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悪役令嬢に転生した江戸っ子は、努力の方向が斜め上

作者: 西九条沙羅



私の名前はキャンディ。

この島国の、とある公爵令嬢のメイドをしている。

私には、昔から記憶に無いのに思い出がある、という不思議な現象が起きていた。

たとえば・・・



「あ~、メロンパン食べたい」

「何それ。メロン味のパン?」

「・・・メロン味では、無いんだよな~」

「???」



そんな感じで、共にすくすくと育った弟の頭に、いつも(はてな)の花を咲かせてしまっていたのだ。

だけど自分でも言葉にするまで、その対象がこの世界に存在していない事に気付かないのだから仕方が無い。私は悪くない・・・。



学園を卒業した私は、しがない男爵家の次女のくせに公爵家に就職する事が出来た。

しかし所詮は田舎の男爵家。公爵家のメイドの中では下っ端の方。常にどこかで掃除をさせられるような中級メイドの中の、下っ端も下っ端であった。でも貴族と言う名のピラミッドの、底辺の底辺にしがみついているだけの男爵家の娘でも、貴族は貴族なので中級メイドにはなれたのだ。

平民の場合は下級メイドとなり、それはもう大変な掃除になる。

洗濯機の無いランドリーメイドとか。

トイレの無い排泄物掃除とか・・・。


(・・・洗濯機ってなんだっけ? トイレって素晴らしい物だと思ってたのに、どういう物だったっけ???)



こんな風に、自分の頭にも(はてな)の花を咲かせる事が多々あるこの私。


そんな私が、何故幸運にもその家のお嬢様付きのメイドになれたかと言うと、ただこの黒髪のせいである。

この国で珍しい黒髪であった為にお嬢様から目を付けられた私は、お嬢様のお部屋付きのメイドに大出世したのである。ラッキー!

そうして対面したお嬢様は、金髪碧眼のビスクドールの様な大層美しい少女だった。



この国では珍しい黒髪を持った私を、毛色の変わったペットの様に連れ回したいだけだったのかは不明だったが、仕事がきつい中級メイドから引っ張り上げてくれたお嬢様に、私は尻尾を振ってすぐさま忠誠を誓ったでワン。



お嬢様は大人しい方で、その容姿も相まって本当にお人形の様だった。

12歳のお嬢様は午前中だけ令嬢教育を受けて、午後からはお部屋で静かに本を読んで過ごしていらっしゃる・・・。自発的に活発的には動かないお嬢様。


つまり、毛色の変わったペットとして私を連れ回したいのでは無かったようだ。

では何故私が部屋付きになれたのか、という最大の(ミステリー)が残ってしまったのだが・・・。

私はじっちゃんの名にかけて、このミステリーを解かねばならぬようである。むむむ・・・。





「なのに、どうして・・・」



私は現在、お仕事仕様に纏めた髪を解かれて、なぜかお嬢様に髪を梳かれている。

いや、なんで?



