない。男女二人旅のとき「兄妹である」などと言い訳をしなければいけなかったころとは、世相がちがうのだ。

 さてフリーダは、しかしジズの沈黙を出自について語りたくないがゆえと受け取ってくれたらしく、両手を振り振りあわてて質問を取り消した。


「ご、ごめんね、踏み込んだことを訊きました。ともかくも、私は新人君を死なせやしないよ、ってことだけ覚えててくれれば」

「心強いです」


 述べつつ、ジズの目はフリーダの強さの判定に向いていた。

 重量のありそうな槍だ。これを掴むてのひらは掌紋が擦り切れるほどに槍を握ったのがわかる分厚さで、体の軸も根を生やした巨木のように安定している。かなりの手練である。

 などと思っていたら、フリーダは自身の胸を叩きながら強さの自己申告をはじめた。


「じつは私、これでも単身で主吸血鬼を三体、倒した実績があるのですよ。新人君は、大船に乗ったつもりでいてくださいね」

「……頼もしいです」


 穏やかに言いつつ、ジズは内心で動揺を覚えていた。

 ジズのように吸血鬼と化しているわけでもない只人の身で吸血鬼を倒しているというのは、はっきり言って異常だ。もちろん主吸血鬼といっても、この三十年でジズが戦ってきたユージンやヨハネ、エリザベートやヴラムスのような歴戦の強者ではあるまいが……。

 が、それでも。

 只人の身で、しかも二十代そこそこという経験浅い身で討伐を可能としたのなら、それは稀有なまでの才覚によるものと言える。

 万が一、彼女にジズの正体が露見したなら……危険かもしれない。

 身構えつつ、ジズはこれから挑むことになる任務へと話題を移した。


「それで任務についてですが、フリーダ上級審問官」

「そんな呼び方、長いでしょう? フリーダさん、でいいよ」

「ではそのように。……して、フリーダさん。僕の挑むことになる任務を、もう一度確認してもよろしいですか?」

「もちろん。今回の新人君の任務は――女の吸血鬼の討伐だね。もう何人も被害に遭っていて、奇跡的に死亡者は出ていないけど、いつそうなってもおかしくなさそう。対象は雨雲のような長い灰色(・・・・・・・・・・)の髪に金の瞳を持つ(・・・・・・・・・)、十代半ばくらいの少女の容姿」


 諳んじるフリーダに、ジズはうなずく。

 同時に漏れたため息に、彼女はまた初任務に挑む新人の不安ゆえだと勘違いしたのか「大丈夫だよ、私がついてますから」と励ますような声を出した。

 これにありがとうございますと返しながら、内心でジズはまたため息をつく。

 今回、異端審問会に潜りなおしたのはいつも通り吸血鬼の情報を集めるためではあるが……同時に、ある吸血鬼の情報を『消す』ためでもあった。


 誰あろう、ウィルへルミナのことである。


 と、フリーダは詳細をまとめたと思しき紙片を取り出し、読み上げる。


「二か月前に、辺境の村でお酒を飲んだあと、本性を現して周囲の人間から追われる。以降は異端審問会の追っ手を慣れた様子で振り切りながら、いまも国境線をまたいで逃走中。ですか……追っ手を撒いてる手腕は見事だけど、正体露見の経緯がだいぶお粗末だね」

「そうですね」


 ジズは同意する。だって、それ以外の感想が出てこない。

 お粗末にもジズと別行動中だったウィルヘルミナが、ミスをしたのだ。酔っぱらって馬車に轢かれ、その怪我を瞬時に再生する様を見せてしまい、村を混乱に陥れた。

 おかげで追っ手が際限なく現れるようになったので、仕方なくジズは彼女の情報が異端審問会から消えるように――『すでに討伐された』と思われるように、内部に潜り込んで『討伐したフリ』をする必要に駆られたというわけだ。

 しかし同行者がここまで強いのは予想外である。ジズは自分がうまく異端審問官を演じ、またフリーダに怪しまれずにすべてが済むことを祈った。



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