第二章第三幕
黒い髪が空に靡く。その光景を見るのは実に久しぶりだ。
最近は銀色の髪ばかりをしていたお陰かこの姿をするのは十年以上ぶりかな。
しかしこの姿をするといろいろ不便があるので、気配を出来るだけ消して力を解放。見慣れた銀の長髪が空を舞い、身体に力が流れてくる。
そしてその力を足に集中させ、跳躍。眼下の森を飛び越えて、先程の情報どおりに佐上邸へと急ぐ。
どくんと、心臓が大きく音を立てた。
夢幻のソラ 第二章第三幕
「結局行かなくてよかったんですか、分局長?」
瑞樹君が実家へと帰った日の深夜。私は事務所で佐上分局長と向かい合っていた。
「よかったんだよ。彼は君の話だと案外けろっとしていたようだから、直接彼女にあって話すのもいいと思うんだ」
成程。直接あって話す、か。
「…あ、待ってくださいよ。それじゃあ、彼女は今、絹乃杜にいるんですか?」
「うん。いるけど何か問題でもあるのかい?」
「ありますよ、これは仮説ですが彼女は恐らく神憑です。そんなものと一緒にするのは危険だと思いますが」
私の調査だと彼女――佐上瑞枝は恐らく神憑。相手の戦力が計り知れない状態で人と故意に近づけるのは危険だろう。
そう思ったのだが…
「ああ、それなら心配要らないよ」
目の前の彼はそう言い切った。
「――そもそも彼女の目的が“殺害”ならばもうとっくに仕事を終わらせているはずだから。
それに彼女の目的は“接触”みたいだからね。これは僕の推測だけど」
私の何故、と言う疑問はすぐに解消された。
「でも瑞樹君には彼女が神憑であることは伝えたほうがいいと思うんですけど」
「確かに。それは一理あるね」
「それじゃ、どうします?」
「…手紙でも書くよ、分局長名義でね」
分局長名義ということは、まだ自分の職を瑞樹君には明かすつもりは無いらしい。
「ならパソコン貸しますから、書いてください。それとも便箋のほうがいいですか?」
「便箋は遠慮しておくよ。君のところの便箋は高そうなものばかりだからね」
アンティークの小物の中に紛れている便箋を見ながら言う彼の目が本気だったのを記憶しておこう。
「たしかあれは100枚組みで一万円以上しましたよ」
「…パソコンを借りるよ」
値段を聞いた途端彼の顔が一瞬安堵したものになって面白かったことも記憶しておこうか。
◇
「瑞樹様、おはようございます」
「あ、苑田さんおはよう」
朝、起きて居間へと行くと苑田さんが割烹着を着て朝食を作っていた。
「そうだ苑田さん。怜美って起きてきた?」
「まだ起きられていないと思いますよ」
「うん、じゃあ起こしてくるよ」
「ええ、お願いします、それと瑞樹様宛てに手紙が届いていますので」
「じゃあ戻ってきたら確認するよ」
「はい、分かりました」
僕に向かって一礼する苑田さんは凄いと思う。家政婦の鑑ではないだろうか。そんなことを考えながら、怜見のいる離れへと向かった。
…
「あ、マスター」
「ああ、レンおはよう」
離れへと向かう廊下の近くの中庭にレンがいた。
「レン、そこに何かいるのか?」
彼女が覗き込んでいたのは中庭の池。何かいたようないなかったような気がするが詳しくは覚えていない。
「ええ、ここに鯉が数匹」
「そうなんだ」
鯉、なんとなく記憶にあるような、無いような。
彼女はのんびり、ほんわかした表情で鯉を眺めているし、怜美を起こしに行くか。
…
「怜美〜、起きて…」
「み、瑞樹っ!?」
ドアを閉めた。怜美が部屋の中で着替えをしていた。そんな中でドアを開いたものだから彼女の下着姿を見てしまった。ドアの向こうでなにやら恥ずかしそうに呟いてるし。
「…で、み、瑞樹はどうしたの?」
「いや、怜美がまだ起きてなさそうだったから、起こしに来てたんだけど…」
気まずい沈黙。ノックぐらいはすべきだったと、いまさら反省しておく。
「そ、そんなことなら大丈夫だよ。先に行ってて…」
「あ、うん。分かったよ」
気まずい沈黙は続く。気のせいかこの空間から抜け出したくて小走りでこの場を立ち去った。
…
「苑田さん、手紙ってどこにあるの?」
先程苑田さんが言っていた僕宛の手紙、一体誰からのものだろうか。
「はい、これでございます」
「ありがとう」
苑田さんが取り出したのは一つの封筒。消印は青山市の郵便局で恐らく差出人は黄空さんだろう。第一、僕がここにいることを知っているのはそれくらいしかいないわけだし。
そう思い、封を切る。そこに書いてあった差出人の名前は予想を大きく反するものだった。
――全魔術協会日本支部第三分局長
差出人の名前はそう書いてあった。
全魔術協会日本支部第三分局長と言えば僕たちが所属している組織の青山、藍川地区のトップだ。そんな人が僕に何か用だろうか。
内容を知るため、落ちたたまれた紙を開いた。
◇
佐上邸。私が絹乃杜に来て見た建物の中でも1、2を争う豪邸なんじゃないかな。
「それにしても広いなぁ…」
ざっと見ただけでも、母屋、離れが二つ、中庭などの建物があってあのころと全く変わってない。しかし一つだけ変化があった
「っ!?」
中庭を散歩している一人の少女。金髪碧眼の昨日の夜、彼と一緒に歩いていた少女だ。
何処かで見たことのある少女なんだけど…。思い出せない。
…この姿を見つけられたら困るし、早くここから退こうかな。もう一度夜に来ることにしよう。