自発的に何もしないお嬢様。

しかし何故か私の黒髪を触りたがる。

お嬢様は私を定期的に呼び止めると、自分の鏡台の前に私を座らせて、そしてお人形ごっこの様に私の髪の毛をいじり出す。

そんな時は年相応の女の子の様に楽しそうにしていらっしゃるので、嫌だとは言えない。特に嫌でもないし。ただ謎が深まるばかり。



しかし私は、そんなちょっと変わったお嬢様が大好きだった。




そんな私達の関係性を揺るがすような事件が起こったのは、お嬢様が14歳になられた年。

同い年の第二王子の婚約者候補に選ばれたお嬢様は、定期的に王宮主催のお茶会に参加されるようになった。

しかしそれは、インドア派のお嬢様にはストレスだったのか、ある日お嬢様は部屋に居るお付き全員を外に出して、一人になりたいと言い出した。

私はお嬢様が心配だったので、机の上を片付けたりとしながら、他のメイドや侍女達より少しでも遅く部屋を出ようとした。

そこで自分一人だと思ったお嬢様がフライングし、ため息と共に吐き出したのが、



「お味噌汁が飲みたい・・・」




自分の頭の中が混乱の渦に巻き込まれている事などおくびにも出さずに、そして何も聞いていないかの様に、私は静かに部屋を出た。


雑用を片付けながら、私は心の声を出した。


「お嬢様も、転生者だったんだ・・・」


そうして声に出して、自分も転生者だったのだと改めて理解した。

忙しなく動かしていた手を止めて、自分の言葉を他人事の様に聞きながら、私は茫然とした。

そして思った。

何であの時、自分も転生者だって言わなかったのかって・・・。



私の中には、時々すました顔で冷静になる子がいる。

その子は、皆が盛り上がっている時などに、すんっとなって辺りを俯瞰して見るのだ。

そんな子が出て来ると、外面は皆に合わせて盛り上がっているフリをしていても、私の内面は冷めてしまっている。


そして、さっきもその子が出てきて、転生者告白をしようとした私を止めたのだ。

おい、ちょっと待てと。


もしも対等な立場だったら、言っても問題はない。

ヤベー奴だったとしても、離れるという選択肢があるならば。

だけど、現在の私とお嬢様は主従関係・・・。

万が一お嬢様の前世がヤベー奴だったとしても、離れる事が出来ない。



だから、言わない方がいいと、私を引き留めたのだ。ノーリスク、ノーリターンだと・・・。リターンないじゃん。



お嬢様に秘密を持ってしまった私は、何だか心にポッカリと穴が開いてしまったかの様に、ゼンマイ仕掛けのゼンマイが切れてしまったかの様に、その場に立ち尽くしたのだった。







*****




その後お嬢様は失言する事も無く、普通にいつも通りに過ごされていたので、私も聞いた事は忘れて、何事も無かったかの様に日々を過ごした。



それから1年後、15歳になったお嬢様は第二王子の婚約者に確定し、そして二人は揃ってこの国の貴族学園へと入学された。

一緒に入学式に参加するために、第二王子がお嬢様を公爵邸まで迎えに来た。

私は他の使用人達と一緒にお見送りに立つ。

お嬢様と同じ金髪碧眼の第二王子にエスコートされて、お嬢様が馬車に乗った後、私は一目散に自分の部屋へと戻った。全速力で。仕事を放棄して。



(やばいやばいやばいやばい・・・)



私は枕をぎゅーぎゅーに抱きしめながら、ベッドの上をごゴロゴロと転がった。


さっき第二王子の顔を見て、私は全てを思い出したのだ。

ここが前世でプレイした事がある、乙女ゲームの世界だと。

神絵によって興味を引かれたその乙女ゲームにのめり込んだ私は、あっと言う間に全ルートを攻略した。そして難関の逆ハーエンドを迎えると開いた隠しルートが、追加キャラの王太子ルート。

大好きな声優が担当している王太子ルートを、私は時間が許す限り何度も攻略しまくった。他の攻略対象者がしょぼく見える程、王太子のルートはキラキラ、どきんこどきんこ、鼻血ブーだった。



そんな思い出と共に、悪役令嬢のポジションにあるお嬢様に思いを馳せる。



お嬢様はいじわるそうな女の子から影で“お人形令嬢”と言われている。

確かに普段のお嬢様はその傾向がある。

いつもアルカイックスマイルで武装し、喜怒哀楽の表情がほとんど出ないのだ。


そしてそんなお嬢様を、第二王子殿下も人形の様でつまらないと常々感じており、この政略結婚に不満を持っていた。

その為ヒロインに恋をした殿下は、あっさりとお嬢様との婚約を破棄して、お嬢様を北の果ての修道院に閉じ込めてしまう。

正直、メインの攻略対象だがチョロい上に非道な第二王子を、私は好きになれなかった。

他の攻略対象者もそうだ。

だから王太子ルートが開いた瞬間から、王太子のルート以外プレイしていない。



話しがそれてしまったわ。ごめりんこ。



とにかく、男爵令嬢をいじめたお嬢様は修道院に閉じ込められてしまうのだ・・・。


あの美しいお嬢様が、おしゃれに髪を結わう事も無く、お似合いのパステルピンクのドレスを着る事も無く、あの無機質な修道女スタイルで、花の様な乙女の時間を無駄にしないといけないのだ・・・。



考えただけで、私の心は恐怖で慄いた。


(なんてもったいない!!!)



