94 横浜支部の偵察
佐藤パパさんが考えた作戦、それは。
以前豆太郎の手引きでサバトラが侵入した魔王軍の横浜支部に侵入し、偵察をしつつ盗聴器を仕掛けてくる、というものだった。
盗聴器はサバトラが首に巻いた黄色いバンダナに入れ、持ち運ぶことにした。
1990年1月3日の早朝。
俺はサバトラ、そして柴犬の豆之助と共に、魔王軍の支部があるという場所に向かう。
たどり着いた場所は、横浜市の黄金町だ。この時代の黄金町はまだ昭和の香りと雰囲気がふんだんに残されている、実に怪しげな街だ。
説明しよう。
横浜市中区にある黄金町は、令和の世ではファミリーマンションなども立ち並ぶクリーンな一角として生まれ変わっているが、元々は「青線地帯」と呼ばれる裏風俗や違法風俗店が立ち並ぶ街で、昭和から平成初期ぐらいまでは普通の人は立ち寄りがたい雰囲気もある街だったのである。
「たしかこの辺りだったよニャ、豆之助?」
「知ってる? 普通は一度行ったらその場所は覚えて当たり前なんだよ。サバトラはやっぱり頭が悪いと思うんだよ」
「そこまで言うことないニャー、照れるニャー」
けっこう酷いことを言われているのに、あまり気にした様子でもないサバトラ。こいつ、メス猫以外の動物にはハートが強いとこあるよな。
「あ、あったあった。あのボロビルだニャ」
サバトラが右足で指したビルを見ると、これって戦前から建っているんじゃないの? と思えるほど年季の入ったビルで、いわゆる「廃ビル」だ。入り口という入り口に工事中の黄色い看板が貼ってあり「立ち入り禁止」の表示がある。
「すごいなここ。どこから入るんだ?」
「知ってる? 1階から入る場所はないから、隣のビルの裏口から入るんだよ」
そんなの初見の俺が知るわけないだろ、と思いつつ、先導する豆之助についていくサバトラと俺。
隣のビルも結構ボロいが、こちらは廃墟ではない。裏口は開きっぱなしで、そこから非常階段を使い3階まで登る。
すると、非常階段の途中に板が置いてあり、そこから隣のビルに渡れるようになっていた。
「ちょっと待てよ、豆之助。いきなり行くのはマズいんじゃないか? 見張りがいたらどうするんだよ? ここ、魔王軍の支部だろ?」
「ねえ、知ってる? 僕は結構強いし、そんじょそこらの動物には絶対負けないんだよ。それに第一、今は動物のニオイがしないんだよ」
豆之助に言われ、俺もニオイを嗅いでみる。さまざまな動物のニオイがするものの、強いニオイは感じられない。つまり、今は動物がいないであろうと思われる。
「なるほど、了解」
豆之助はその発言からアホ犬に見えるが、本人が語る通り意外に頭も良いし、状況判断も優れているようだ。ちょっとはコイツのこと、素直に見直さないとね。
豆之助、サバトラ、俺の順番で板を渡り、魔王軍横浜支部のある廃ビルに侵入。板が渡してあるビルの3階、ガラスが割れている窓から建物に侵入した。割れている部分は50センチ程度で、人間もまあ通れなくはないが狭い。だが俺たち動物は余裕で通り抜けられる。ただし大型犬だと入りづらそうだ。
侵入した部屋はもともと更衣室だったのか、ボコボコに凹んだロッカーが両側にある、狭い部屋だった。その先に開けっぱなしのドアがあり、廊下につながっている。
「ビルの2階部分に階段で降りるニャ。そこに大きい部屋があるんだニャ」
2階に降りると、そのフロアは階段から直接繋がるワンフロアの部屋だった。大きいとはいえビルそのものがあまり大きくないため、大きめの会議室といったぐらいの大きさの部屋だ。
「すごいなこの部屋。いろんな動物の毛が落ちていて、ニオイも強烈だ」
この部屋に100匹以上の動物がいた、ということがこのニオイだけでもわかる。
部屋の片側には長テーブルが置いてあり、そのテーブルに登れるようにするためか、椅子などが階段上に並べてある。
「このテーブルで、『魔王の使徒』ミニチュアシュナウザーが動物たちに演説してたニャ。僕と豆之助は、階段から見つからないように見ていたニャ。そしたら数匹の猫が上に登ってきそうになったので、慌てて逃げたニャ」
「なるほどね。だとすると、盗聴器を仕掛けるのは……」
俺は長テーブルの下に入り、鼻先でテーブルの裏を指し示す。
「このテーブルの裏かな。ここならどの動物からも見えづらいし、シュナウザーにも見つからないだろう」
豆之助も無言で頷く。
「ガッテンだニャ。モフ、ビニールテープを千切るのを手伝って欲しいニャ」
テープの先をサバトラが押さえ、俺はロールの方を足で伸ばしていき、20センチほどで噛みちぎる。
