98 魔王の使徒
思えば、あれから1年以上の時が経った。
いま俺を階段の踊り場から見下ろしているミニチュアシュナウザーの「カール」、コイツにボロ負けし、プーと一緒に脱走する計画を潰されたあの日から。
プーとはその後、偶然に会うことができたが、今はどこにいるのか。まだその居場所は掴めていない。
コイツがあの日、俺たちの邪魔をしなかったら……思い出しては後悔の念を抱き、眠れなくなった夜は10本の指では足りない。
しかもコイツは「魔王の使徒」。俺は魔王を倒せるという、伝説の「勇者」だ。魔王を倒す前に、必ずコイツを倒さねばならない。
ミニチュアシュナウザーのカールは、ゆったりと一歩一歩、踊り場から階段を降りてくる。随分と余裕の態度だ。
今の俺は「サモエド」に進化している。四天王のうち2匹を、わずか一撃で倒すほどの力を手に入れている。
それなのに、それを知っているはずなのに。
カールは余裕の態度で、俺の目の前に立った。大型犬の俺からすれば、こんな小型犬なんか一撃で倒せそう、いや間違いなく倒せる。
なのに。
「どうした、勇者モフ君。決着を着けるんじゃなかったのかい?」
俺を見上げながらカールは余裕ある態度で語りかけてくる。
そのとき俺はカールを見下ろしながら、とてつもない違和感を感じていた。
コイツの余裕は、きっとハッタリではない。何かがある。
そうだ。ひとつ、あることを思い出した俺は目の前のカールに話しかけてみた。
「お前……『魔王のチカラ』を分け与えられるらしいな」
「うん? ああ、脱走した豆之助から聞いたのか。なんだ、お前も魔王様のチカラを分けて欲しいのか?」
「予知能力に強力なパワー、さらに賢くすることができるらしいな。他には何かあるのか?」
カールはさらにニヤニヤしたような笑顔で答える。
「他は特にないな。あとは魔王様しか使えないことばかりだ」
「魔王とは……一体何者なんだ?」
突然、カールは体をよじらせ、哄笑をはじめた。
「ハーッハッハッハ、お前、魔王様のことを知らんのか? こりゃ傑作だ! まさか勇者様が、魔王様のことを知らんとはな!」
くそ、イラつくヤツだ。怒りが増してきて、今にもコイツを攻撃してしまいそうだ。いや待て、もう少し情報を聞き出した方がいい。いまは我慢だ。
「ヒーッヒッヒ、そりゃそうか。元々は弱っちいポメラニアンに過ぎんからな! よおし、今日は特別に教えてやろうか」
ゴクリ。ついに、魔王の正体が、魔王の使徒の口から語られる時が来た。
「フフフ。では教えてやろう。魔王様の正体はな……」
その時だった。
階段の上から、目にも止まらぬ速さで、茶色の物体が魔王の使徒・カールに襲いかかった。
だが、紙一重でその攻撃をかわすカール。その勢いで一回転し、再びこちらをチラリと見ると、カールは再び俺に話した。
「せっかくいいところだったのにな。先に、コイツを片付けた方が良いのかな?」
「ねえ、知ってる? 真の戦いの天才である僕がやってきたからには、お前はもう終わりなんだよ」
もちろんそれは、ヨコハマ決死隊弍番隊隊長、柴犬の豆之助だ。弍番隊は隣のビルから3階に突入していたのだが、どうやら上は片付いたようだ。
「4階はファンキーとドンキーたちに任せてきたんだよ。モフ、2匹がかりで、まずはコイツを倒すのがいいと思うんだよ」
豆之助の言う通りだ。コイツを倒せば、今晩の俺たちの勝ちは確定するだろう。だが魔王の使徒は何事もなかったかのように、まるで世間話のような口調で豆之助に語り出した。
「久しぶりだな、豆の。お前、何で逃げ出したんだ?」
「この天才犬の僕に、いろいろ面倒なことを命令するからだよ」
「俺がお前に能力を与えてやったのを、忘れたわけではないだろう?」
やはり、おかしい。
豆之助の実力は、魔王の使徒・カールが一番知っているはずだ。しかもこの場には、勇者である俺もいるのだ。
それなのに、コイツのこの余裕すぎる態度の根拠は、何なのだ?
「モフくん、とりあえず僕がコイツの動きを止めるよ」
そう言うと、豆之助は大きく息を吸い始めた。
これは、あの大音声の吠え声の前兆だ。俺は慌ててその場に伏せ、耳をふさいだ。
「ウォーーーーーン!」
「グワオォーーーーーーーーーン!!」
豆之助の絶叫に、カールの更なる絶叫が被せられた。
耳をふさいでいても体全体に響くような、骨まで震えるような絶叫を、魔王の使徒は放ったのだ。
「キャイン!」
豆之助は後ろに一回転すると、その場にバサリと倒れた。そのままピクピクと体を震わせ、口から泡を噴いている。
耳をふさいでいる俺ですらダメージがありそうなのに、目の前で絶叫を食らった豆之助はひとたまりもないだろう。
そしてカールは豆之助を一瞥すると、今度は俺に向き直る。
「これ、便利だろう? 豆の奴に与えた能力は、俺のこの『絶叫砲』のほんの初期段階だ。ま、言うなれば単なる大声を与えただけなのだ」
『絶叫砲』……それは、俺が不意にコイツに飛びかかっても、すぐに対処できる攻撃方法だというわけだ。くそ、厄介な。
「そしてな、モフ。俺の『絶叫砲』は、単に相手を無力化するだけではないんだ。これを食らったヤツはな……」
そこまで話したところで、倒れていた豆之助がムクリと起き上がる。良かった、まだ豆之助は戦えそうだ、と安堵したのはほんの一瞬だった。
「これを食らったヤツは、俺の思い通りになる、つまりコイツは、再び魔王軍の仲間となったのだ」
「グルルルル……おい、白犬。今度は僕が相手になるんだよ。カール様からいますぐ離れるがいいんだよ」
なんてこった。
ヨコハマ決死隊弍番隊隊長、豆之助の目は、すでに俺たちが知る正気の眼差しではなかった。
豆之助は再び、魔王軍の配下となってしまったのだ。