私は枕をギュッと抱きしめたままベッドに仰向けとなり、天井を見つめた。



「お嬢様は、この世界が乙女ゲームの世界だって、気づいているかな・・・」



ベストなのは、お嬢様がこの乙女ゲームを知っていて、断罪回避に向けて動く事。

次に何とかなるのは、この乙女ゲームを知らなくても、転生した時点で何らかの“ざまぁ”が来る可能性について警戒することだ。

今のお嬢様の性格を考えたら、たぶん虐めとかしないと思うし。

しかしもっとも最悪なのは、それら何一つ知らずに、何の対策も取らず、そしてヒロインが出て来た瞬間に話の強制力でお嬢様が狂暴化してしまった場合である。


私は胃がキュッとなるのを感じて、お嬢様と相談したいと切に願ったが、今更転生者だったことを言い出せないと枕に顔を埋めた。

あの瞬間に冷静になった自分を恨みつつ、されど今さらどうする事も出来ずに、私はその後悶々とした日々を送る事となるのであった。





お嬢様が入学して半年が経った。



普段からお人形の様に喜怒哀楽の薄いお嬢様は、学校で何かがあったのか無かったのか。無かったのかあったのか。

お嬢様の表情から読み解くことが出来ない私は、気になって気になって、二人きりになったタイミングで意を決して、お嬢様に第二王子との仲を問い質すことにした。

そろそろ胃に穴が開いて、食べた物がそのまま体内に流れ出てしまうんじゃないかと思うほど、私は毎日胃をキリキリさせていたからだ。


「お嬢様、最近第二王子殿下がお迎えに来られませんが、仲良くされていますか?」


かなり踏み込んだ質問で、メイド長に知られたら飛ばされるレベルの事だが、背に腹は代えられぬ。

と、いいながらもチキンの私は、メイド長が休みの日で、お嬢様と二人きりになった瞬間に勝負に出たのだ。


「殿下は生徒会で忙しい様なので、迎えに来られないだけよ」

「じゃぁ、学校では仲良く出来ているんですよね?」

「・・・・・」



(な~ぜ~だ~ま~る~・・・)