俺と豆之助が運動会のピラミッドよろしく下になり、その上に乗っかったサバトラが、盗聴器をテーブル裏に器用に貼り付けた。
「ちゃんと作動中の赤ランプ点いてるか?」
「バッチリにゃ!」
盗聴器は電池で作動し、10日ぐらいは保つらしい。さあ、盗聴器の仕掛けが終わったら早々に立ち去らないと、どんなトラブルがあるかわかったものではない。
「じゃ、出るか」
「ちょっと待つんだよ。せっかくだからビルの1階と4階も見なくていいの? せっかくの偵察なのに、これだけで帰ったら片手落ちなんだよ」
うーん、確かに豆之助の言うことも一理ある。
「豆之助は行ったことがないのか?」
「知ってる? 僕は魔王軍に入ってたけど、見ての通り頭が良くて下っ端ではないから、他のところには行かなくてもよかったんだよ。でも下っ端の動物は、よく1階に降りて行ってたんだよ」
「なるほどね。じゃ、1階から見に行ってみるか」
階段から1階に降りる。階段の途中で、俺の鼻が何かのニオイを感じ取った。これは、ドッグフードやキャットフードなどの匂いだ。
降りてみると、1階は玄関フロアで、受付とロビーになっている。ちなみにこのビルにエレベーターはない。玄関は外から見た通り閉じられていて、板で内側からも厳重に閉じられている。外から浮浪者が入らないようにしているのだろう。
異様なのは、そのフロア全体にある、数多くの「餌入れ」だ。犬猫が餌を食べる、プラスチックの容器が数十個置いてあるが、どれも空っぽだ。部屋の壁沿いにはプラスチックの収納ケースがたくさん置かれていて、そこからドッグフードやキャットフードの匂いが微かにする。
「サバトラ、収納ケースの蓋を開けてみてもらえるか?」
「了解だニャ」
蓋を開けると、そこにはキャットフードが半分ほど入っていた。
想像するに、ここは「動物軍の食堂」だろう。だがどうして、わざわざ食堂なんてものを、支部に作る必要があるのだ?
……考えられるのは、ただ一つだ。
「サバトラ、キャットフードを少し持ち帰る……おい!」
見ると、サバトラは収納ケースの中に入り込み、夢中でモグモグとキャットフードを食べているではないか。
「やめろサバトラ! その餌、もしかしたら何かの薬が……」
だが、遅かった。サバトラは「ウニャー!」と一声わななくと、収納ケースの中にパタリと倒れ込んだ。
「こいつ、心底バカなんだよ。どうやらこのエサ、睡眠剤とか催眠剤とかが含まれているみたいなんだよ。僕ぐらいになると、鼻でわかるんだよ」
だよな、と俺も同意するが、猫であるサバトラは犬ほど嗅覚が鋭くない。ましてサバトラは長い旅暮らしのせいなのか、食べ物を目の前にすると自制できない悪癖があるようだ。
「仕方ない。重いけど、コイツを背負って脱出しよう」
俺はサバトラの首を噛んで収納ケースの外に出し、豆之助の足を借りて背中に乗せてもらう。流石に小型犬である俺が猫を背負うのは、少し辛いが仕方ない。うーん、このまま階段を3階まで登るのか……
「ぐぐぐ、うう、重いなこのバカ猫」
2階まで登ったところで、俺は一度休憩する。
「モフ、休んでいる場合ではないんだよ。僕の優れた聴覚によると、4階から足音が聞こえるんだよ。入る時はニオイがしなかったから、僕たちが2階か1階にいた時に入ってきた動物っぽいんだよ」
「くそぅ、わかったよ」
再び力を込め、サバトラを背負い直す俺は、歩みを3階に向け、一段一段登っていく。だが、3階まであと五、六段というところで、4階から数匹の動物が降りてくる足音がする。
「ヤバいんだよ。仕方ないから、僕が降りてきた動物をやっつけるんだよ」
「おまえ1匹で大丈夫か?」
「僕の実力を侮ったらダメなんだよ。モフはサバトラ連れて、隣のビルに逃げるんだよ」
「わかった」
俺は階段を上り切ると、出入り口のあるロッカールームの部屋に向かう。
その時、4階からの階段の踊り場に、3匹の犬が降り立った。
俺は歩きながら横目でチラリとその犬たちを見る。すると……
犬たちはヨダレをダラダラと垂れ流し、荒い息をしている。その目は、まるで狂犬病に罹った犬のように、真っ赤に血走っている。
明らかに、普通の状態ではなかった。
「豆之助、ヤバそうだぞ!」
「僕は余裕なんだよ」
言うなり、豆之助は猛スピードで階段を駆け上る。そのスピードは、まさに目にも止まらぬ速さ、という表現がピッタリなほどだった。
「ねえ知ってる? 僕に逆らった動物は1匹たりとも生かさないんだよ」
その後起こった惨劇に、俺は思わず逃げるのを忘れて立ち尽くし、目を見張った。




