第四話 霧江ノ覚醒
大司教のいる本堂へと上昇していくエレベーターの中で、二人は沈黙を維持していた。だが、彼らの表情を視れば分かる、お互い、言いたいことがたくさん有るのは………。
「そろそろ、再会を喜ばせてくれないか、とでも言いたげだな、霧江………」
やがて、沈黙が破られる。
「そちらこそ、目尻から今にも零れ落ちそうなその水滴は何だ?」
霧江は二年前そのままの、友人と話すときの口調で問い返す。
「だ…だって…………仕方が、ないだろう、嬉しいんだからっ………!!」
慶の目尻に溜まっていた物が一気に噴き出した。大量の水滴。涙である。親しい相手とはいえ、簡単に泣き顔を見せるわけにはいかないと思っているのか、眼を掌で覆い、俯いて泣いている。
霧江は4割が慶を慰めようという気持ち、六割が下心で、彼女を自分の方に手繰り寄せた。少し抵抗されたが、すぐに受け入れてくれた。胸元に、深く彼女を抱き込む。
改めて、可愛くなったものだと、霧江は思う。
まぁ、会った頃から可愛いとは思っていたが、大人びた彼女を見るのは、なかなか嬉し恥ずかしいところがある。
俗にいう萌えである。それが死んでいる筈のものとは、彼は既に忘れていた。
「慶、俺は、お前に謝らなければならない。向こうの世界では、俺はお前を殺したようなものなんだ……」
「それなら、謝らなければならないのは私も同じだ。私は、お前をナイフで刺し殺したんだから………っ」
彼女の声は震えている。それは、彼女がこれまでの二年間溜め込んできた罪悪感が飽和し、溢れ出してきているものだった。
「ナイフで心臓を突き刺したんだっ………何があっても絶対守ってやるって言ってくれたのに………裏切ったから……!!!!」
霧江は慶が背負い続けてきた十字架を、ここで降ろしてやろうと決めた。
「俺達は互いに罪を犯した。だから、ここで、全て許すことにしよう、償うんじゃなくて、許し合うんだ。言葉でな。………ここで贖罪だ。これまでの恨みは、全て帳消しだ。そして、これからどうするかを考えよう、どうすれば、二度と間違わないのかをだ……」
「今、二人とも確かに生きている。しかし、だからこそ、再び失うのが怖い……」
「その恐怖が消えるまで、俺はここに居よう…」
その後慶が調子に乗って彼女の胸元に手を伸ばしてきた霧江を蹴り飛ばしたのは、エレベーターがカタコンべの本堂に到着する数十秒前のことである。
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地上では、カタコンべのゲリラ兵が、マズダの進攻からカタコンべの入口を守っていた。だが、機動力の高いマズダの攻撃に、要塞から重機関砲の銃弾を放つ兵士たちは、次第に押されつつあった。
今回のマズダは、両腕がマシンガン、尾の先からは毒液、口からは鎖で口内に繋がれた二本の矢を放って攻撃してくる、鋼鉄のサソリの姿をしている。全長5メートル、装甲は灰色だ。
サソリは兵士たちをマシンガンで駆逐しながら、徐々に要塞の防衛力を弱めていった。
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エレベーターが開く。
カタコンべの本堂では、既に全ての僧侶が左右に分かれて整列し、前方の祭壇の前には大司教、その左右に副司教が立っていた。僧や大司教たちの左手からは何の実で作ったのか解らない、巨大な数珠が提げられている。
左右の僧侶達の間を通って、霧江と慶は階段を登り、大司教の前に走り出た。
「大司教、メシアの子をお連れしました」
慶は大司教に言う。目線をわざと数段下げている。
「慶、よくぞ戻った。既にペルネシア軍が進攻している。急いで儀式を終わらせなければならない。二人とも、祭壇の前に立つがいい」
パンチェンと呼ばれたタイの僧侶のような姿をした老人は、壕が深く、髭は生やしていない。
霧江と慶は、大司教の言った通りに、祭壇の前まで登った。
祭壇は灰色の石造りの直方体で、上に、左右に一個ずつ穴が彫られており、それぞれの中に、細く短い針が一本ずつ置かれていた。中央には左右より深く彫られた穴が一つあり、3つの穴は溝で繋がっていた。
「その針で己の指の先を刺し、血を穴に垂らすがいい」
パンチェン=大司教が言う。
二人は苦痛に顔を歪めながら、左手で右手の人差し指の先を刺し、少量の血を穴に垂らした。
血が中央の穴に流れて混ざり、祭壇が開いて、中から、漢字ともハングルともアラビア文字とも付かない奇妙な文字が鞘に掘り込まれた大剣が現れた。
型の中に収まっていたそれは、蒼白い光を放って浮かび、霧江がその柄を掴んだ。瞬間、霧江の眼が変わった。それは普段の彼の目より吊り上がり、殺戮に躊躇しない獣の目に変わっていた。
その時、入口を制圧したあと、エレベーターの管理システムをハッキングしたのだろう、エレベーターの扉が開き、サソリ型のマズダが姿を現した。
そして、霧江も………。
「我は救世主、我に属する民を護り、それを虐げる者を駆逐する……!!!」
霧江の中に何かが宿ったっ……!!!!