どう考えてもお嬢様は何の対策も立てておらず、婚約者との間に溝が出来ている様だった。

私は不安で耐え切れなくて、とうとうお嬢様に自分も転生者である事を打ち明けた。衝動的に。冷静な子は現在眠っているようだ。



「お嬢様も転生者ですよね?」

「て、てんせいしゃ?」

「隠さなくても大丈夫です。私も転生者です。以前にお嬢様が『お味噌汁が食べたい』とおっしゃっていたので、知っています。前世の、記憶がありますよね?」


お嬢様は驚いて、だけど、喜色を浮かべて何度も頷いた。


「だったら、何で断罪回避しないんですか!」

「だ、断罪?」

「そうですよ! え? ざまぁとか知りません?」

「ざまぁ?」


「まさか乙女ゲーム知らないパターン!」

「げえむ???」

「お~、まい、ごっど!!!」


どんどん頭に(はてな)の花を咲かせるお嬢様を見て、私はがっくりと膝と手をついてしまった。まさしくリアルorz・・・。


まさかの、一番最悪なパターンだっただなんて・・・。


そんな私をオロオロと心配そうに見下ろすお嬢様。うん、かわいい・・・。でも可愛いだけでは無断罪回避。



私は、この世界の事をお嬢様に話して聞かせた。

とりあえず今からでもざまぁ回避に向かって動かないと、こんなに愛らしいお嬢様が修道院に閉じ込められてしまうなんて、私が耐えられない・・・。

だけど、いくら説明しても、お嬢様の頭の|(はてな)が散る事は無かった。



「どこに引っかかっていますか?」

「その、乙女げえむと言う物が、よくわかりんせん・・・」

「・・・え? 存在自体知らない感じ? スマホ持ってなかったの?」

「すまほ? その様な物は初めて聞きんした」

「聞きんした・・・」


「あと、ざまぁというのも、よくわかりんせん」

「・・・え? 聞いた事ない感じ? え? ・・・わかりんせん?」


胸の前で所在無さげに手をモジモジさせるお嬢様、可愛い・・・。

じゃなくて、さっきからちょくちょく話し言葉が引っかかる。



「前世の記憶、あるんですよね? 何歳だったか覚えていますか?」



「わちきは、18歳になる前に吉原炎上で死したでありんす」





「ドラマでしか聞いたことない『ありんす』―――!


南方先生~~~!!!!!」




私の絶叫が公爵邸を震わせたのは、仕方の無い事だと思う。南方先生の気持ちが痛い程分かった。シチュエーション違うけど・・・。







私は常々思っていた。

何で現代社会の人間が転生すると、中世ヨーロッパに行ってしまうのかと。

なーろっぱという言葉があるように、そこは本当の中世ではなく、ただのパラレルワールドなのか。

でも、何故中世ヨーロッパなのか。俺tueeで無双するには現代テクノロジーの知識が必要だからだろうか。

ぽやんと生きて来た事によって、それで無双出来ない様な人間を、中世に送る理由は何だろうか・・・。


考えても答えは出て来ない。

だから、いつも深くは考えずに、ざまぁだけを楽しむためにネット小説を読んでいた。


そうよね、普通は同じ時間軸に生まれ変わるわよね。もしくは自分が生れた次代より後に生まれるわよね。

だから、令和から中世に転生した私より、江戸から中世に転生したお嬢様の方が、しっくりくるのは当然よね。



「・・・キャンディ?」



吉原っていつからあったのかな。



江戸からあったよね? だけど、明治でもあったよね? あれ? 大正だっけ?

知らねーよ。私平成だもん・・・。

今はヨーロッパ史で言うと何年ぐらいなんだろう・・・。



「・・・おくんなんし」


そういえば、最近出来た劇場とか、バロック建築が多いな・・・。ルネサンスが終わってバロックに移行している頃かな。

・・・だから、いつだよ!!!



(えーん!)



考え事をしていた私は、お嬢様に両肩をがっしりと掴まれて我に返った。


「キャンディったら!」

「・・・あ、すみません」



そうだった。


そんな歴史について考えている場合ではない。


今が何世紀でも何時代でも、そこの謎を解いても意味はない。

お嬢様が何も知らないのなら、私が断罪回避に向けて動かなければならないのだ。

今でこそ冷静な子が出て来て、冷静に分析しないといけない。これからの未来の為に。出でよ、ドラゴン(冷静な子)



私は、お嬢様の肩を両手でがっしりと掴み返した。傍から見れば変な格好である。お互いに肩を掴み合っているのだから。でも今はそれどころでは無い。


「お嬢様! 今らかでもざまぁ回避いけますよ! 一緒に頑張りましょう!」



それから私はみっちりとゲームの内容をお嬢様に叩き込み、第二王子と仲良くする様に説得をした。

そして私はと言うと、万が一お嬢様が失敗した時の為に、逃走の準備を始めた。

お嬢様が持っている宝石の中で思い入れの無い物を売って、多くの現金をお嬢様名義の外国の銀行に入れておいた。そしてスーツケースに数日分の着替えと、持ち運びしやすい小さな宝石も忍ばせて、使用人部屋の私の部屋のベッドの下に隠しておいた。

