第21話
初めはただ、仕事のつもりだった。
クラス委員長だから、同じ部活だから、そんな理由で担任の先生に頼まれた。
最近孤立している越島 孝太の面倒を見て欲しいと。
面倒くさいと素直に思った。
部活中も誰かと話している所を見たことがない。
と言うより、実力があるから話しかけずらい。
自分達とは違う世界の人間だと思っていた。
そんな考えが変わったのは、偶然彼の自主練を目撃したからだ。
部活が休みの日なのに、公園で一人練習していた。
天才だと決めつけて、彼の努力を見ていなかった事に気がついた。
「今日は部活休みなのに、わざわざ自主練?」
だから、面倒なんて思わず話しかけた。
話しかけられた孝太は、心底驚いた表情をしていたのを覚えている。
「しっかり休まないと、体壊すよ?」
「……別に、ちゃんと練習量は調整してるし」
「でも……」
「ほっといてくんない?一人になりたいんだけど」
そう言う孝太の顔が、とても寂しそうに見えた。
この時、孝太は学校で孤立していた。
部活動での成績が良かった彼は、他の生徒から妬まれ、嫌われた。
ただ必死に努力していただけなのに、周りはその努力を否定していた。
私もその内の一人だった。
「私は、越島君は悪くないと思う!みんなただ羨ましいだけだよ!本気になれるモノを持ってる越島君が!」
その言葉は、私自身に言い聞かせる言葉でもあった。
この日、私は彼の事を知りたいと思った。
知らなければいけないと思ったんだ。
それから、毎日のように話しかけた。
朝の挨拶はもちろん、部活中もとにかく一緒に行動した。
最初は煙たがっていた孝太も、少しずつ笑顔を見せてくれるようになった。
「咲穂、越島君と関わるのやめなよ」
友達からそんな風に言われることもあったけれど、私は彼と関わり続けた。
いつの間にか私も、純粋に楽しくなっていたのだ。
彼と話すのが、練習するのが、彼の笑った顔を見るのが。
そんなある日、それは突然始まった。
朝学校に登校すると、私の上履きが無くなっていたのだ。
探しても見つからず、仕方なく来客用のスリッパを履いて、教室に向かった。
「みんなおはよう!」
いつものように教室に入ってすぐ挨拶をした。
いつもなら、みんな返してくれていたのに、その日は誰も何も言わず、視線すら合わなかった。
(あー……これって)
すぐに察しがついた。
私は避けられていると。
昨日まで一緒に笑いあっていた友達も、私と目を合わそうとしない。
いつもノートを見せてくれと頼みに来ていた男子も、今日は別の子に頼んでいる。
私の周りには誰もいなくなった。
そして、ようやく理解した。
孝太が感じていた孤独を。
「おはよう、山下」
寂しさを感じていると、孝太が初めて挨拶をしてくれた。
それを聞くと、途端に元気が湧いた。
「うん!おはよう!」
クラスメイトに、友達に無視されるのは辛かった。
でも、孝太が居れば、私はそれで良いと思えたんだ。
思えていたはずだった。
ある日、私の練習着がビリビリに裂かれていた。
誰がやったかというのは明白で、後ろで3人の男子がクスクスと笑っていた。
「咲穂?どうかしたのか?」
登校してきた孝太が、私の様子を見て聞いてくる。
咄嗟に、練習着を隠した。
「ううん!何でもないよ!」
バレる訳にはいかないと思った。
もし、私がいじめられている事を孝太が知れば、自分を責めてしまうだろうと分かったからだ。
(絶対に、知られちゃダメ!大丈夫!私が我慢すればいいんだから!)
それからも、私へのいじめは続いた。
教科書を隠されたり、ぶつかられたり、今まで孝太相手にしていた事を私相手にしてくるようになった。
それでも、必死に隠した。
孝太や家族の前では平静を装った。
それが、知らず知らずの内に、私の心をすり減らしていった。
「痛っ!」
それは些細な事だった。
家庭科の授業中に、うっかり裁ち鋏を落としてしまい、私の手首を掠った。
傷は浅く、血が見えない程度出ただけだった。
けれど、私はその傷に目を奪われた。
「山下さん?どうかしましたか?」
先生に名前を呼ばれるまでボーッとしていて、心配される。
私は平気だと言って、鋏を拾い上げる。
すぐに裁縫を再開しなければならないのに、私は鋏と手首の小さな傷を見つめている。
傷を見ると、何だか安心する自分がいた。
その時、ビリッという音が私の前から聞こえた。
見ると、私が作っていた物を男子がビリビリと破いている。
「ちょっと!何してるんですか!」
気づいた先生が慌てて男子生徒を叱りつける。
しかし、男子生徒は笑っているだけで反省している様子はない。
そして、その行動は、ギリギリで保っていた私の心を完全に崩壊させた。
(こんな地獄が、いつまで続くんだろ)
目の前でビリビリになっている布を見ながら、そんな事を考える。
近くから、微かに孝太の声が聞こえた。
どうやら男子生徒に怒っているようで、取っ組み合いになっていた。
(あー、孝太にバレちゃった)
せめて彼の前では気丈で居たかった。
けれど、それももう叶わない。
ふと、手首の傷を見る。
さっき感じた安心感、それと同じものを今も感じる。
左手にはさっき拾った裁ち鋏がまだあった。
(……少しは、楽になるかな)
それからの事は、あまりよく覚えていない。
覚えているのは、私の手首から大量の血が流れていた事、周囲の叫び声。
そして、孝太の絶望した顔だった。
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それから、私は心の病だと診断され、入院が決まった。
誰もお見舞いには来ないし、来て欲しいとも思わない。
中学の卒業式にも出ることはなかった。
高校にも行っていない。
陸上部だからという理由で短くしていた髪も、今では肩にかかるくらいまで伸びている。
そして、右手首にはあの時の傷が生々しく残っている。
窓の外に見える大きな木に止まる小鳥を見つめていると、母からメールが来る。
明日、会って欲しい人が居るという事だった。
私は察した。
きっと孝太だと。
母曰く、あの日孝太は、大雨の中私の家まで来て、母に謝罪をしたそうだ。
地面に頭を擦り付けて、必死にしたそうだ。
そんな孝太を、母は憎めなかった。
母からすれば、孝太と関わったから自分の娘が傷ついたと考えてもおかしくないのに。
少し窓を開けると、冬の寒さを感じさせる冷たい風が吹く。
長くなった髪がなびき、私の背中へと流れていく。
あの日以来、孝太には会っていない。
久しぶりに会う彼は、どんな姿だろう。
あの絶望に満ちた顔をしているのだろうか。
それとも……