第三話 少女ノ世界ノカタコンべ
烏丸慶の住む地球には、カタコンべという機関が存在する。カタコンべとは推定世界に数百万人のドルイド僧と、数十億人のドルイド教信者から成る、慶の住まう地球を支配する統一国家、《アルタクセス朝ペルネシア≒ペルネシア帝国》に対する解放組織である。
ペルネシアの経済特区の一つ、トウキョウの地下に、高度900メートル、面積はトウキョウの半分を占めるカタコンべがあった。ここには慶も居候していて、今彼女は上から数えて第13フロア、地下に移転した帝陵高校学園の高等部の教室の一つで、僧侶による授業を聞いていた。
「2009年10月、旧アメリカ合衆国の経済中心都市ニューヨークを、人類史上空前の大不況が襲った。後に呼ばれる第二次世界恐慌である。その原因は、今世紀になって急速に発展した中東全土を支配する大帝国、アルタクセス朝ペルネシア、現在惑星全土を支配するペルネシア帝国の経済破壊工作だ。
ペルネシアはニューヨークの株式市場にサイバーテロ攻撃を仕掛け、アメリカに連立し、世界各国の経済基盤を、つまり世界経済を崩壊させた。
結果ペルネシア以外の惑星全土に貧困が広がり、世界中の国家が打開策として領土拡大を打ち出し、惑星統一戦争が勃発した。
しかし、世界最新鋭の殺戮兵器を使用したペルネシア軍は、バラバラになった諸国の軍隊を僅か二ヶ月で屈服させた」
そこで、僧侶の黒鉛の棒を持った左手が止まる。
「はい、今日の授業はここまで。マズダのことは試験範囲だから、次に備えてしっかり予習しておくように」
色黒く、鼻が高く壕の深い、タイ人の血を引いていると思われる、オレンジ色の巻き衣を纏った二十代前半ほどの僧は、チョークを黒板(というか壁)の粉受けに置いて、扉の無い前の出入口(前しかない)から出ていった。チャイムは無く、頼りは僧の右手の腕時計だけだ。
カタコンべでは、ドルイド僧が直接教師を兼ねている。
因みに一つのカタコンべに一人の大司教が校長、二人の副司教が教頭だ。
慶は今日も居眠りしていた。
コンクリートの塊を地道にくり貫いて作ったカタコンべなので、壁や床、天井はガタガタで大量の煤を被り、汚い。窓にはガラスも無く、地下なので目に悪い人工の光しか入らない。
机もコンクリート製で、床とくっつく形に造られている。そのガタガタの机に右頬を預け、最後まで眠っていた。
彼女は成績は良いので、僧達も黙認状態だ。
彼女は起きる。そして、その日の授業が全て終わったことを周囲を見て確認し(ホームルームがない)、廊下に出て他の者達と同じ方向に歩き、三十秒ほどで巨大な鋼鉄の門の前に来る。
これはエレベーターである。とりあえず全ての階を行き来し、止まる階を限定できない、性能の悪いエレベーター。だから右側にボタンは無い。
門の上の、オレンジ色の照明が自分達の階に来る。
熱気に蒸せながら、生徒達と共にエレベーターに乗り込む。
動きの鈍いエレベーター。数十分が過ぎ、乗客が始めの十分の一になる。
そして、慶も降りる。
カタコンべの上から数えて第37フロア、女子寮の彼女の自室に、其処に匿っている、二年ぶりに再会した友人の元に、彼女は向かった。
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《アルタクセス朝ペルネシア帝都 ビザンティオン》
「アルタクセス陛下、トウキョウの地下で大規模な空間変形が…!!」
皇帝の間に駆け込んできた軍人が、玉座に座る大柄なアーリア人の老人に話し掛ける。
ペルネシア帝国皇帝、アルタクセス。
褐色の肌、鉤鼻、口元に髭、眼は緑色。生粋のアーリア人。
金の刺繍を施された白く丈の長い服を着ており、これは国教ミトラ教の最高司祭と同じである。ペルネシアでは、宗教の最高指導者がそのまま王になるのだ。
彼は80歳での即位からこれで10年間、玉座に座り続けている(現在2019年)。彼は元々、イスラム圏では異端とされているミトラ教を国教とする、中東の滅亡寸前の小国の皇太子に過ぎなかった。だが、彼が先代の王ペリシテクレスの急死により即位すると、ペルネシアは急速に軍事発展を遂げ、数日でオリエント、一週間後には中東全域、二ヶ月後には惑星全土を掌握した。
その勝因はマズダ。
その姿は人に在らず、鋼鉄の大量殺戮兵器。
ゾロアスター教の善神を偽り、支配者に従属し、人民の命を犠牲にする、人造の悪魔……。
その機関砲で戦車を撃ち砕き、人民を朱色の汁に変え、街を業火に燃え上がらせた。それを政府直属の科学者に造らせたのは、皇帝、アルタクセス………!!!!