お嬢様も私も前世は平民である。

何とか二人でやっていけるだろう。


私は大好きなお嬢様と離れるなど考えも及ばず、一緒に逃げる決意をして、万が一の時の為に家族に別れの手紙もしたためておいたのだった。




そうして迎えた決戦の金曜日(卒業パーティ)。

王太子殿下が卒業される為、弟である第二王子とその婚約者であるお嬢様が、在校生代表としてパーティに参加することになったのだが・・・。



「お嬢様、本当にうまく行ってるんですよね?」

「ええ。キャンディが望むとおりに動いたから大丈夫よ」


お嬢様はお人形の様な美しい笑顔で返事をする。・・・その笑顔、安心出来ない。

じゃぁ何で第二王子はエスコートする為に、公爵邸に迎えに来なかったんだよ! という言葉を飲み込んで、私は馬車の中、お嬢様の対面に座ってお嬢様を見つめ返すしかなかった。



第二王子のエスコートも無しに、堂々と一人で会場入りするお嬢様。

私は胃がキリキリするのを感じながら、お嬢様の後ろをしずしずと歩く。


どう考えても逃走ルートである。


私はお嬢様を抱えて走らなければならない近い未来を考えて、シャンパンには手を出さずにブドウジュースで英気を養う。

お腹がいっぱいだと走れないけど、すぐにパワーの源になる糖分を取っておこう。

そんな私をお嬢様は、いたずらをした妹を見つけた様な、慈愛の籠る笑顔でたしなめた。私の方がめちゃお姉さんなんだけど・・・。


「大丈夫だって、言ってるのに・・・」

「でも、殿下が迎えに来なかったじゃないですか!」


そうやって話していると、第二王子の下品な大声が舞台の上から聞こえてきた。



「公爵令嬢! 前に出ろ! お前との婚約を破棄する!」



(ひ~~~~~!!! やっぱり断罪来た~~~~!!!!!!)



舞台に背を向け私に対面していたお嬢様は、私に底冷えがする程の冷たい、されど艶やかな笑顔を向けて、ただ一言こう言った。




「行ってくるわ」




その笑顔は決して、人形令嬢のアルカイックスマイルではなかった。



******




わちきが吉原に売られたのは7つの時を数える頃。

1両でも多く儲けたい売り屋は、ガリガリに痩せ細ったわちきに飯をたらふく食べさせて、綺麗なべべを着せて見世(みせ)へと売った。

おかげで、大見世とまではいかないが、そこそこに善良な見世で引き取られた。


(ここは天国、女郎にゃ地獄・・・)



売られてここに来た子供達は、多くが自分の不幸に泣いていた。

新しい環境に戸惑い、離れた親を想い、自分の不幸に泣き過ごす。

そんな奴らを横目に、わちきは元気にもりもりご飯を食べて、習い事に精を出した。

文字やお琴、三味線や踊り。色んな事を習えるなんて、わちきにはここが天国だった。


泣いてる子供達は、本当の地獄を知らんのじゃ。

春をひさぐというのがどういう事かは知らんが、食べる事が出来ん事ほどの地獄はなかろうに・・・。

地べたに生えた雑草を()み、石ころをなめて出て来る唾液を飲む日々。

また地獄の日々が始まると、朝が来る事を恐れるような日常。


そこに比べて、ここは天国じゃ。

豪華では無いが人間の食べ物でお腹を満たせ、雨風凌げる屋根のある部屋で、薄いが布団に入って眠れるのだ。


わちきは毎日朝が来る事に、感謝するようになった。

そうして前向きにお稽古事を頑張るわちきはメキメキと上達し、御楼主(ごろうしゅ)様と内儀(おかみ)さんに目をかけて貰えるようになった。

その証拠に、その見世のお職(人気ナンバー1の花魁)の姉さんの禿(かむろ)にしてもらえたのだ。

姉さんは優しい人で、将来自分の地位を脅かすかもしれない禿や新造(しんぞう)にも、自分の手管を指南して下さった。

わちきは姉さんの元でメキメキと腕を上げ、15を数える年に禿から振袖新造になった際には、新造出しというお披露目の道中パレードも出来た。

それにより、客を取る前の新造でありながら、わちきはその見世でも名を通した。

それから2を数える年に、わちきは客を取り、そして1年を終える頃には姉さんに次ぐ人気の花魁となった。


(注:禿(~14歳)新造(15歳くらいから)は、共に花魁の傍で修行したり、お座敷でお手伝いをしたりする子供の事。花魁道中で前を歩いている子供は、その花魁の禿や新造)



