85 けんかをやめて
佐藤家が住むメゾネットタイプのアパート横にある竹藪、その前の道路。
そこで待ち受けていた影が俺に話しかけた。
「モフ、待っていたぞ」
俺はその声を聞いて、すぐにその動物が何者かを知った。
「チャトラン、どうしたんだ、こんな夜遅くに」
「いや、おまえの家を訪ねたら不在でな。帰りを待っていた」
「どうした、何かあったのか?」
虎柄の大猫で、この辺りの猫の女帝であるチャトランは、音も立てずに俺のすぐそばにやってきた。
「おまえに頼みというか、話、があってな。急ぎではないんだが」
「なに? やっぱり何か事件でもあったのか?」
「この前、アフロディーテ様と会ったとき、言われたんだ」
あの姫、アフロディーテが何を言ったというのだ? なんだかちょっとトラブルの匂いがしてきたなぁ……
「モフ。あの新二子橋の戦いのとき、私がおまえを呼びに行ったのを覚えているだろう?」
「ん、もちろん覚えてる。あれからずっと戦い詰めだった夜だよな」
「そうだ。あの時おまえ、あのバカメス犬のナツキと何か話してたよな」
バカメス犬……やっぱりチャトランはナツキのことがよっぽど嫌いなんだな。
「その時の会話を、実はアフロディーテ様が聞いておってな」
「は? あの時アイツはすぐに帰ったはずだけど……」
「アフロディーテ様はああ見えて、周囲の色恋沙汰が大好物でな。おまえとナツキの話を、隠れてずっと見聞きしていたというのだ」
おいアフロ姫、何してくれてんねん! お前、そんな覗き大好きキャラだったんかい!
「そ、そうなんだ。ということは、俺たちの話は……」
「ああ、全部アフロディーテ様から聞いた。一言一句違わず、な」
あちゃー。ナツキが俺に告白していたのを知ってしまったか……
「アフロディーテ様はいたく悔しがっておられた。私が邪魔をしたせいで、せっかくの告白シーンが最後まで見られなかった、とな」
「なんだんだよ、アイツ!」
「で、おまえは何と答えるつもりだったんだ?」
ギロリ、とチャトランは俺を睨むように訪ねた。ちょ、ちょっと怖いって。そもそも俺とチャトランさん、別に付き合っているという訳じゃないじゃん。それなのに、浮気男を責め立てるようなその目つきはヤメテ! 心臓に悪いよぉ。
「……まあいい。それは、おまえが決めることだ。私が口を挟むことではないな」
「あ、ああ。そうだね」
ホッ、と俺は胸をなでおろした。チャトランさん、怒ると怖いからなー。
「で、だ。私もこの際、おまえにハッキリと伝えておきたい。私は猫だが、おまえが好きだ。子供は作れないが、一生お前と添い遂げたいと思っている」
豪速球のストレート球がど真ん中に投げ込まれた。俺は、この豪速球をどう処理したらいいんだ?
「あ、あのね、チャトランさん」
ギロリ、と再びチャトランは強い眼差しで俺を睨むように見た。だから、怖いって。
「俺ね、あの。実はね……」
「実は、私のことが好きなのぉ!?」
後ろから可愛らしい大声が突然投げかけられた。
「キャン!」
今度こそ心臓が口から飛び出そうになった。いや少しぐらい飛び出た気がする。慌てて声のした方を振り返ると、そこにはなんと、可愛らしいヨークシャー・テリアのナツキが、うるうるした瞳で立っていた。
「そうなの? その化け猫じゃなくて、実は私のことが好きなの?」
「誰が化け猫だ、クソガキ!」
「ナツキ、おまえ、なんでこんな時間に……」
「だって、ニュースでモフくんが死んだって言ってて。わたし泣きながらここに来たのよ。そしたら生きてて、そのオバタリアンに迫られてたから……」
「誰がオバタリアンだ、メスガキ! ぬっころすぞ!」
あああ、なんだかメチャクチャだ。
全身の毛を逆立て、本当に化け猫みたいになって戦闘体制をとるチャトランと、尻尾をピンと立て、唸り声を上げるナツキが、まさに今ラグナロクを起こそう、といった体で向き合っている。
「ちょっと2匹とも。けんかをやめて!」
「お前は黙ってろ!」「モフは黙ってて!」
メス2匹は揃って怖い顔で俺に怒鳴った。2匹とも、ガチで怖いっすよぉ……
と、そこに。のんびりとした男性の声が割って入った。
「どうしたんだい、こんな夜中に。チャトランさんと、あとキミは隣の地区のナツキちゃんだったっけ?」
それは、パジャマ姿の佐藤パパさんだった。日本語ではなく、動物語で2匹に話しかけている。
「夜中に猫のブミャーって鳴き声と、犬のキャンキャンって鳴き声がうるさくてね、目覚めちゃったよ。近所迷惑だから、やめてもらえるかな?」
「あ、それはすまない……」
「ご、ごめんなさい……」
人間の大人に動物語でキッチリと非を指摘され、チャトランもナツキも冷静さを取り戻したらしい。確かに今は真夜中、ギャーギャー喧嘩をして騒ぎ立てる時間ではない。
「ま、ちょっとだけ話を聞いていたから、佐藤のおじさんから2匹に忠告しておくよ。うちのモフは奥手だから、相手からガンガン言ってくる女の子は苦手だよ?」
「ニャンと?」「ワフン?」
2匹が目を丸くした。おっとパパさん、俺そんな女性の好みの話、したことあったっけ? ま、嘘も方便ってやつか、さすがだよ。
2匹はすっかりシュンと項垂れてしまい、やがて言った。
「モフ、すまない。今夜はこれで失礼させてもらう」
「……私も帰る。ごめんね、変なこと言っちゃって」
虎柄の大猫とヨークシャー・テリアは、二手に分かれてとぼとぼと立ち去っていった。あらら、2匹ともすっかりしょげ返っちゃってるね……
「とにかくパパさん、助かったよ」
「モテる男はつらいねぇ、モフ」
俺たちは顔を見合わせ、なんとなく笑い合った。前世でも飼い主と飼い犬の関係だった俺たちだ。今は立場が逆になってしまったが、やはりこんなところは気持ちが通じ合うな。やっぱいいな、男同士って。
「ところでパパさん、ちょっと相談したいことがあるんだけど」
「うん? 何だい?」
「ワンニャン王国のことで」
パパさんは眉根をひそめて、真剣な顔で俺に言った。
「……ちょっと、家で続きを聞こうか」