「カタコンべの場所が解った……のだな?」
「はっ………」
「ふむ………」
アルタクセスは微笑む。悪神アーリマンの微笑み………。
「奴ら、救世主《メシアの子》を呼び出しおったか………」
ククク、と笑う。そして、悪魔は決断を下す。《決断》という名のギロチンを………。
「消せ…」
「しかしあの中には子供も………!!」
「消せ。我に従わぬ者は人ではない……」
彼は息が荒い、死期が近付いているのだ。
「元老院執政官ハミルカル・バルカムに命じる、トウキョウ地下カタコンべの信徒を皆殺しにせよっ………!!!!」
「はっ!!!!」
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《カタコンべ 慶の部屋》
「……………ん……んぐぅ……」
霧江が目を覚まして最初に見たのは、表面がガタガタのコンクリートで出来た、煤だらけの灰色の天井。
そして、左に寝返りを打つと、彼女の顔が視界に入った。
霧江の安否を案じているように見える。かなり心配を掛けたらしい。
ていうか、呼び出したのお前じゃねぇかと、再会の喜びも忘れて、心の中で突っ込みを入れる。
「大丈夫か、霧江」彼女、烏丸慶は口を開く。
「後頭部がガンガンするぅ……」
「わかった、すぐに冷やしてやる」
そう言うと彼女は、多分ベッドの下にあったのだろう、白無地の布に包まれた氷枕を取り出し、霧江が後頭部を委ねている普通の枕と取り替える。急に頭がひんやりしたのが、苦痛のようでも、心地良いようでもあった。
霧江は思う。不思議なものだ。あれだけ想っていて、もう会えないと思っていた人との再会の喜びが、存外こんなものなのかと…。しかしそれでも、彼女との再会を喜ぶ心も、彼にはあった。
「何故………生きている?……夢か?」
霧江は口元を緩め、少し穏やかな表情を作って言う。
「夢などではないさ、これは現実だ。だが、お前が住んでいる世界でもない」
「それは、どういうことだ?」
もっとよく話を聞こうと、身を興す霧江だが、後頭部の痛みが脊椎を貫通し、顔をしかめて再び横たわる。
「無理はするなよ。さて、本題に戻ろう。まず、信じにくい話とは思うが、ここは、私とお前が出会った時点で二つに分離した並行世界、つまりはパラレルワールドだ」
「本当に信じにくいな…」
「ああ、だろうな」
そこで、慶は目を細めた。狐みたいになる。
「片方は私が自殺してお前が生きている世界。もう片方はお前が自殺して私が生きている世界。つまり、宇宙は時間の経過とともに増殖を繰り返し、これもその末端と言うことだよ」
「へぇ……俺達は普通に生きていたからか、そんなこと全然気付かなかったよ…」
「この星には並行で交わらない空間同士を繋げる、俗に《チューニング》と呼ばれる技術がある。そのチューニングに使う装置が空間チューナーで、さっきお前が通ってきた粒子の空間は、チューニングによって数秒間だけ生じるワームホールだ」
「……なんとか、解ったよ」
「良かった。私は勉強は出来ても教えるのは苦手だから、少しだけ心配だった…」
彼女は昔から説明が下手で、それも霧江の世界の慶が虐められる原因になった。
「次に、お前をこの世界に呼び出した理由を話そ………」
その時、霧江も聞き覚えのある、警報器の奇声が鳴り響いた。
外では生徒達を含む居住者が逃げる足音と、彼らを誘導する僧侶達の声が聞こえる。
慶は部屋を飛び出す、霧江を連れて。
ただし、周囲が逃げるのとは逆の方向に向かう。
「皆向こうに行くのに何で俺たちはこっちなんだっ、何処へ行くんだっ!?」
「大司教の元へ…」
二人はエレベーターに乗った。