姉さんが身受けされて、次はわちきがこの見世のお職になる。

花魁道中が許された、その見世のナンバー1。

姉さんの禿として、振袖新造として姉さんについて歩いた花魁道中。

次はわちきの番だと思っていたのに、見世の火事に巻き込まれて、気づいたらここで新たな生を歩んでおった。






今日も朝がやって来た。



制服に身を包み、心配げに私を見送るキャンディを置いて、私一人が乗った馬車が学園へと発つ。


今では当たり前の景色が私の目の前に広がる。

馬車から降り立った私を、色々な視線がまとわりついて来る。

同情。軽視。そして無。

どの視線にも、関わりたく無いという意思が籠っているから、結局だれも味方では無いのだ。



その私の視線の先に、ピンクの髪をした男爵令嬢が現れた。

私に何かを叫んだかと思うと、私が一言も発しない内に第二王子が現れて、彼女が彼に縋りつき、そして彼は私に般若の顔で詰め寄ってくる。

その劇に一切私は関与していないにも関わらず、私は劇中の登場人物になっている。これが私の日常。


キャンディには、あんなに口酸っぱく男爵令嬢に関わらない様に言われたが、これは私のせいでは無いと言いたい。


劇が終わったのか、彼らが私の前から立ち去った。結局私は一言も話さなかった(セリフがなかった)


キャンディからは彼と仲良くする様に言われた。関係改善する様にと。

昨日は、そんな事は赤子の手を捻る様なものだと笑って言ったが・・・。



わちきにとって吉原は地獄では無かったが。

それでも涙で枕を濡らした事はある。

くやしくて。


非道な男の横で、悔しさに涙を堪えて、唇を噛みしめて肩を震わせた夜もあった。



そうじゃ・・・。


こやつはあの男にそっくりじゃ。


こんな男だけは嫌じゃ。



私は辺りを見渡した。

断罪を回避するルートは、別にこの男に媚び(へつら)うだけでは無いのではないかしら。


観衆が去る前に、私は劇を再開する。

悲しそうに伏せた瞳から一粒涙を零すことなど、お職まで駆け上がったわちきには造作も無い事。


私は、庇護欲をそそる様に、しかし誰にも軽んじられぬ様、孤高の花の様に、凛とした佇まいのままに一雫の涙を零した。


視線に含まれる感情が変わる。


「あ・・・」


私は周りの視線に今気づいたかの様に小さく動揺し、そして少し頬を染めて軽く俯き加減に顔を逸らして、細い指で目元の涙を拭った。


たったそれだけ。


近くに居た男子生徒が、おずおずと私にハンカチを差し出した。

私は困った表情のまま、彼にお礼を言った。


「見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ございません・・・」


消え入りそうな声で、だけどその場に居る人々に聞こえる様に。

だけどそれだけで、周りの生徒が私の元に近寄って慰めてくれた。


「公爵令嬢は何も悪くありません」

「あの二人がおかしいのです」

「殿下の側近達もあの男爵令嬢に侍って」



そんな人垣を超えてやって来た一人の男。

観衆が潮の様に引いて行き、私とその男の間に道が生れる。


新たな人物の登場に、私は心の中で満面の笑みを浮かべた。



そうさね。


わちきは一年でお職にまで上り詰めた花魁。



相手はこれぐらいでないと、・・・ね。




*****




お嬢様の笑顔にポッと頬を染めている間に、モーゼの十戒の様に割れた人の道を、お嬢様は堂々と舞台の方へと歩みを進めた。



「婚約破棄の件、承知いたしました。では卒業生である王太子殿下の弟君の婚約者でなくなったわたくしには、ここにいる資格はございませんのでお暇させて頂きますね」


乙女の様に頬を染めていた私は、我に返った。


やっぱり婚約破棄されたじゃん!


こわごわお嬢様の様子を見つめると、とても悲しそうな顔をしていらっしゃる。

そりゃ傷付くよね・・・。


しかしお嬢様は、その悲しい顔が演技でもあったのかと言うほどあっさりと、一礼をして私に振り向いた。

笑顔で。



「待て待て! まだ話は終わっていない!」


ですよね。

ありますよね、断罪。


あれ? 今、お嬢様面倒くさそうな顔しませんでした? ほんの一瞬だから見間違い???



「婚約破棄についてのお話でしたら、別室でいたしましょう。ここは卒業パーティで、先輩方のパーティです。そもそも殿下の後ろにいる腰巾着達には、このパーティに参加する資格すらございませんのよ」


ド正論で諭された殿下は顔を真っ赤にして怒りまくった。もの凄く小物臭がする・・・。

特に好みでは無かったが、一応乙女ゲームのメインヒーローであるのに。ちっさぁ・・・。



「お前は俺から愛されなかった事で、この愛らしい男爵令嬢に嫉妬して、醜い虐めをしたな! お前の様な女は王子妃に相応しくない! 北の修道院へ行け!!!」

「・・・・」



本当はここでお嬢様を抱えて逃走する予定だったけど、どう考えても滅茶苦茶過ぎて逃げる気が失せた。

というか、逃げる必要ある、コレ?


ゲームだから何とも思わなかったけど、リアルで見たら発言が馬鹿丸出し。


その時私は気付いた。

周りの全てが第二王子殿下御一行様を冷たい視線で見ていた。

パーティ会場にいる全員がだ。

先生も、パーティ会場の隅に居る警備の者も、一人残らず全員が・・・。



(これって・・・)



「お前こそこの会場から出て行きなさい」



そこで聞こえたのは、人気声優によるイケボと同じ声。

逆ハーエンドを迎えると開かれる隠れキャラ・・・。



「はわ、はわ、はわわわわ・・・」


お嬢様の後ろで奇声を発する私は悪くない。と、信じたい。



麗しの王太子殿下がお嬢様の前までやって来て、そうして壊れ物を扱うかのようにお嬢様の手を取った。


「公爵令嬢、うちの愚弟が申し訳ない。確かに婚約破棄をしたあなたには、このパーティに参加する資格は無いが、私のパートナーとしてこのまま参加して欲しい」



そう言って、王太子殿下はお嬢様の手の甲に、キスを落とすふりをした。

エアキッスである。いや~ん!


この行為に興奮したのは私だけでは無かった。

会場中の女子から、「キャーッ」という羨望(雄たけび)が聞こえる。





王太子殿下が、警備に第二王子殿下御一行様を連れ出す様に指示をしている間に、お嬢様は私に振り向いてこう言った。



「だから言ったでしょ。(わちきに落とせない男はおりんせんって)」




その艶やかな微笑みは、もう人形令嬢では無かったが、十代の無垢な少女の笑顔でも無かったのは、言うまでもない。





「あは、あは、あはははは・・・」




恐るべし花魁パワー。



学園中を虜にする、大型逆ハーを成し遂げるなんて・・・。





私は側に居たウェイターがトレーに乗せていたシャンパングラスと手に持っていたリンゴジュースのグラスを交換し、そのままシャンパンを一気にあおった。




うまい。もう一杯!








某N〇Kで吉原に関するドラマが始まったと聞き、一度は封印したお話でしたが、諦めきれずにえいや!と投稿してしまいました。


楽しんでいただけましたら嬉しいです^^


TVネタかな? と思うセリフで、何か分からなければネット検索してみてください^^

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― 新着の感想 ―
[一言] 途中までというか、断罪場面まででどうなるかと思ったら、逆転裁判というか何というかドンデン返しが面白かった。
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